[α]
* * *
「純粋なんだねー。すっごく強い人間だっ
たんだ」
ころころと転がすと尸童はそっとつ
まんではつついて、愛おしい者を見るように甘い声で言った。今は歪んだ声ではなく、人間の持つ少女の声で。姿も少女の
姿になっている。
「最後に欲が出たけど、ああまでしても結局のところ、好きな人を引きずり込まずに済むなんてね」
まだ手の中で玉をもてあそぶ尸童を
見ながら言う化野。「あそこまで行っ
たら、相手は普通なら死ぬはずなんだけどね。坊ちゃんも悪運が強い」とくすりと彼女は笑みを深めた。
そんな彼らを黙って見ていた四十九願は
不意に溜め息をつくと、彼らを横切りある物の前に来た。そこには直径三メートルほどの底の浅い円形の水溜めがあっ
た。地面に埋め込まれた銀色の縁は膝くらいの高さがあり、人が座るのに十分な幅もある。そして、その水溜め場の縁には幾何学的な文字のような模様のような
ものが描かれていた。
彼らが現在いるのはそれ以外なにもない。四方が木々で囲まれた広場みたいな場所だ。空は青く、雲ひとつない。不思議なことに、風の音しかしない、鳥の囀
りもない場所だった。
「尸童」
水溜め場を凝視しながら四十九願は
声をかけた。だが、声をかけられた本人は玉に夢中なのか、嬉しそうににやけているばかりである。そんな相手にすっと彼
は目を細めた。
「聞いちゃあいないわね」
黙る彼を化野は肩をすくめながら、
手に持った幾つか線と穴が入ったカードをひらめかせた。そして水溜め場の何かを探すように腰をかがめた。
「ああ、ほんと……」
恍惚とした言葉をもらすとともに尸童は
鉄が溶けるようにその瞳の色を深い紫色に――……
「食べるな」
ずんと響くような四十九願の言葉に
ピタリと尸童の
動きが止まった。
しばらく風が止む。
「……」
尸童の人差し
指と親指の間にはつまみ上げられた黄色の玉。それは、尸童の
大きく開けられた口に入れられる寸前で止まっていた。
玉と口の間の距離はほぼ、ない。
「必要ないだろう」
再び言う四十九願は静かに玉を一瞥
すると、どかりと円形の水溜め場の縁に座った。
そんな彼らの間にしばらく沈黙が下りた。
しかし固まったままの尸童は
ふっと笑うと、口を大きく開けたまま空中に円を描くように玉を放り投げ――
「食べないよ」
パクっ
口のような形を作った両手で受け止めた。
「だっテ彼女、もう少シシたらワタしと同類になッタんだかラ。ワタシ、同類にハ優しーヨ」
楽しそうに言う尸童の
声は歪んだ不規則なトーンを持つ声に変わっていた。
無邪気にけらけらと笑うと尸童は
ぽいっと玉を上空に投げた。
パシッ
「うわっ尸童と
同類って……ご愁傷様」
右手で何かを掴むと化野はげぇっと
顔を歪ませながら、手の中のものを覗き込んだ。そこには黄色に仄かに光る玉。
それを確認すると、彼女はおもむろに左手に持ったカードを水溜め場の縁で二重に円が描かれた模様の所に押し付けた。
するとそれは難なく縁に飲み込まれた。
途端。
水溜め場の水面の中心から波紋が幾重にも広がった。キラキラと日差しに煌きながら。
それが静まった頃、水面には何かが映っていた。病室である。そこには高校生に成り立ての少年がベットの上で起き上がった状態でいた。どうやら彼の母と思
しき女性と話しているようだ。
『七ヶ月も体動かしてないと、こんなに体が動かなくなるもんなんだな』
『そろそろ退屈し始めた頃かしら』
「水鏡、チャンと機能シタよウだね」
にこにこと笑みを浮かべながら尸童は
水溜め場――水鏡を覗き込んだ。
「と言うよりあの者はお前にはまだまだ程遠いだろうが」
四十九願も水鏡に映った少年を見な
がら、水面すれすれまで顔を近づける尸童の
頭を掴んだ。あと一歩遅れていたらかなり危うい体勢になってい
ただろう。
「マ、でも近くなくモないと思ウけド。でも確かに彼女ニハ足りなかった。
人ヲ呼ぶ力とそして――――モット純粋さガ」
顔を掴まれたまま尸童は
無邪気に化野が持つ玉を見た。異常と
言えるほど恐ろしく澄んだ瞳で。
「……いい加減に後ろに下がれ尸童」
溜め息をつくと四十九願はぐいっ
と、反動をつけて尸童の
頭を後ろに下げて離した。
「四十九願のケチんボー」
「いやいや、あんたこのままじゃあたしの仕事の邪魔。どけどけこのジャマンバめ」
何が楽しいのか前後に揺れながらけらけらと笑う尸童に、
ぺちぺちと頬を手の甲で叩きながら横へ押しやる化野。
「ま、じゃあリサイクルといきます
か」
そう言うと彼女は玉を持ったまま水鏡に手を入れた。
ぽちゃ……
水面が淡い虹色に揺らめく。
「行ってらっしゃいな」
その言葉と同時にすうっと手のひらに乗った玉が動いた。
「お前らの悪趣味とは実に気が合わんな」
黄色い玉の行方を見ながら四十九願は
顔をしかめた。ゆっくりと水鏡に映った彼らに降りていくその玉はどうやら親子やまわりの者には気づいていないのか見
えていないのか、そのまま降下していた。
「でも成功すルノは『神』の意向シダいダヨ」
ウキウキと水面に映った光景を見る尸童は、
これから起こるエンターテイメイントに心を躍らせた。
その先には母親の腹。黄色の玉はそちらへ向かっていたのだ。
すうっと溶け込むように母親の腹に入る玉。その一瞬前――少年の顔に驚愕の表情が見えた。その視線は彼の母親の腹に。
「どうやら成功かしらね?」
固まったまま母親の腹を凝視する少年を楽しそうに見ると、化野は
後ろにオッケーサインを送った。
『母さん』
『何?』
『そのお腹、どうしたんだ』
『実はね……』
少年に母親が嬉しそうに話す姿を見ながら、化野は
微笑んだ。
「怖いわね、人の縁って?」