二月の話

〜『正岡家と妖怪』番外編的なもの〜

[3]

 風のせいで机の上に置いてあった紙の一部が部屋の中を舞った。
 木魂達が短い悲鳴をあげる中、鉛筆の九十九神もその風にあたり、あ〜れ〜と言いながら転がり落ちる。

「あははぁ〜なーにやってんだーい? 先に転ばさないとダメっしょ?」
「室内で暴れすぎっすよ。アタシが治せるのは傷だけなんすよ?」

 そう言う声が聞こえたかと思うと、いつの間にか直立歩行の鼬(いたち)が三匹部屋に立っていた。そのうち一人は両手の爪が刃のように鋭く、きらりとそれを光らせていた。もう一人はのん気そうに笑いながら片手に棍棒(こんぼう)で肩を叩いており、三匹目はなにやら小さな壷を肩からひもで下げ、越しまわりに小さなポーチやら瓶をバンドで吊り下げていた。

― 出たっ! 三重人格鎌鼬(かまいたち)、キスケもとい、キーさん! ―

 正岡兄弟および九十九神と木魂達の心の声がシンクロした。
「なんてタイミングな……」
 智紀はこの彼の出現に溜め息をついた。
「あ、泪さんいたっすか。こんにちは」
 ふいに壷をさげた方のキスケ――薬師(くすし)の杞輔(きすけ)が田村さんを見て会釈をした。すると、他の二匹もちらりと田村さんを見た。三匹のキスケに見られた彼女はというと、こくりとうなづいて少しうつむいてしまった。おそらく彼女の顔は赤面しているのだろう。
 そんな彼女にかまうことなく、他の二匹は邦雄たちに向き直った。
「恐れ入るが邪魔させて頂く」
 これは両手が刃の、斬り手の玖介(きすけ)。なぜか手持ちのヤスリで刃を研ぎ始めている。
「お邪魔するよーん」
 こちらは棍棒を持っている方、転(まろ)ばしの憙助(きすけ)だ。ぶんぶんと棍棒を振り回しながら笑っている者だから危ないことこの上ない。
「ってなんでキーさん俺らんちにきたの?」
 そんなキスケ達を見ると、不思議そうに智紀は尋ねた。
「それも本来体一つなのにわざわざ分身までして……」
 邦雄も彼らをしゃがみこんでキスケ達を見ると、ちらりと田村さんを見た。
「なんとなくー?」
「まぁ強いて言えばっすね……」
 意味ありげにキスケはお互いを見合うと、邦雄達を見てにっこり笑った。妙に三者とも同じような気になる笑みである。
 するとなにかを質問する前に棍棒のキスケがすっと動いた。
「と、言うことでさっそく!」
「はい?」
 邦雄が言うと同時に彼の上に影が降りてきた。
「転ばすー!」
「斬る」
『ふぎゃもほぉぉぉぉぉぉお!』
 ありったけの反射神経と本能ですんでの所で避けた邦雄。代わりに九十九神の誰かが悲鳴を上げた。
「ああっ先にちゃんと断りをいれないとダメじゃないっすか!」
 そう言いながら溜め息をつく薬師のキスケ。言葉とは裏腹に目がキラキラ、うきうきと薬壷に手を入れている。
「キーさん! 手当てっ」
 なんとか避難できた智紀は負傷した九十九神達を見た。
「言われなくてもできてるっすよ。伊達に鎌鼬の薬師やってないんで」
 そう言う彼をよく見ると、微妙に薬壷に入れている彼の手が動いている。……いや、ぶれていた。実は目にもとまらぬ速さで薬師のキスケは怪我をした妖怪達の傷口に薬を飛ばしてつけていたのである。
「さ、さすが薬師の杞輔(きすけ)ですね。えーと……ありがとうございます」
 それを聞くやいなやにっこり笑うと、薬師のキスケは他のキスケとともに風のように部屋を駆けた。
「転ばすー!」
「斬る」
「治しました」
 三者の声が誰かを転がしては切り傷を作り、それを治していく度聞こえた。その後には必ず誰かの悲鳴つきというお約束まである。
「転ばーす!」
「斬る」
「治しました」
 今度は部屋の机の方から悲鳴が聞こえた。おそらく、ノートの九十九神だろう。元は生き物ではなくても鎌鼬の薬師にかかれば傷は治るらしい。
「転べー!」
「斬る」
「治しました」
 次は床に転がっていたスリッパの九十九神達がターゲットになったらしい。それでもちゃんと傷は治っている。
「転がれー!」
「斬る」
「……ふう」
「『……ふう』じゃねぇ! オレの手当てはっ」
 今回はとうとう邦雄が標的になったらしく、肩をたたきながら一休みする薬師のキスケを捕まえると彼は斬り口を見せた。左の手の甲がぱっくりと開いていて、少々痛々しい。
「アタシ、少々疲れました」
「お前は一番重要な役目じゃないかぁぁぁぁぁ!」
 ふっと目を細めながら、ちょうど今コップの九十九神が持ってきたお茶をすする薬師のキスケ。そうこうしているうちに叫ぶ邦雄の切り傷から血がにじみ出てきた。
 すると再び転ばしと斬り手のキスケが恍惚、そして喜々とした様子で邦雄に向かってきた。
「転んぶすー!」
「斬る」
「のぉぉぉぉぉぉ!!」
 そんな哀れな叫び声を上げる兄を智紀は部屋の外から待機して、ドアの隙間から様子を見ていた。実はなにげに田村さんを連れて避難していたのだ。ついでに九十九神の数人と木魂兄弟もなんとか一緒に救い出せていた。しかし結果的に邦雄を囮としてしまっている。
 そんな兄の犠牲に感謝しながら智紀はひたすら心の中でエールを邦雄に送るのだった。
「っていうかさ、仕事時は分身してるけど、あれ、みんな同一人物なんだよなぁ。わかりにくいけど」
「そうだすね……」
 ふいに智紀が言うと、後ろの田村さんもこっくりうなづいた。
 そんな彼女を見て、ついさっきまで彼女から相談を受けていたことを思い出して智紀は考え込んだ。まずは転ばしの憙助(きすけ)を思い浮かべてみた。
「憙助(きすけ)さんは能天気で子どもっぽい……悪戯好きな人だし、生きがいが遊びまくることだから恋愛とか興味なさそうだよなぁ……」
 ダメだなと思い、次に彼は斬り手の玖介(きすけ)を思い浮かべた。
「玖介(きすけ)さんは切り傷フェチで……って結構怖いよ」
 今度は即、彼は無理と判断したらしい。しかもついでに智紀は前玖介(きすけ)と話したことも思い出した。
「前、赤切れについて力説されたしなぁ。あれは綺麗じゃないとか、もうちょっとすっと切れるべきだとか……」
 望みを早速残る薬師の杞輔(きすけ)に託し、彼は考えてみた。
「杞輔(きすけ)さんは人の傷をいかにすばやく綺麗に、一滴の血を出さないよう癒すかに情熱を捧げてるし……」
― いや、なんかもうすごいメンバー ―
 乾いた笑みが智紀の顔に広がった。
「……わだすは、ぞの……き、キーさんは一人どしが……考えだごど、ない、がら……ぞの」
 ふいに独り言に近い智紀の言葉を近くで聞いていた田村さんがしどろもどろという感じで言った。
 智紀と九十九神、木魂ブラザーズが彼女を見ると、恥ずかしくなったのかまた顔が赤くなっている。それでもしっかりと飛び回るキスケ達を見ると、彼女は言った。
「……結局はみんな、キーさんだがら」
 そう言った言葉には迷いなく、はっきりとした響きがあった。
「まぁ……記憶はどのキーさんも共有してるし、なんていうか、基本的には悪い人じゃないんだよな、どの人格も」
『問題ハ田村サンニ振リ向クカダ』
 智紀に続いて木魂の一人が言うと、こくこくと九十九神と他の木魂はうなづいた。
― それにしてもほんと、どの人格も趣味に走ってる、よね ―
 再び部屋の中を見ると、まだ邦雄が鎌鼬達と格闘しているようだ。なんとか邦雄は切られてはいないようなものの、せっかく綺麗にした部屋の中が散らかってしまってる。
 そんな彼に嬉しそうに三匹が飛び掛っていた。
「転ばすー!」
「斬る」
キィ……
 ふいに後ろで気配がして智紀がふり返ると、隣りの家にいたはずの幼馴染、錦が部屋のドアを開けて中の様子と、智紀達を見比べながら困惑した様子で立っていた。
「あの……どうかし……」

「危ねぇ!!」

 そんな声とともに錦の目の前に邦雄がばっと現れた。その後ろでキスケ達が跳んでくるのが見えた。
ドンッ
「大丈夫か錦?! 怪我はっ」
 心配そうな声とともに錦の両手をつかむと、邦雄は怪我をしてないかさっと見て彼女に尋ねた。驚いてその場にしゃがみこんだ彼女に向けたその表情は真剣そのもので、少しばかり、普段はあまり表情が顔に現れない錦でも彼にあっけにとられていた。
「……大丈夫」
 ようやく錦がそう言うと安心して邦雄は彼女を離した。部屋の中にいる九十九神達がそろそろと出てきて、彼女らの様子を見に来る中、錦は三匹の鎌鼬を目にとらえた。
「キーさん来てたんだ」
 邦雄の後ろに控えている三匹のキスケを見ると、錦は無表情の顔を少しほころばせた。これが彼女のなりの微笑である。
「錦お嬢」
 ふいに目の前にガシッと彼女の手を誰かが持った。斬り手のキスケである。見ると彼はうっとりと彼女の指を見ていた。
「この玉のような肌、なめらかな肌触り……そして」
 錦の人差し指をそっと触れるとほうっと彼は溜め息をついた。
「美しい切り傷……」
 見ると、確かに赤切れ程度の切り傷があった。しかも治療済みで血は出ていない。その傷の存在に気づかなかった錦は驚いてまじまじと傷を見た。
「これから是非、是非とも拙者とご懇意に……」
「おい、切り手のキスケ」
 目をきらめかせて錦に熱い視線を送る斬り手のキスケの言葉をさえぎって、がっと彼のつかむ者がいた。
「よくも錦を傷ものにしてくれたな?」
 後ろを向くとそこにはものすごくにこやかな表情を向ける邦雄。むしろ空恐ろしいほどの笑顔が彼の顔にはりついていた。そんな彼に斬り手のキスケは少々、怖気が背中を走った。
「ぶっ殺す」
 その言葉が発せられるやいなや、風が舞った。
「……智紀くん」
 部屋の中で暴れまわる邦雄と斬り手のキスケと、それを茶化して発破をかける九十九神達、めちゃくちゃになる部屋を見ながら錦は智紀の方へ振り向いた。
「キーさん達は暴れはしたけど、部屋が荒れるほどじゃなかったのに……」 
 頭が痛いと手を当てる智紀をなんとかはげまそうと錦は心配そうに見やる……が。
「んはは〜玖介頑張れ〜。つうかわっちも参加! いぇ〜い」
 そばでそれまで傍観していたはずの転ばしのキスケまで乱入しだした。
「゛う、わ……」
「……部屋が」
「もう、俺知らない」
 戦々恐々と部屋を見る田村さんと錦に、乾いた笑いを浮かべながら疲れた声を智紀は出した。
 そんな落ち込んだ彼を見ると、一瞬躊躇った後錦はすくっと立ち上がって部屋の中へ入った。
「邦雄」
 そう言った途端、思わず彼女はすてんと転んだ。見事なこけっぷりで、スカートをはいていたなら危なかっただろう。幸いなことに彼女はズボンをはいている。
 彼女がもう一度立ち上がると、横を風が通り、再び前のめりに転ぶことになった。今回もまた、妙にこけ方がよかったのか、傷一つない。
 やっとのことでなんとかふらつきながら邦雄のところまでたどりつくと、錦は彼に声をかけた。
「邦雄」
 そう言った瞬間、またこけそうになってがっと邦雄の腕を錦はつかんだ。
「……な、に?」
 邦雄の動きは瞬間、ぴたりと止まった。驚いて振り向くと、邦雄の至近距離に錦の顔。
「怪我したら大変だから、やめて」
 頼み込むような表情をされて思わず、邦雄は顔がゆるんで勢いづいて抱きつこうとした。
「そんなにオレを心配してっ!?」
がしっ
「九十九神ちゃんと木魂ちゃん達が心配なだ、けっ」
 すんでのところで彼の両手をつかんだ錦は精一杯の抵抗をした。
「さっすがは錦ちゃん。わっち達でも大変なのに手馴れた様子で邦っちを止める。すっごー。しかもこけっぷりもいいしぃ」
「うむ、切り傷といい美しい娘だ」
「確かにすごいっすね。血の止まり具合もいいし」
 三者同時にうんうんとうなづく。実は先ほど錦がこけていたのは転ばしのキスケのせいであったのだ。まったく悪びれもしない、むしろ誇らしげな三匹である。妙に好かれてしまった錦だった。
「錦は渡さないぞっ!!」
「……私は邦雄のものじゃない」
 つかんでいた手を逆につかまれた錦は顔をしかめながら邦雄の手をどけた。
「テレた錦もかわいいな」
「照れてない」
「ちょっと怒り気味な顔もすっげぇ、かわいいよ」
ガタッ
 足元に落ちていた本に錦は思わずこけかけた。
「今度は照れたな?」
「ウザいっ」
 にこにこと笑う邦雄に顔を歪ませる錦。
「いやはやラブラブっすね」
 そんな彼らに薬師のキスケがのんびりと言った。
 錦たちがふり返ると、そこには鎌鼬のキスケ達と九十九神達がじーっと彼らを見ていた。その後ろで智紀は床に散らばったゴミやら本やらを、他の九十九神と木魂達と一緒に片付けていた。田村さんまで倒れているものを直すのを手伝っている。
「見ておられん」
「桃色の〜とーげんきょ〜」
 そう言いながらめちゃくそ見ている斬り手のキスケと、歌まで歌いだした転ばしのキスケ。おまけにニヤニヤひそひそとささやき合いながら錦達を見る九十九神達。そんな彼らにますます、顔をしかめる錦だった。
 ニヤニヤしながら錦と邦雄を見るとキスケ達はお互いを見合わせてうなづいた。
「「「ということで……」」」
 次の瞬間、ポンッという音とともに目の前には一人のキスケしかいなかった。顔つきからすると、薬師のキスケのようだ。
「お邪魔そうですし、退散することにするっす」
「あ、一体になった」
 丁度ゴミを回収しに来た智紀が薬師のキスケを見ると言った。その後からアヒルの子みたいに、九十九神達が後ろから他のゴミや落ちたものを拾っていった。
「杞輔、玖介に縄つけとけよ?」
 にこりと笑うと邦雄は言った。その声には少々威圧感がある。
「そりゃ無理っす」
 そんな彼にすっぱりきっぱり爽やかに笑顔で言い放つ薬師のキスケ。その言葉とともに風をまとい、次の瞬間彼は消えた。
「キーさん……」
 その部屋にいる九十九神達と邦雄達は各々、キスケの消えた先を見るとふっと同じことを思った。
― 片付け手伝えよ ―
 多少智紀と田村さんと九十九神達が片付けたものの、部屋はまるで嵐が去った後のようだ。再び大掃除をしなければいけないだろう、しかも客室なだけに大変だ。
 ふいに智紀がふり返ると、ふるふると田村さんは震えていた。
「あんまり相手にざれながった……」
 キスケが消えていった先を見ながらつぶやく田村さん。ちょっと落ち込んでいるらしい。
「大丈夫?」
 そんな彼女に錦は心配そうに声をかけた。
「実はさぁ、田村さん、キーさんにチョコあげようって悩んでたみたいなんだ」
「そうなんだ……」
 邦雄の言葉に錦は田村さんを見た。はずかしそうにぴくぴくと耳を動かすと、少しばかり田村さんは赤面した。
「で、でも、やっでみないどわがらないよ、ね」
「うん、まだ、諦めるのは早い」
 自分に言い聞かせるように言う田村さんに微笑むと、錦はそっと彼女をなでた。
「……今考えたんだけど」
 ふいに智紀が言った。隣にいる邦雄も智紀と同じことを考えていたらしい、彼と視線を合わせるとうなづいた。すると九十九神達と田村さん達も彼に注目した。
「キーさんのどの人格にも好かれそうなタイプってさ……」
 その言葉の後を継ぐように一気に邦雄が皆に話した。
「めっちゃ派手にこけるけどある程度しか怪我しなくて、お肌綺麗だから切り傷も綺麗で、それを何度もする人?」
「……」
「……」
「……」
「……」
 自分の姿を見る田村さん。顔を合わせる部屋の中の九十九神と邦雄達。それから田村さんをじっともう一度見る皆。

― 体毛が邪魔でこけても切り傷どころか打撲ぐらいしかしないよね ―

「……全身さんぱづしようがなぁ……ぐすっ」
「だ、駄目だ!!」
「早まらないでくださいっ」
「た、田村さんっ」
『邦雄ト智紀ガ人面犬泣カシター』
 涙声の田村さんを止める智紀と邦雄と錦、それをからかう九十九神と木魂の声が部屋に響いた。

* * *

 そんなこんなで結局、必死に全身散髪を思いとどませるまで何時間もかけて邦雄達は田村さんを説得したと言う。いやはや、田村さんのバレンタインはどうなることやら。それは田村さんのみぞ知る。




 

<<<Back <<Top>>