二月の話

〜『正岡家と妖怪』番外編的なもの〜

[2]

カチャ
「ただいま、邦雄、智紀」
「おかえり父さん」
「帰りー」
『おかえりー』
 彼らは入ってくる人影を見て言った。邦雄達の父と見られる壮年の男性は部屋を見て、安心すると後ろを振り返った。
「泪さんどうぞ」
 そう言って後ろから現れたのは四つ足ついて小学生の子どもくらいの背丈。ゴールデンレトリバー特有の艶やかなな毛並。そして人の良さそうな可愛らしいと言っても語弊はないくらい綺麗な顔立ちを持つ人面犬だった。  見た目誰もが振り向くような美人(犬?)な彼女は、可憐という言葉がよく似合っている。
「田村さん、お久しぶりです」
「こんにちはー、こっちにどうぞー」
 邦雄と智紀がそれぞれあいさつをして田村さんの所に行くと、席を勧めた。そんな彼らに嬉しそうに柔らかな笑顔を田村さんは二人に向けた。しかし……

「ほんど久しぶりだすなぁ。ありがどー」

 見た目の可憐さとはかけ離れたおっさんのような低い濁声とそれを助長する言葉使いが部屋に響いた。

「………………」
「……智紀、固まるな?」
「だ、て、さ……」
 呆れ顔の邦雄と少し泣きそうになる智紀。しかし何とか耐える。
「どうかしたのだすが? 気分でも悪いが?」
 慌てて駆け寄ると、優しい田村さんは心配そうに顔を近づけた。しかし、それは少しよくなかったのかもしれない。美人な彼女が近づきすぎたため智紀は別の意味でまた固まってしまった。
「いえ、こいつ。久々に田村さん見て感動してるんですよ」
「そんなにうれしいだすか? そんな……わだすもうれすいな」
そう言う彼女は邦雄の言葉に実に嬉しそうに微笑んだ。
「……いいの? 嘘ついて」
 智紀はこっそりと田村さんに聞こえないくらい小さな声で邦雄に呟いた。
「いや、田村さんを目にして感動(・・)しただろ? 間違っちゃいねー」
 振り向かずに答える邦雄。するとぽんっと智紀の肩に手を置くと、彼らの父がそっと話しかけてきた。
「それよりもいい加減慣れろ。いつも見てるだろ」
「……善処します」
 少し落ち込んだ智紀にふっと父は笑いかけてそのまま、田村さんの方へ向いた。
「ということで、私は用事がありますのでこれで……どうぞごゆっくりしていって下さい」
「父さんもう仕事?」
「ああ、色々調査書を書き上げないといかんから」
「お忙じいどころすみまぜん。お仕事、頑張っでくだざい」
「ありがとうございます、では」
 にっこりとお辞儀をすると、父はドアの向こうへ消えていった。
「それにしてもほんど、久しぶりだすね」
 邦雄と智紀がソファなり、イスになり座るのを見届けると田村さんはにこにこしながら話しかけてきた。なつかしいのか、彼女は時折部屋の片隅を見ては微笑んでいた。
「そうですねー」
 智紀もうなずきながらソファに座った。
「あの頃から邦夫ぐんはぢっぢゃぐで面白がったね」
「面白いですか?」
 智紀の隣に座った邦雄は急に自分の過去の話をされ、頭をかしげた。彼としてはあまりおかしいことをやった覚えはない。
「うん、『おっさんの声まねすげぇーっ』って目をきらめかせでながらガタガタ震えでだ」
「うわ……オレって変なヤツ」
「「変なのは昔からだよ」」
 同時に弟と田村さんにはっきり言われ、閉口する邦雄。そこまで変人扱いされていたとは露ほども思ってなかったのである。しかも今でなく、小さい頃も込みらしい。
「そごが魅力でもあるよっうん!」
 慌てて田村さんは微妙なフォローをするが、邦雄はなんとも言えない気持ちで苦笑いした。少ししょぼくれたかわいそうな邦雄である。
するとそう言えばと思い出したように田村さんは智紀に向いた。
「智紀ぐんはわだすを見るなり泣いでたね」
「うっそれは……」
 痛いところをつかれたように智紀はうめいた。むしろ泣きはしないものの、先ほど泣きそうになったのでなおさら気まずい。幼心にその衝撃はすごすぎかったらしい。
「しょうがないだすよ。わだす、声、変だがら」
 そう言ってにっこり智紀に微笑みかける。智紀の心を察していたのだろう。
「いや……その」
「智紀ぐんは正直などごがいいの。わざと隠さなぐでもいいのよ」
 そう言って穏やかに笑う彼女の目はとても優しく智紀を見ていた。
「怖がるのはだいじょうぶだすから。そんな智紀ぐんが好ぎよ。……ちゃんとわだすの目を見てくれる゛もん」
 美人な上、そんな言葉をくれる彼女に智紀は少々照れた。再び微笑むと、ふいに田村さんは邦雄と智紀に向き直った。
「ぞうぞう、実はね。ゾウダンがあるの」
「相談?」
「うん……ぞの」
 言葉を濁す田村さん。どうやら言いにくい内容のようでその瞳には迷いが見える。そんな彼女を二人は気長に九十九神が持ってきたお菓子を食べながら待った。何気に九十九神達をパシっている正岡兄弟だが、そこは気にしてはいけないことである。
「もうずぐアレ、だよね……」
「あれ?」
 田村さんの言葉にしばし、考える兄弟達。現在は冬、一月ももう終わりに近づいて特別行事なんてものはないはず。ということは、二月の行事ということだ。するとふいに思いついたように邦雄は言った。
「ああ、あれ?」
「う、うんぞれ」
「へー」
「ぞれで……」
「えーっと――――節分の?」
「…………………」
「違った?」
「……゛いえ、ごめんなざい。違うの」
 ちょっとがっかりしながら笑うと田村さんは首を振った。確かに節分は近いがj彼女の言いたいのはその行事ではなかったのだ。
 彼女が智紀の方へ向くと丁度なにか思いついたような顔をしていた。期待をこめて彼女は彼に目で問うた。
「初午じゃない?」
 今度は明らかにがっくしときた田村さん。そう来るとは思わなかったようだ。
「いや」
 今度こそはと、思案顔で言う邦雄に振り返ると田村さんは気を取り直して彼に期待を託した……が。
「田村さんと関係ないっしょ」
 すっぱりと言う邦雄。そういう問題ではないと田村さんは言いたかった。だが、かと言ってなんとなく自分の口からはなんのことかは言えない。重い溜め息をついていると、九十九神達と木魂達が次々と一緒になって当て始めた。
『じゃあ針供養―』
「田村さん針使わない」
「ああ、じゃあ……建国記念日?」
『ユキマツリー!』
『いぬのひー』
「如月灸か?」
「いや、事八日かもよ」
― ねぇ、どうしてぞこまで的外れな行事ばかり思いづぐの? ―
 この兄弟の二月の行事に思いつくもののレア度に涙が出そうな田村さんであった。確かにこれらはすべて……いや、約一つを抜いてだが二月の行事である。だが、一般の中高生はおそらく知らないものばかりだ。特に事八日なんてかなりマイナーだ。いっぱしの健全な学生男児として、なにか欠けているものがあるかもしれない正岡兄弟であった。
「ああ! バレンタインか!」
「ぞれっ」
 やっと出てきた目的の言葉に田村さんは飛びつくように言った。ちなみに当てたのは邦雄である。
「今年は錦、なにくれるのかなぁっ」
「義理だよ?」
 うきうきと窓のカーテンを開けると隣の家を向く邦雄に智紀がみもふたもない言葉をお見舞いする。その瞬間ぴたりと邦雄の動きが止まった。
「……お前が言うとちょっと兄ちゃん、むかつくかもよ?」
 くるりと智紀のほうに向き直る邦雄はにっこりと笑っていたが、目は……
「彼女と両思いだからって調子のんな? 中坊のくせに」
   本気で怒っていた。
― あ、やっぱり気にしてた? ―
 ちょっと、びびる智紀であった。やっぱり兄は兄で怒ると怖いのである。
『それでバレンタインがどうしたの?』
 ペン立ての九十九神がとことこと田村さんの方へ歩きながらお盆を上に上げて彼女にお茶を差し出しながら言った。ちなみに湯飲みではなく、飲みやすく犬用のお皿である。部屋の中にいる九十九神達もその言葉に田村さんに注目した。
「そう、うん。その……キーさんにあげだいなぁ……なんて、思っでで」
 田村さんはもじもじと小さな声でかろうじて聞き取れるくらいに言った。特に『キーさん』のあたりが小さくなっていた。
 乙女なことを相談する、おっさん声。見た目はともかくおっさん声の彼女は、いろんな意味で彼らの思考を停止させた。九十九神たちや木魂も黙ってしまう始末である。
「……」
「……」
「本命チョコを?」
「うん」
 最初に言葉を切り出した智紀に赤くなりながら、ぶんぶんと首を縦に振る田村さん。
「いーんじゃね?」
「そっかぁやっぱ田村さん、キーさんのこと好きだったんだ」
 妙に納得しながらうなづく兄弟に余計赤面する田村さん。一瞬口をつぐむと口に出すことを躊躇うように恐る恐る、彼女は言った。
「で、でもね、わだす、声変だすぃ、人面犬だすぃ……」
徐々に言うに連れ、諦めたような笑いを浮かべる田村さん。
「顔が少すマシなだけの女だがら」
「田村さん」
   ふいに彼女の言葉をさえぎって邦雄は言った。田村さんが彼のほうへ向くと、邦雄は溜め息をついて真剣な表情を彼女に向けた。
「なにもする前に自分をけなして……諦めて、どうするんですか?」
 その言葉にぺこっと耳をふせて、うつむく田村さん。九十九神達はじっと静かにして邦雄を見ていた。
「その方が、外見よりも声よりも人面犬とかなによりも、オレは問題だと思う。なにもしてないのにうじうじして、自分は駄目なんだよねーって笑う奴、かっこ悪い」
 そこまで言うと、邦雄はお茶を飲んだ。あたりはしばらくシンと静まり返った。音がするのは他の部屋にいる九十九神や妖怪たちが動く音くらいである。
 するとふいにうなづくと田村さんはぱたぱたしっぽを振って笑顔で邦雄の方へ向いた。その途端部屋の九十九神や木魂達も話し出した。
「そうだすね! わだす、あきらめまぜん!
」 『クニオイイコトイウー!』
『おれ、久々に邦雄を見直したぜ』
「うん! 錦ちゃんに十年以上フラれ続ける兄ちゃん本人が言うんだから説得力あるよ!」
「おい、今日はえらく調子いいな、智紀?」
 再び目の色を変えた邦雄に睨まれ、慌てて顔をそらす智紀。錦関係のことになると彼は怖いのである。本気で怒ってくるから。
「そ、それに田村さんは顔だけじゃないよ」
 田村さんの目前にきて避難すると、智紀は気を取り直すように視線を合わせた。大きな体躯なだけに、かがみこむだけで丁度よい位置になる。
「心根も綺麗な人だって俺ら、知ってるから」
 そう言う智紀は微笑んだ。
「あり、がどう……」
 照れたようにしっぽをぱったぱたふる田村さん。
 しかし、そんな彼女をよそに智紀は見えないように苦笑いすると、丁度こちらを向いていた邦雄と視線がぶつかった。そんな弟に共感したのか、邦雄もふっと苦笑いした。
― でも田村さんと付き合うには訓練は必須だよね ―
― 言ってやるな…… ―
 目と目で会話を成立させてしまった邦雄と智紀だった。
「つーか、問題はキーさんだよなぁ」
「うん、あれはハードル高い」
 田村さんの頭をなでてやると邦雄の言葉にうなづく智紀。
「だって……」



「斬る」


 突然そんな声が聞こえたかと思うと開いた窓から風が吹き込んできた。





 

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