[6] * * * こんな日々が続いて、だんだんクラスの連中は賭けごとなんて忘れていった。元々熱しやすく冷めやすいクラスだからな。もう二週間もたったんだ。 それでも、伊達の場合は違った。 「はい、吉良さん」 「?」 ダンッ 錦が振り返ると、そこには伊達がにこやかな顔でいた。それに首を傾げる錦。 体育の時間、体育館でネットを挟んで女子と男子が別々に運動をしていた。男子はバスケ、女子はバトミントン。まだ真夏よりはマシだけど、最近蒸し暑くなり始めた。六月もまっただ中の梅雨前。そりゃ蒸し暑くもなる。でも暑いからと体育の時間がなくなるわけじゃねぇ。 ダンッ 「最近暑いから、水分補給ちゃんとした方がいいよ」 男子と女子を挟む、境界線のネット。 それを少しめくって、伊達は錦にペットボトルの水を渡していた。それに少し黙りこむ錦。ペットボトルを見る。それから伊達を見る。 ダガンッ 「……――ま、マサちゃん」 恐る恐るというふうにウラちゃんがオレに話しかけた。 「ん? なにかな?」 「バスケットゴールに、当たるなよ? な?」 「え? ごめん! 普通に入れたつもりなんだけどな……力入れすぎたか?」 首を傾げながら彼の方を見ると、浦ちゃんは固まった。なんだ、変な奴だなぁ。そこで丁度ホイッスルが鳴る。試合終了の合図だ。 最後にオレがゴールを入れて、次のチームと交代になった。 通り過ぎた得点盤は5体0。 「ま、マエちゃん! あいつこええ! いつもと変わらない笑顔のはずなのに、なんか、オーラが……なんとなく違う気が!」 「邦雄相当荒れてるなぁ。コテンパンにやられちゃったし、俺のチーム」 悔しそうにため息をつくヤスと震える浦ちゃん。 「え、や、確かに正岡いつもよりドリブルとか強打してる感があるけど特に変わったとこない気もするけどな」 「な、なんか違うんだって!」 「……浦本は勘が鋭いからな」 クラスメイトの大げさだという表情に抗議する浦ちゃん、それに根岸が呟いた。その言葉にばっとあいつに振りかえってヤスに指をさす浦ちゃん。 「じゃあマエちゃんはなんだよ!」 あー、浦ちゃんは元気だなぁ。動き回っていたくせに、全く疲れた様子ねぇ。そう思いながらオレは持って来たペットボトルの水を飲んだ。 「前橋は面倒見がいいし気配り屋だから気づいたんだろう。正岡の怒りの感情の類は吉良並に表に出ない……と言っておこうか」 「なんだそりゃ!」 「てかうるせーわ浦本! さっさとゼッケン渡せよ!」 浦ちゃんの素っ頓狂な声にクラスメイトの一人が突っ込む。 そんな中、オレは立ち上がった。そして歩く。今のオレにはそんなことよりも気になることがある。 オレはさっさとゼッケンを次の人に渡すべく、足早にネットの方へ向かった。 「よ、伊達」 その言葉に呼ばれた相手は振り返る。オレが来ることはあらかじめわかっていたような表情で笑って来た。 そんな彼が手に持った開けられてないペットボトルをちらりと見た。 「あ、錦のために持ってきてくれたのか? やっさしいな伊達は。でもオレさっき錦に一本あげたからいらねぇかも」 その言葉にちらりと伊達は驚いたように錦の方を見た。 少し離れた所にペットボトルが一本。 「……ごめん、ありがとう」 錦が伊達に申し訳なさそうに言う。 「いや、俺も気づけばよかった」 そう言うと笑顔を返す伊達。それに少し頬を緩ます錦。 ゾワッ 胸の奥が総毛だった気がした。けれどオレはそれを振り払ってゼッケンを脱ぐと、伊達に渡した。 「行って来いよ。次お前出るんだろ?」 「ありがとう正岡。吉良さん見ててね」 オレからゼッケンを受け取ると伊達はひらひらと手を振った。その伊達の一挙一動になんだかオレは苦々しい何かを飲み込んだような、湧きあがる黒くてどろどろの熱いなにかが奥で動いた気がした。 目障リ、失セロ。 そんな言葉が脳裏をかすめて、オレは自分の感情に少し驚いた。……オレ、そこまでは思ってねぇだろ。確かにムカつくし、いけ好かねぇ。錦に近寄んなって正直思ってはいるけど。あーでも否定はできない気がするなぁ。 するとゼッケンを着た伊達が不意にオレをじっと見ているのに気が付いた。 「伊達、行かないのか?」 「うん、行ってくるよ」 相変わらずのにこやかな笑顔を向けてくる。なんだか気になる顔だ。そんなことを思っていると、伊達はチームの元へ歩いて行った。 その去り際。 「――君って案外……だよね」 伊達はオレに何か囁いた。 ばっとオレは振り向いた。けれどあいつはそのままゲームに参加して行った。ただ、オレはゲーム開始の笛を聞いていた。 そしてふと振り返る。そこには少し気だるげに座る錦。その姿にオレの心が少し癒された。錦イン体操着。髪の毛を一つにくくった錦のうなじが露わになってて、後ろから抱きついてキスしてぇっ。ってこんなとこで、しかも今の錦を襲うつもりはないけどなっ……と言いたいところだがオレの鋼の理性もいつまで持つかどうか。 オレは錦を見ながら口元を押さえた。 首をくたっと横に傾げ気味な弱々しい感じ。 シャツから出た滑らかな二の腕。 少し伏せられたまつ毛。 「――――っ」 ど・ん・だ・け可愛いんだっ錦っ。なんかもうよだれ出るっ。パブロフも目じゃねぇっつーかなんって色っぺえぇ流石オレの錦、悶絶するほどの核爆弾級愛くるしさっ錦っ。オレ、理性離していいかいいかもうとりあえず家にお持ち帰りしてだなっ。 とりあえず色んな爆死するほどの感情を抑え込むと、すとんと錦のそばに座った。一応律儀にネットの境界線は超えてない。 それにちらりとオレの方を見る錦。ああ、もう可愛い。ずっとこっち見てくれたらいいのに。目に入れても痛くないと言うよりむしろ目に入れれるものなら入れる。 「錦」 「なに?」 オレが呼ぶと彼女が答えた。それに笑みを浮かべると、そっとネットから錦の額へと手を寄せる。 手から伝わる錦の温もり。 「ん、熱はないな。気分はマシになったか?」 「気分は」 「そっか」 端的な言葉の意味をくんでうなずいた。気分は大丈夫だと言う。確かに顔色もよくなったみたいだし、あとは少し休めばいいくらいか。 実は錦は体育の時間が始まって少ししたくらいで、調子が悪くなった。倦怠感と頭痛。ただそれだけなのだと先生に錦は言っていたけど、アレの日なんだろう。あんまり無理はよくないな。大事な錦の体だし。それにしてもちょっと調子悪いかもな、今回は。え? なんでオレがそんなこと知ってるのかって? そんなの大好きな錦のことならなんでも知ってるさ。錦の体調を気遣うのは当たり前。ま、それ以上に色々あれやこれや……当然、知ってるけどな! 豆知識並に。しかしこれ以上は金払っても情報はやらん。 と、まぁ錦が嫌な顔もせずにオレがそばにいても座り込んで休んでいるのを見ると、やっぱり調子が悪いんだなと思う。ちらりと錦を見ると、バトミントンをするクラスメイト達を見ていた。 錦には少し悪い気もするけど、オレは錦とこうしてそばにいれて本当に嬉しかった。 二人でずっとこのままいれたらオレは本当に悶死するかもしれないけどそれも悪くねぇなぁ。 ダンッ 歓声と共にバスケットボールの跳ねる音が響く。見ると、軽い身こなしでクラスメイトのブロックを抜いていた。 ああ、伊達だ。 ……流石だな。やっぱりあいつは。 ダンッ プロ並みの跳躍力を見せてネットにボールを入れるあいつにオレは息をついた。 心の内がぐるりと渦巻く。 あいつは……女を大事にする奴だ。 それは憶測でも勘でも第一印象とかいうよりも、確信。人当たりも良く、特に女子に優しい。それは伊達の性質だ。だから特に女子に人気がある。けれどそれだけなら別にオレはどうでもよかった。 ちらりとネットの向こうの女子を見る。 バトミントンをしながらも結構な数の女子が伊達を見ていた。伊達が転校してから一ヶ月、もうファンクラブみたいなもんまであると言う噂らしい。つまり来る手数多で言っちゃあなんだが選びたい放題。 そんな伊達が錦に眼をつけた。 ダンッ 風のように駆けていく伊達。まるで人業でないみたいに消えたようにクラスメイトを追い抜く。 あいつはきっと……錦を ふと伊達が振り返りオレと視線が合って――挑戦的な目付でにっこりと笑う。 「……渡してたまるか」 ダンッ 小さな声で言った呟きとバスケットボールの強打の音が重なる。 シュートが入ってホイッスルが鳴る。 オレはくるりと隣りを見た。 「って錦いねぇし!?」 癒し麗し愛しの錦が忽然と消えたことにオレはショックで叫んだ。 「伊達を威嚇していた時になんという屈辱っ。伊達のことを考えていたばかりにっ。オレの頭ん中の脳髄の最果てに至るまでオレは錦のものというのにっ」 「……正岡、一人言は一人の時に言え。不気味だ」 根岸が頭上から、膝をつき床に手をつくオレにさらりと突っ込む。 |