二月の話

〜『正岡家と妖怪』番外編的なもの〜

[1]

カチャ
「兄ちゃんおやつ持ってき…………なにしてんの?」
 部屋に入ってくると中学生くらいの少年――正岡智紀(ともき)は訝しそうに声をかけた。その視線の先にはじっと熱い視線を窓の外に向ける兄――邦雄(くにたけ)がいる。
 本日はお客が来るということで、ついさっき家の掃除を彼らは終えたところであった。なんでも彼らと長い付き合いの知人らしいが、あまり家に遊びに来るわけでもない。そんな知人が珍しく家に来ることになったので色々と準備をしてひと段落ついた、そんなところだ。
 もう少ししたら約束の時間で、迎えに行っている父とともに来るので、それまでに休憩しようということになった。そこで一応兄のほうが掃除をしていたし、ジャンケンで負けたということで智紀は台所からおやつを持ってきた。そして今に至る。
 ……だが
「うーん? いや、ちょっとな」
 声をかけてもそのまま振り返りもせずじっと視線を外に向けたままの兄。よほど気になるものが窓の外に見えるらしい。
「ちょっとって……なに熱心に……」
 そばの机にポテトチップスやらお茶の入ったコップの乗ったトレイを置くと、振り向きざま彼は兄が視線を向けている先のものをとらえた。
 それはなんというか、とてもいや、実に見慣れた光景で彼の家族の中で誰も突っ込む者はいないのだが……。というか、いいかげん彼も呆れはてていたことだった。
 そしてそんな兄に自然と智紀の顔は引きつった。
「っていうかさ……」
「ん?」
 弟の心境などお構いなしにそのままの姿勢でなんの気なしに答える兄。良い子も悪い子も人が話をしている時はあまりしていけないことである。
「いいかげ……」
「錦来たーっ!!」
 瞬間、邦雄は窓に乗り出してガッツポーズをとった。その視線の先には隣の家に住んでいる少女――吉良錦のシーツを取り入れている姿があった。肩までのさらりとした黒髪を持つ、落ち着いた雰囲気をした少女で、身長は高校生にしたら少し低い方であろう。少し幼さの残るが、冷静で綺麗な面立ちやちょっとした錦のしぐさはなぜか、邦雄にはすべてツボにきているらしい。
 どうやら彼女は大掃除の最中で、外の物干しにシーツをかけるといったん家の中に入り、再び戻ってくると洗濯物を干し出した。
 それをよもや窓からものすごい勢いで邦雄が見ているとは、露ほども知らないであろう。
「つかエプロンだよ!? すんげぇかわいんすけど!?」
「たかがエプロンなのに……」
「なに言ってんだ! エプロンは重要アイテムだろが! って錦こけた?!」
「兄ちゃんの妄念のせいだよきっと、うん」
 そんな兄のいつもの発作に毎度ながら一応つっこみは忘れない智紀。可哀想にと家の中に戻ろうとしてこけた、隣に住む幼馴染を見やった。
「今すぐ手当てにっ」
「いかなくていいってっ」
 智紀は部屋から出て行こうとする邦雄をがっと必死につかんだ。ものすごい反射神経である。
 そんな弟に邦雄はくるりとふりかえるとにっこり笑った。
「じゃなくてもオレはいくぞ」
「正気の状態で行ってよ」
「オレはいつでもどこでも錦に本気だ」
「いや、聞いてないよそんなこと」
「じゃあお持ち帰りおっけーか!?」
「錦ちゃんはオーダー外だよ」
「じゃあオレずっと錦を見るしかないじゃん」
「だからそれを犯罪だっつってんだよ! くそ兄貴ぃぃぃ!!」
 ビシャァァァァーッと一気にカーテンを引くと、智紀はもう一度外を見ようとした兄の視界から窓の外の世界を遮断した。それを不服そうにちっと舌打ちをする兄。かなり口惜しそうである。
「つかそれってただののぞき魔だってーのっ」
 いっきに疲れがきたようで智紀は邦雄を離すと、ばふんと音を立てながらソファに倒れこんだ。
「だいたいわざわざ、来る日も来る日も外見なくってもさぁ……学校で会えるじゃん。同じクラスなんだし。それにさ……」
 むくりと起き上がって兄のほうへ向き直ると、智紀は机の上のポテトチップスの袋に手を伸ばし袋の口を開けた。
「幼馴染なんだからもう別に見慣れてるだろ、錦ちゃんのエプロン姿なんて」
「……慣れない」
 ポテトチップスを口に放り込む智紀の後ろから自分もポテトチップスをつまむと、カーテンを邦雄は見た。昼間なのにカーテンが閉められているため、心元少々部屋はうす暗い。
ポテトチップスを食べて智紀の隣に座るとふっと誰ともなく彼は微笑んだ・
「だって錦っていつ見ても新鮮でかわいくってかわいくて……」
 一間を置くと、ものすごくうれしそうに邦雄は笑いながら言った。
「すっげぇかわいくてずっと見ていたくて……そう、こう、ぎゅーっと抱きしめたくなるんだよっ」
 その言葉を聞くと、智紀はぽろりとポテトチップスを取り落とした。
「……」
「ん? どうした?」
 爽やかな笑顔で問う邦雄にただ、智紀は額に手あててうなだれた。
『クニタケくさい…………』
 突然幾人もの声とともにガタガタと部屋の家具が音を立てだした。いや、むしろ家具に限らず、万年筆や置時計が手足を生やして動き出した。考えてみればポルターガイスト&ものすごくホラーな状況だ。
 しかし、それに驚くわけでもなく目に見えぬ声の主達に智紀は軽く手を上げた。
「……その意見に激しく、賛成」
『クサヤかきさまぁぁぁ』
『つうか色ボケぇー』
『そうか! 「腐った竹」がなまって「くさたたけ……くさたけ……くすわぁたけ……くすうぃたけ、くすぃたけ、くぬぃたけ、クニタケ!!」というんだネ!!』
『セツメーながいね、キミ』
『ボケラーボケラー』
『あほがここにいるぞぉぉぉい』
『クサッタたけがぁぁぁl』
 部屋の四方からどこからともなく、様々な高さ太さの声が響いた。そして次第にそれら(・・・)は部屋の影からわらわらと出現してきた。
 長細い体の者や消しゴムくらいの大きさの者、毛むくじゃらもいれば、ぺらっぺらの者もいた。それは、世に言う異形の者、怪しき生き物達――妖怪であった。一見あまり統一感のない姿形の彼らだが、彼らには唯一つ、共通する特徴があった。それはどの者もなにかしら見慣れた家具や道具、日用品に似かよった特徴を持っていたのだ。
 普通の人なら夢に出てくるような風景である。少なくても20くらいはいるのでちょっと、怖いかもしれない。だが、ここにおいても智紀と邦雄はそんな気配をまったく見せない。突っ込みもなしだ。
 そんなちまちました妖怪達に囲まれた邦雄はしばらく彼らと睨みあうと、にこりと微笑んだ。
「九十九(つくも)神さん達、それはほめ言葉と受け取っていいかな?」
『いっぺんシンデコーイ』
 方々からものすごい笑顔(笑声?)でばっさり返される邦雄。皆声がそろっていてある意味すごい。変なハーモニーの出来た瞬間であった。
 すると、ふいに智紀が手を上げた。それに部屋中の者達が注目する気配がした。
「質問、死んだら兄ちゃんのこれは治るの?」
『さぁ?』
「誰かこの人を治してください」
『……』
 至極真剣に切実そうな表情で懇願する弟に哀れむような目を向ける、妖怪、九十九神達。ある意味、可哀想なのは邦雄、である。
「おい、今馬鹿に薬なんてねぇなどと言ったヤツ出てこいやぁ?」
 額に血管を浮かばせながら言う邦雄にもちろん、答える者はいない。皆そこいらを歩き回ったり、寝そべったりお互いに話し合ったりして知らん振り励行である。
 そんな彼らにぶつぶつとなにやら「オレの錦に対する気持ち、わからんねーかなぁ……」などとつぶやく邦雄。しかし、これも完全に無視である。
「……つーか田村さんの座布団用意してねーな」
 溜め息をつくと、ふいに部屋をくるりと視線をめぐらせて邦雄は言った。
「あ、ほんとだ。どこいったけ?」
 兄の言葉に同じく部屋に視線をめぐらすと、智紀は頭をかいた。
 本当はすでにこの部屋に持ってきているはずなのである。掃除をした後に忘れないうちにと、智紀が用意したはずなのだが……実際は部屋にない。
『コッチ コッチ』
 下から声がして振り向くと、そこには木の葉に手足が生えたようなものが三匹、大型犬用より一回り大きい座布団を一生懸命運んでいた。座布団に埋もれ……もしくは潰されそうでぷるぷると懸命にそれを差し出す彼ら。
「さんきゅー木魂(こだま)小助、大助&中助」
 邦雄がそう笑顔で言うと小さな葉っぱのような生き物――木魂から犬用のふっかふか座布団を受け取った。明らかに妙であるが突っ込みは入らない。ここでも入らないのである。
 そもそも彼らの家では、物が長年を経て妖怪になった九十九神や、木の精である木魂などといった妖怪や精霊の存在は普通なのである。それは妖怪学者の血筋である彼ら、正岡兄弟には日常的なものなのだ。
「田村さんかぁ……」
 湯気のたったお茶を一口飲むと、感慨深げに智紀はつぶやいた。
「家に来たのってあの日以来だよね」
「まあな」
 テーブルにあるコップをつかみながら邦雄もそれを口に入れた。
「確か……えーっと」
 うーん……とうなりながらガサガサとポテトチップスの袋に手を入れ、ふいに智紀は思い出した。
「あの日だ!」

「「人面犬についての勉強会の日以来」」

 二人の声が重なった。
「だな」
「ちょくちょく会ってはいるのになぁ」
 少し不思議に思いながらポテトチップスをつつく智紀。一気に二枚ほど口に入れた。
「ああ、そう言えばないよな、最近田村さんがうちに来ることって」
 続いて邦雄も袋の中を探ると、三枚口に入れた。
「うん」
 次に智紀が袋に手をつっこむと四枚も取ってしまい、一瞬躊躇した後彼は片手でに三枚乗せ、一枚を口に入れることにした。それを見た邦雄はさっと袋に手を突っ込むと今度はポテトチップスを五枚つかんで一気に口の中に放り込んだ。
 そんな彼にむっときて、智紀と邦雄しばらく睨みあった。そして数秒後、勢いづいて競うようにバクバクとポテトチップスの袋に手を突っ込んでは口に入れ始めた。
 そんなことが幾度か繰り返され、すべてなくなった頃ふいに彼らは九十九神と木魂達が静かなことに気づいた。見ると彼らはドアの方へ皆向いている。
 それにはっとすると、口の周りについたポテトチップスを邦雄と智紀は慌てて取り、ティッシュで口を拭いてゴミ箱に入れた。そしてポテトチップス袋もゴミ箱に詰め込むと何気ない様子でソファに座ったりイスに座った。



『キタヨ』




 

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