げぇほごほっげほっの巻




「げぇほごほっげほっ」
 ひどい咳が聞こえて焚之助(たのすけ)智紀(ともき)はそちらの方へ振り返った。そこには制服に身を包んだ少年――正岡邦雄(くにたけ)の姿があった。彼らの視線に気がつくと彼は鼻をすすり、食卓について笑った。
「っはよ」
 しかしその声はかすれており、笑顔も少々元気がない。自分の席に着く邦雄を智紀と焚之助はお互いの顔を見合わせながら再び彼を見た。
「兄ちゃん、風邪?」
 再び咳き込む邦雄に智紀はご飯を食べながら心配そうに見やった。普段は口数多く、口を開けば隣りに住む幼馴染――吉良錦のことをこちらがうっとおしくなるほどウキウキと幸せそうに話し出すのに、今日はそれがない。それが兄の調子の悪さを物語っているようで智紀はいつもならしない心配をした。
「んー……。たぶんちげぇよ」
「なんだ、疫病神の眷属の類にでも悪戯されたのか?」
「あ、あー……そんなかんじ」
 焚之助の言葉に苦笑いを浮かべると邦雄はのどが痛むのか、手でさすった。それに顔をしかめると焚之助はため息をついてぽんぽんと彼の頭を叩いた。
「かりん酒をお湯割するから飲め。それと無理をするな」
 そう言うと彼は台所へ向かった。
 そんな焚之助を兄弟はじっと見た。
「……焚之助まだ大丈夫だよね」
 恐る恐る小声で耳打ちしてくる智紀に邦雄はうーんとうなった。
「多少のケガならともかく、妖怪によってオレたちがびょうきになったら……げんいんになった妖怪たち……」
「ヤキ入れられそうだな」
「うん、焚之助まえキレた時あったもんな。あの時は……」
 沈黙すると、彼らの間にヒヤリとした空気が流れた。
「こうみえても焚之助は千年もいきた妖狸だもんな」
「うん、時々忘れるけど」
「気がよさそうだけど焚之助さんは怒ると怖いもんね!」
「そうそう」
 と智紀がうなづいたところでふいに二人は下を見た。そこには肩くらいまでの髪を持つ、7歳くらいの子どもがにこにこしながら彼らを見ていた。それは彼らがよく見慣れた妖怪――座敷童子のななとであった。
「おっはよー邦雄くん、智紀くん」
「えぇ!? なないつの間に来てたの?!」
 驚いて身を引く智紀にななとは面白そうにちらりと台所にいる焚之助を見ると、再びこちらに顔を向けて笑った。
「焚之助さんが呼んだ、念話で」
― いつのまに!? ―
 内心でそう思いながら驚く兄弟ににっこり笑うとななとは言った。
「ぼく、座敷童子でしょ? だからぼくの力を使って少しでも邦雄の病気を治せるよう助太刀するよ」
― なんて気が利く! ―
 邦雄と智紀は二人して心の中で感心した。そしてななとを見直すと、笑顔で言った。
「そっか、焚之助に治すの手伝うように言われてきたんだ。なな、よくいうこと聞いたね」
「ん? 焚之助さんはなにも言ってないよ?」
 智紀の言葉に首をかしげると、ぶんぶんと首を振りながらななとは言った。それに目を瞬かせる兄弟。わけが分からず邦雄はななとに聞いた。
「え、よばれたって……」
「うん、ご飯できたよって」
「え、じゃあなんで」
「勘」
「え」
「あとはぼくの気まぐれー」
― そう言えば心を読める覚より厄介なのがこいつだった ―
 にっこりと笑むななとに少し苦笑いする邦雄と智紀。見た目は子どもでも、ななとは彼らの親と同じくらいかそれ以上なのだ。彼の知識と聡明さは侮ってはならない上、ななとの性格故か人の動きを読むのがそれはそれは得意なのである。
「ということでぼくのご機嫌とったらきっと早く治るよ?」
 無邪気に笑いながら言うななとに兄弟は乾いた笑みを浮かべた。子ども特有の悪戯心を持ち合わせているため、ななとの機嫌を取るのは結構難しい。兄弟は、改めて今ななとの性格を自覚したのであった。
「なーんてね? 早く治るといいねー邦雄くん」
 楽しそうに笑うななとに頭を撫られる邦雄。そしてついでというように頭を撫でられた智紀は、微妙な気持ちになった。
「それにしてもタチ悪いよな、ああいう系の妖怪。あいつらは遊びのつもりだけど、いくら正岡だからって手加減しないんだもんな」
 気を取り直しながら智紀はご飯を食べ始めた。
「いや、ちょっとあいてにしすぎたんだよなオレも。いくら本家のめいれいだからってやりすぎたよ」
 苦笑しながら言う邦雄にあはっと笑いながらななとは言った。
「何気に邦雄くんは保父さんに向いてるのかもね!」
「や、妖怪のほふはぜってぇ死ぬからマジかんべん」
 ぶんぶんと頭を振りながら思いっきり否定する邦雄。
「あのさ、兄ちゃん……」
 ため息をつくと智紀は言った。
「俺は兄ちゃんよりあの時遊ばれた妖怪は少なかったけどさ。結構いたよね」
 その言葉に邦雄ははははと笑った。そんな兄を横目にその時のことを思い出したのか、鬱々とした重い空気で智紀は言った。
「俺の場合、俺の場合だけでもだよ? 手長足長、子泣き爺、ジェットばばあ、悪戯好きの妖精×10の軍勢に、おとろし、塗り壁、奇声を上げるゲル状の不思議生物に追いかけられたんだよ?」
「あっは人気者―」
「笑い事じゃねーよ」
 無邪気に笑うななとの言葉の後、ふと横を見るといつの間にか焚之助が呆れた顔をしてお盆を持っていた。その上には4人分のコップがある。
 彼らの前にそれぞれコップを置きながら焚之助は邦雄に言った。
「いいか、ついこないだ端午の節句が終わって妖怪寄せの力が少しばかり弱まったとは言え、この季節は気候が変わる時期だ」
「ま、ね」
 気まずそうに彼の話を聞きながらコップを受け取って答える邦雄。
「いくら馬鹿は風邪を引かないとは言え馬鹿でも病気になるんだぞ」
「え、それオレのこと?」
「病気って色々あるよね!」
「え、ヒテイしろよななと。ってなにうなづいてんだ智紀てめぇ」
「とりあえず、お前」
 コツとテーブルに自分のコップを置くと焚之助は言った。
「熱があるだろ。学校休め」
 一瞬その場に沈黙が流れた。
「い、いやだ!」
 顔を引くつかせながら言う邦雄。言い草が子どものようだ。そんな兄に智紀は驚いた表情で彼の額に手を当てた。
「え、熱あんの? うわ! 何やってんだよ何度あるよこれ!」
「あーあぼく黙ってあげたのに」
 可哀想にと頭を振るななと。
「ええぇ!?」
 それに驚きの表情で彼を見る智紀。
「とりあえずな、休もうな?」
「やだ」
 優しく諭す焚之助に間髪入れず、清々しいほどきっぱりと言う邦雄。
「子どもかお前は」
「なにを言われようとオレはゆずらねぇ!」
 呆れた顔をする焚之助に頑として言うことを聞かない邦雄。熱があるのにもかかわらず、どうしても学校に行きたいらしい。
 ため息をつく焚之助はぽつりとつぶやいた。
「錦ちゃんか」
「そうさ! あの超絶可愛い錦と過ごせる学園ライフを削ってまで家で大人しく寝てられるかっ」
「寝ろよ」
 力んで言っているためちゃんとかすれず声を出す兄の根性に、呆れながらも冷静な突っ込みを入れる智紀。
「間近で錦を見れるというおいしいシチュエーションを捨てることなどオレには何があってもできん! むしろこのためだけにオレは今まで生きてきたと言っても過言じゃねぇ!」
 その後ごほごほと咳き込みながら主張する邦雄に、病人と言うことで少し優しさを出していつもと違い声を荒げず微笑みながら智紀は次の言葉を言った。
   しかし。
「や、錦ちゃんすぐ隣にいるじゃん。何年隣にいると思ってんの。それに錦ちゃんウオッチング毎日してるだろこの腐れ頭」
 微笑みながら言うことがすさまじい。その不気味さに少したじろぐ邦雄。
「違う違う智紀くん」
 すると邦雄と智紀の言い合いに割って、首を振りながらぽんっとななとは智紀の肩に手を置いた。それに注目する兄弟。
「邦雄くんは正常だよ。ただ……」
 きゅぽっ
 マジックのキャップを外す音。そして次にどこから出してきたのか出てきた紙にさらさらと人の顔を書いていくななと。そして人間の頭に脳を書くと、中に漢字を埋めていった。
 その脳の中に書かれたほとんどは「錦」で埋められ、「秘」、「悩」、「狂」、「犬」などが一つずつ入っていた。
「……とこういう風に邦雄くんの頭ができてるだけだよ?」
― ……って「犬」!? 何気に「狂」ってひどっ ―
 心の中でつっこむ智紀。
「なにいってんだよ……」
 それに呆れた表情を浮かべると、邦雄はななとからマジックを取り、なにかを加えた。
 きゅぽ
「……こうだろ」
 そこには「狂」をバツにして、代わりに「愛」が付け加えられていた。
― え、そう訂正するの? ―
「なんだ、邦雄くん案外元気だね!」
 なんだか心の中で突っ込み満載な智紀をよそに、ぽんっと邦雄の肩に手を置くと笑いながらにななとは言った。そしてビッと親指を立てる邦雄。
「と、いうことでオレはなにがあってもガッコウへいく!」
 なにも説明になっていないが、くるりと焚之助の方に振りかえると、断固という顔で邦雄は言った。しかしそう言う彼の声はかすれている。もはや気合を入れても声がかすれてしまうらしい。それをにこりと笑ったまま彼を見返す焚之助。
「……そうか、どうしてもいやなんだな」
「ああ」
 しっかりとうなづく邦雄。そしてしばらく沈黙が降りた。
「……わかった」
「え」
 ため息をつくと言った焚之助の言葉に智紀は耳を疑った。どうあっても邦雄を休ませると思ったのに意外だったのだ。
「かりん酒を飲め」
「た、焚之助いいの?」
 邦雄にお湯割りしたかりん酒を渡す焚之助に再度聞く智紀。
「なにが?」
「だって兄ちゃんすごい熱……」
「そうだな」
 なんともなさそうに言う焚之助に智紀は本当にいいのかと、じっと彼を見た。しかし特に迷っている風でもない。
「そうだなって……」
「邦雄、全部飲んだか?」
 呟く智紀とにこにこしながら彼らの様子を見るななとをよそに、焚之助は邦雄の方を向いて確認した。
「うん、サンキュおいしかった」
 笑いながら焚之助に言う邦雄。それににっこりと笑みを浮かべる焚之助。
「それはよかった。よし」
 瞬間。
 閃く焚之助の手。
 ばたっ
 倒れる邦雄とそれを受け止める焚之助。少し、食卓が静かになった。
「……うん、よし」
― ええええええええええええぇぇぇ!? ―
 今起きた事態に智紀はぱくぱくと口を開けながら目を見開いた。そのそばでななとは「あはは〜やっちゃったぁ」と笑っていた。
 焚之助は邦雄を昏倒させたのだった。つまり初めから邦雄を学校に行かせる気などさらさらなく、邦雄の言動を見越して一旦納得したと見せかけたのだ。
「わし、邦雄を部屋に寝かせるからななと、鍋見といてくれないか」
「らじゃ!」
― 兄ちゃん強制終了…… ―
 鍋を見に行くななとが台所へ行き、焚之助が邦雄を姫様だっこして部屋を出ていく姿を見送りながら智紀は思った。
 そう言えば、焚之助は見た目によらず、頑固だったことを智紀は思い出す。
「……」
 智紀、一人残された部屋に沈黙が訪れる。
― どんまい兄ちゃん! ―
 爽やかに笑みを浮かべると心の中で合掌する智紀だった。


 

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