「今日は温かいな」 一つに束ねたこげ茶の長髪が風によって少しなびいた。ほっと一息つきながら呟いたのは妖狸の焚之助。縁側に彼は腰掛けていた。正岡邦雄宅に住まう妖怪の彼は普段から人型になっており、姿は20代後半くらいの青年に見える。服は普通の現代の若者が着るものを着ているので見た目はまったく人と変わらない。 そんな彼の傍には二人の少年が寝転びながらそれぞれ本を読んでいた。一人は正岡邦雄、現在高校生で熱心になにやら読んでいる。漫画だ。そのとなりに彼の弟、正岡智紀も同じく漫画を読んでいた。しかしそんな彼らの傍にはなぜか、『鬼界の鬼と此方における鬼の伝説』、『都市伝説と怪奇』、『樹怪譚』などという分厚い奇怪なジャンルの本が散らばっていた。つねに何がしかこういった妖怪や化生に関する本が身近にあるのは、古来からの妖怪学者の筋である正岡の子としての特徴である。 温かい日差しと共に少し涼しい風が彼らの間を通った所で、焚之助は湯のみを手で包みながら言った。 「昔ワシも息子とよく野原で日向ぼっこしたもんだ」 「えぇ!? 焚之助に息子いたの?!」 さらりと笑顔で言った焚之助の言葉に、漫画からばっと顔を上げた智紀。その瞳は驚きと共に好奇心で輝いていた。 しかし。 「いねぇよ」 すぐに漫画に顔を向けたままの邦雄が訂正を入れた。それにしーんとあたりが静まる。智紀について言うと、明らかに落胆の色を示した表情を浮かべていた。 それに焚之助のぷっと吹き出す音と共に彼の笑声が響いた。 「……焚之助」 顔を引きつかせながら睨みつける智紀に、更に笑いながら焚之助はよしよしと彼の頭を撫でた。それに余計ムカついた智紀が顔に拗ねた様子を露にすると、焚之助は笑いやんで微笑んだ。 「あはは、ワシには子どもはいないよ。でも邦雄にはわかったか……」 「ああうん。だってそれ前にオレ騙されたから」 漫画を閉じると邦雄は傍の長机に置いてあった湯飲みに口をつけた。 「えぇマジで」 「ほんとほんと。オレあん時すっげぇ焚之助の息子に会いたかったの覚えてんぞ」 焚之助と自分の兄を見やる智紀に答える邦雄。その時のことを思い出したのか、邦雄も焚之助を見ると呆れたような視線を彼に向けた。 「すまない。ちょっとネタにな。それにしてもお前ら二人とも本気で真に受けるんだから面白いよ」 くつくつと笑う焚之助は実に楽しそうだ。そんな彼に邦雄と智紀は顔を見合わせて空笑いした。実は悪戯好きな面もある焚之助に両者とも小さい頃はよくからかわれていた時期があったのである。知らずにからかわれていたこともあったが、今では正岡兄弟はそれらに気づく。なのでたまにこうしてフェイントのように遊ばれる時が増えたのだ。最近はなかっただけに智紀は油断していたのだろう。 「つーかさ、なんでわざわざそんな嘘つくんだよ」 「ほら馬鹿の日だろ?」 騙されたことにバツが悪くなったのか小声で言う智紀に邦雄は言った。 「馬鹿の日?」 「英語で言ってみろ」 「えー? え、えーっと……馬鹿は……stupidだから……」 「他にも単語があるぞ、智紀」 笑い終えた焚之助が微笑ながら言った。 「えっ? じゃあ、うーんなんだっけ……あ、foolがあった」 「で?」 「馬鹿の日だから……fool day? あ!」 気がついたのか、パンっと智紀は手を打った。 「エイプリルフール(April fool)か!! うっわぁ俺忘れてた」 うなりながら大げさに頭を抱えて転がりながら言う智紀。 ― いや、お前そんなに忘れたことが悔しかったのか ― その反応に、邦雄も焚之助と並んで面白げに彼を見た。 「あー誰かに嘘つきたいなぁ」 「この中じゃ気づいてるからもう駄目だなぁ」 まだうなりながらうつ伏せに野垂れる智紀の肩を、ぽんぽんと焚之助が叩いた。すると不意に邦雄が立ち上がった。二人がそんな彼を見るとその目は嬉しさと期待に満ち溢れ爛々と輝いていた。 「よしっ! じゃあオレ今から錦に嘘をついてこよう!」 「なんて?」 白けた視線を送りながら一応義務的に聞く智紀。ちなみに邦雄が言う錦とは、彼らの隣に住む幼馴染であり邦雄の片思いの相手である吉良錦のことを言っているのである。そしておそらく、彼が嬉しそうなのは錦に会う理由ができたからだ。もっとも理由がなくとも錦に会いに行く彼ではあるが。 そんなことがお見通しな呆れ顔の弟の態度に目もくれず、邦雄は得意げに言った。 「実はオレは錦のことが大っ嫌いだったんだ!」 「そうだったんだ」 後に聞こえた言葉に時が止まったように固まった邦雄。恐る恐る彼が振り返るとそこにはお菓子を手に、艶やかな黒髪を持った無表情の少女が立っていた。 「と……」 自分の想い人の錦がいるとは露知らず、一番誤解される所だけを聞かれてしまったことに動揺して口を魚みたいにパクパクする邦雄。 「おや錦ちゃんいらっしゃい」 「あ、錦ちゃん来てたんだ」 まだ再起不能の邦雄を置いて焚之助と智紀は座布団を敷いて少女――錦に座らせながらしゃべった。 「に、錦!」 「なに?」 普段から無表情なのだが落ち着いて表情を変えない錦に、慌てて邦雄は取り繕うと彼女の前に詰め寄り勢い込んだ。 「ご、誤解なんだ! 今のはエイプリルフールのちょっとした悪戯で……」 「それ昨日」 「え……」 錦の言葉に再び固まる邦雄。彼は焚之助と智紀の方を向くと、彼らを交互に見た。さきほど彼らはエイプリルフールの嘘をしていたはずなのである。 「あれ? もしや邦雄……」 「兄ちゃん気づいてないんだ」 意外そうに言う彼らに邦雄は自分が今日がエイプリルフールだと誤解していたということがわかった。つまり焚之助はエイプリルフールではないのに嘘をついていたのである。そして智紀も同じく嘘をついていたことになる。 「お前ら嘘はエイプリルフールだけ許されるんだぞ!」 少し恥ずかしくなった邦雄が焚之助と弟を睨みつけた。 ――しかし。 「嘘」 「……へ?」 突然言い出した錦の言葉に邦雄は動きを止めて彼女を振り返った。そこにはいつの間にか用意されたお茶を飲みながら邦雄を見る錦。彼女は机に湯飲みを置くと、はっきりと通る声で言った。 「今日はちゃんと4月1日」 錦の言葉にいまだわけがわからない様子の邦雄に智紀と焚之助は助言した。 「今日はエイプリルフールであってるんだよ」 「つまるところこれが錦ちゃんの嘘ってことだ」 彼らの言葉に少々黙り込み、錦を見てはまた黙り込み、手を口に当てて後ろを向くと邦雄はふるふると震えた。 「どうしようオレ錦に嘘つかれた、嘘つかれたっつーか悪戯された。悪戯されたよ悪戯されちゃったよ錦にっ! うわっなんかすっげぇ嬉しいんだけど!? いやマジでオレ錦に悪戯された? 嘘だろマジでっ」 「……焚之助さん。邦雄喜んでる」 完全に壊れたように呟きながら悶える邦雄に少し引き気味の錦。 「幸せな奴だな、邦雄は」 「馬鹿の日だよねー」 そんな邦雄に見慣れた様子でにっこりと笑いながら焚之助は錦の頭を撫で、智紀はまたかと白い目を兄に向けた。 そんなこんなで今日もいつもどおりの邦雄達であった。 |