1の話:木のカイ〜 なんだかちっちぇ妖精さん? 〜


 [6]

 柔らかい衝撃を不思議に思いながら閉じていた目をゆっくり開けると、目の前にたんころうが荒い息でしゃがみこんでいた。いつの間に来ていたのだろう。そう言えばさっき、たんころうのこえが聞こえた。でも、ここから家まで少し距離がある。心配になってついてきてしまったのだろうか。カギ、閉めたのに。
 たんころうはこちらを向き、私の腕をにぎって真剣で心配そうに怯えたまなざしでこちらを見ていた。

『ころっ』

「大丈夫」
 その言葉に安心したのか、たんころうはほっと表情をゆるめた。そんなたんころうに感謝の気持ちをこめて、すっと私は手を伸ばしてさわ……

…………え?

 たんころうを触ったと思った私の手にはただ、地面の感触しかなかった。
 見ると、たんころうの姿はどこにもない。

「あなたっ大丈夫?!」

「え?」
 急に両肩をゆすられて顔を上げると、見知らぬおばさんがいた。その隣に小さな子どもがお父さんらしき人に抱かれながら、こちらの様子をちらっとうかがっていた。どうも買い物に来ていた家族連れみたい。よく見ると見知った顔だった。スーパーでよく出会う、買い物仲間の人だ。
「大丈夫かい?」
 彼女の夫らしい人も私を心配そうに見ていた。
 前方には私の自転車とそう離れていないところに、買い物袋が落ちていた。中身はちゃんと入っている。そこではっと気づいた。ふり返ると、目と鼻の先に軽トラックがある。
 そう、私は危うく車に引かれるところだったんだ。そして、すんでのところで車が止まった。いや、たんころうが止めてくれたんだ。でも、先ほどまで目の前にいた当の本人は見当たらない。

たんころう…………は?

 辺りを見回した。でも、やっぱりたんころうは見当たらない。
「すみませんっ。け、怪我はありませんかっ!?」
「あ…………はい」
 運転手の人にそう答えると、もう一度あたりを見渡した。なぜ?  さっきまで目の前にいたのに。
 なにやらおばさんの叱責と運転手の人のすまなさそうな話し声が聞こえたていたが、その言葉を聞いてはいなかった。
 たんころう、さっきの車を止めた。ものすごいスピードが出ていたのにもかかわらず。

たんころうが…………目の前で…………消えた?

 私は呆然とした。
「やだっ。あなたすりむいてるじゃない!」
「えっ!? あ!? すすみませんっ! 今すぐ手当てを……」

「大丈夫です」

 私は立ち上がると慌てふためく運転手とおばさんに言った。嫌な汗が出てくる。なんだか、ひどく動悸がして落ち着かなくなってきた。
「でも……」
「本当に大丈夫です」
 その時になって初めて、運転手さんの顔を見た。彼は蒼白になっていたけど、今の私にはそれはどうでもよかった。早くたんころうを見つけないと。
「だ、だったらもし何かあればこの電話番号にご連絡を。本当にすみませんでしたっ」
「……はい」
 私は何回も頭を下げて謝る運転手から離れ、自転車にまたがるとすぐさま家へと向かった。たんころうが家に帰ったことを願いながら。
 おばさんが心配してくれていたすり傷はちっとも、痛くはなかった。


バタンッ
「たんころう」
 私は家の鍵を開けるなり、そう呼んだ。しかし、返事はまったく返ってこず、静寂だけが残った。
タッタッタ…
「たんころう」
 台所を抜け、明かりがついたままのリビングへ行きソファを見たけど、たんころうの姿はどこにも見つけることができなかった。
 もしかすると私の部屋にいるのかもしれない。今度は階段を上がって自室に向かって勢いよくドアを開いた。
はぁ…はぁ…
少し、荒くなった息を整え、明かりのスイッチを入れた。

……いない

 本当にたんころうが消えたという現実を、目の前に突きつけられた。
 邦雄は言っていたじゃないか。たんころうはもともと、柿の妖精みたいなものだと。

『たんころうは……まぁ植物に宿る妖精に人の気やあやかしの気が混ざって具現化したようなもんかな。……だから結構存在が希薄かもな』

 邦雄の言葉が頭の中をこだました。
 たんころうはどうして消えた。それはたんころうが自分を維持できなくなったから。私を助けるために妖力を使いきってしまったから……?
 私はもう一度だけ下に降りて確かめに行った。

 たんころうは……いなかった。

いない

イナイ



―― ころっ ――

 たんころうが可愛い声で私を呼ぶ姿が浮かんだ。
 私のせい? 横断歩道を渡る時虫の知らせがあった。あれは渡ってはいけなかったんだ。なのに私は…渡ってしまった。ちゃんと警告があったのに無視した。私のせいで…

たんころうが…

消えてしまった

 手足の先が冷たくなった。
 頭の中が真っ黒で、心の中の何かが叫んでいた。

「――――……」


「錦?」

 後ろから邦雄の声がした。
 いつの間に入ってきたのだろう。ふり返ると、邦雄が立っていた。
 私はどのくらいずっと立ったままでいたんだろう。時間の感覚がいまいちわからない。
「………………」
 急に足の感覚がなくなって、そのままその場にしゃがみこんでしまった。
「どうしたんだ? そんなとこに座り込んで」
 邦雄はしゃがみこんで私の手を握っていた。その言葉と彼の温かい手の感触で、のどにつかえたものがやわらぐのを感じながら、私は邦雄を見た。
「……………………たんころうが……」
 その言葉を聞くなり、邦雄は瞬時にすべてを察した。そして、彼は溜め息をついた。
「そっか……とりあえず。飲み物持ってくるからソファに座っといて」
 そう言うと彼はそっと私の頭をなでた。
 邦雄に言われるままソファに座ったが、私はまだ落ち着かなかった。
 邦雄は知っているんだ、たんころうの行方を。だから私がたんころうの名前を出した途端、あんなにも落ち着いていたんだ。おそらく、たんころうが消えるということ自体も知っていたのかもしれない。
「おまたせ」
 邦雄の声に顔を上げると、目の前にコップが差し出された。コップから立ち上る湯気からレモンの香りがして、少し気分がラクになったような気がする。
「で……なにから話そうかなぁ……」
 そう言いながら一人用のイスに座ると、邦雄は自分のコップを目の前のテーブルに置いた。それから少し考え、私を見た。
「前、たんころうは妖怪でも妖精に近い妖怪だって説明したよな?」
 邦雄は話を続けた。
「つーのはたんころうの場合、どちらかと言うと霊態に近いってことなんだよ。妖怪は妖怪でもあいつの場合、存在自体が弱いんだ。だからあまりその宿る媒体になるものから離れないことが多い。その上、ヤツは妖力を使っちまっただろ?それで頻繁に離れるっつーか妖力を使いきったら……」
「だから……消えてしまった?」
 私は邦雄を見た。やっぱり私のせいで、私を助けたせいでたんころうは消えてしまったんだ。手先が震えた。片手で震える手を押さえても、その押さえているほうの手も、小刻みに震えていた。
「ちげーよ、ああもう!」
 急に目の前に影が差して私の手を誰かの手がつつんだ。邦雄の手だ。邦雄のいたわるような、温かい手。いつの間にか邦雄が隣で座っていた。
「つまり言いたいのは、妖力がなくなってしまったってこと。だから、柿の木に戻ったんだ」
「戻った?」
 私はぱっと邦雄を見た。彼はまっすぐ私の目を見ていた。
「そう、消えたんじゃない。正しく言うと、急いで柿に戻ったてこと。」

『戻った』

消えたんじゃなくて

……でも

「たんころうとは会えないわけじゃない」
 邦雄はレモンティーを飲みながら答えた。
「ただ、しばらく会えないだろうな」
「どれくらい?」
「さぁ。あいつの回復力によるんじゃねぇ?」
 それを聞いて私はまた体が冷えていくのを感じた。私が生きている間に会えないかもしれないのか。たんころうに会えないのかもしれない。
「あーもーわかったよ」
 おでこに手を当て、溜め息をつくと観念したように言った邦雄。
「明日、たんころうの木んとこに連れて行って会わせてやる」
 しぶしぶといった感じで邦雄は言った。
「それになぁ、長くても1年すりゃ会えるようになる。だから、心配することねーの」
 そう言うと邦雄は頭をなでた。
 私は顔を上げると邦雄の顔を見た。邦雄は「な?」といいながら笑顔でこちらを向いている。そんな邦雄がなぜだか、頼もしく思えてありがたかった。
「邦雄……」
「なに?」
「……ありがとう」
 私は邦雄に向けて精一杯の感謝を込めて笑った。
「錦」
「なに?」
 私は首をかしげた。
 すると、急に体が前に倒れてなにか、顔になにかが優しくぶつかり、温かいもの体をつつんだ。

「かわいいっ」

 間近で邦雄の声が聞こえた。



「兄ちゃん……やっぱ兄ちゃんは兄ちゃんだよなー……」
 すぐ近くから智紀くんの声がした。見ると、トレイを持ちながら溜め息をつく本人がいる。
「兄ちゃんさぁ……錦ちゃん、おなか空いてるんだよ?」
「智紀、おまえ状況を察しろ。」
「いや、数分待ったって。つか、錦ちゃん離したげなよ。強張ってんじゃん」
「……」
 邦雄は私の顔を見ると、大人しく私を解放して満足そうな顔をした。
「で、錦ちゃんご飯まだだろ?」
 そう言えば、買い物に行ったっきりなにも食べていないのだった。
「母さんが作ってくれたんだ。食べて」
 智紀くんはトレイにのったものを指し出した。見ると、三色ご飯がのっている。
 箸をとりながら手を見ると、もう震えてはいなかった。

* * *

「たんころう、出てこいよ」
 コンコンッと邦雄は柿の木を叩いた。
 今、私達はたんころうの木に来ている。そう言えば、私はたんころうの柿の木がどこにあるか知らなかった。
 それは私達が遊んだ、あの公園から30分ほど歩いたお屋敷に植わっている木だった。家の主人にどう言い訳するのだろうかと、不安に思っていると邦雄はためらいもなく真実をそのまま話した。
 すると、驚いたことにその人はすんなり私達を受け入れ、中に通してくれた。その人はおじいさんから、たんころうの話を聞いてたらしい。おじいさんには姿が見えてたそうだけど、自分自身はたんころうは見えなかったと彼女は言った。ただ、気配やたまに声は聞こえてたらしい。
 そうして私達は裏庭のほうに通された。そこは裏庭にしてはかなりの広さで、イチゴやねぎ、豆など色々な野菜が育ててある。奥の倉庫の隣にたんころうの木はひっそりと温かく見守るかのように立っていた。それはたんころうと過ごしていた時感じたあの安心感に少し、似ているような気がする。
「…来る」
 そう言うと邦雄はタンコロウの木から離れて、私と智紀くんの隣に戻ってきた。
 木の根元にたんころうがちょこんと立ってこちらを見ている。その瞳は陽だまりのように私達を映していた。
「……たんころう」
 私はつぶやいた。たんころうはなにも言ってくれない。それは妖力がほとんどないせいなのかもしれない。本当は今ここにいるだけでも、辛いのかも。
 そう思うと、言葉がしばらくでなかった。そしてたんころうに触れることも、なんだかしてはいけない気がした。
「また、来てね」
 そう言うとたんころうはニカッと笑った。
 そんなたんころうの笑みに思わず、顔がほころんだ。
「…じゃあ」
 私はそう言って、くるっと体の向きを変えて歩き出した。たんころうが消えていくのを見るのは、少しつらくなると思ったから。
「錦……」
「なに?」
 至極真剣なまなざしで見ると邦雄は言った。
「オレがいるから大丈夫だ。寂しくはさせない」
「「……クサ」」
 智紀くんと同時にそう言うと、腕をつかもうとする邦雄をかわして彼の弟とともにその場を去っていった。
 今日からまた、いつもどおりべたべたの邦雄に戻るのだろうか。

いつもどおり……

 私は邦雄の肩越しから見える、たんころうの木にしばらく目をやって、再び顔を前に戻した。

たんころう……

 少しの間ではあったけど、なんだか、心にぽっかり空いたような感触を覚えた。
「……」

少し

淋しい




―― カナラズ    イク ――




 え?

 ふり返ると、そこにはもうたんころうはいなかった。

でも、きっとまたたんころうは来てくれる

 私はたんころうの柿の木をしばらく眺めた後、少しキツめの春風で乱れた髪をかきあげて、今日帰ってくる叔父に夕飯はなにを作ろうかとまた歩き出した。






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