[郷に来たらば郷に従え]
[2]

* * *

 タカミツさんに連れられるままに私は玄関を出て、通りの前へ出た。そこには艶やかなボディーと存在感のある綺麗な黒い車。ただの黒い車にはない、威厳みたいなものを感じられる所を見ると、おそらく高級車なのだろう。私はさほど車には詳しくないけど……ベンツではないと思う。誰の車だろうと、高級感溢れるその乗り物に内心感心しながら通り過ぎようとした。しかし、どうやらそれがお迎えの車だったらしい。まさかのお迎えの車の輝きに少々当てられかけたが、なんとか私はあきれた顔をするだけに留まった。こんなもの程度で参ってたらお終いだ。
 近所の誰かが見てそうなのだが、珍しいことに今は人通りがまったくない。そんなことを思いながら溜め息が出そうになるのを私は禁じえなかった。
 結局、私は携帯電話と充電器、タオル、身だしなみを整えるなど必要最低限のものを急いでカバンに詰め込んで早々に家を出たのだ。あそこまで、すべて準備が整っていると言われてこれ以上ここに留まることができなくなった。タカミツさんの手前もあるし、もう、父の笑顔が空恐ろしくてならなかったから。母と兄は哀れむような視線を送りながら玄関で見送ってくれたが、その視線がこれからのことを予兆するようで怖くてならない。兄には『とにかく、諦めて慣れろ、な?』と労わるように笑顔を向けられた。あんな疲れた顔の兄は珍しい。……とりあえず、兄の言葉を胸に深く刻めることにし、母に抱擁されて出て行った。
 まったく…心の準備もできてないのに。というか、受験勉強が終わったと思ったらとんだ春休みになったなぁと思いながら私は少し、両親の言葉が頭に引っかかっていた。『すべて用意は整っている』という父の言葉と『キカイの新規誕生住民となる』という母の言葉。お迎えが来たのはいったいなんのためか、用意とはなんのことか……。住民登録するために少々家を空けるというだけなのに、なぜだか私は違和感が拭えなかった。なんだろう、なにかおかしい。
 思いにふけっていた所でふと、私は先程タカミツさんからもらった名刺のことを思い出し、ポケットから取り出した。そこには白い紙に楷書で名前が記されていた。
 『久御山 隆充』
 そう名刺には書かれてあった。苗字の方は『くごやま』って読むのかな……こう書くんだ。
 『タカミツ』という名前が下の名の方であることに気づいて、私はちらりと本人に視線を向けた。隆充さんはなにやら運転席に向かって話していた。わざわざ下の名前を名乗ったからには下の名前の方がいいのだろうな……。
 すると運転席から男の人が出てき、私に一礼すると後部座席のドアを開けた。
 先が茶色がかった短髪は後ろの方は少し首にかかるのだろう、短く一つにくくられていた。歳はおそらく、兄さんと同じくらいか、20代後半くらいの人だった。仕事を端的にこなす、寡黙な人のように見える。
「どうぞ。足元にお気をつけください」
「ありがとうございます。お世話になります」
 笑顔で頭をさげながらそう言うと、私は車の中に入った。しかし、その時その人は奇妙な顔をした気配した気がする。気のせいだろうか。
 とりあえず私は車内を見た。
 車内は思ったよりやけに広く、前後に長い座席とそれをはさんで真ん中にテーブルが置いてあり、その横には冷蔵庫とおぼしき20cmの四角い箱まであった。
「…………」
 一瞬だけ自分の笑顔が固まるを感じながら私はまぁこれくらいならアリかと、父を思い浮かべながら座った。しかし、お母さんと主にお父さんの交友関係が知りたい。一応、私の家は中流の少し真ん中より上だ。そのはずだ。と言うことは仕事関係で実は父はものすごいお偉いさんだというのだろうか。もしくは……父の実家。私は母の実家に行ったことはあるが、父の実家には行ったことがない。行ったのかもしれないが物覚えがつく頃からは行ってないはずだ。だからどんな所か知らない。もしかしたらさる名家なのかもしれない。……当たってなくもなさそうな所が怖いけど。
 そう思いながら続いて隆充さんも中に入り、運転手の人がドアを閉めるのを見届けた。
 そしてすぐに車が出発した。だんだん家が遠くなっていく光景を窓の外を見ながら、私はなんとなく寂しい気持ちになった。別に始めて家を長い間離れたわけじゃない。修学旅行や自然学校も行ってるし。でもついには見えなくなっていく家を見ると唐突にそんな気分になったのだ。
 あの父から離れるというメリットがあるのに、なんだか寂しい気分になる私をおかしく思いながら、流れゆく景色をぼんやりと見た。まぁ、すぐに帰ることになるのだろうけど。
 顔を窓から戻すと待っていたかのように隆充さんが私の前にお茶を置いた。淹れたての温かいお茶だ、どこかにポットでも置いてあったんだろう。お茶を口に含み、隆充さんの優しい心遣いと彼の持つ空気に和みながら一息つくと彼は口を開いた。
「……さて、少しこれからのことについて少々説明させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「はい」
 私はお茶を膝に置いて、姿勢を正すと彼を見た。彼は笑みを浮かべていた。
「まず先に確認させていただきますが、翠様はどこまでこれからのことをお聞きになられておりますか?」
 『どこまで』と言う言葉に頭をひねると私は答えた。
「……『鬼界』と言う場所に行くとは伺っています」
 そう言うしかないのでそう告げた。
 しかし、隆充さんは次の言葉を待っているようだった。
「一応、『キカイ』という場所の新規誕生住民になるということも、伺ってます」
 一言付け加えると、隆充さんの表情が驚きと焦りに変わるのを感じた。動揺を少し感じられる。
「………………それだけでございますか?」
 落ち着きを取り戻そうと隆充さんは笑顔でこちらに聞いてきた。変なことを言ってしまったのだろうか、とりあえず、私は肯定した。
「はい、それだけです」
 その言葉を聞くやいなや、彼の顔が引きつるのが見えた。
「……………景介様……紫様……まさかとは思ってましたが……」
 なぜか頭に手をあてて苦悶の表情をうかべる隆充さん。お父さんとお母さんが何かやらかしたらしい。言葉からすると、なにか私の親は説明を怠っていたのだろう。そして後は隆充さんに話しにくいことを押し付けたと。
 可哀想に……。
 早くも私の中で隆充さんは父によって苦労させられている犠牲者の一人として位置づけられた。しかし、父と親しい様子からすると彼らは長い付き合いのはず。とすると父の所業には慣れているはずなのである。そんな隆充さんが見るからに動揺をあらわにしているとなると……。
 私はこれから起こることになにがあっても冷静であるように哀しいながらも覚悟を決めた。
 するとそれまでしばらく黙ってなにかを考えこんでいた隆充さんが再び顔をあげた。見ると、その瞳は冷静に戻っていた。
「翠様、申し訳ございません。こちらの配慮が至らなかったせいであまり説明もされず、驚かれたことと思います。これから大変申し上げにくいことを話すことになるかもしれませんが、私が申しますことを落ち着いてお聞き下さい。こちらでもなるべく翠様にご迷惑をかけないよう配慮いたしますので。まことに申し訳ございません」
 本当に申し訳なさそうな表情で頭をさげながら言う隆充さん。こちらの方が申し訳なくなってきた。しかし、ここまで彼が平謝りするとは、いったいどんな話をするんだ。いや、私の親はいったい何を話していないのだ。……なんだか不安になってきた。しかしとりあえず隆充さんに顔を上げていただかないと……。可哀想だ、悪いのは父なのに。
 私は隆充さんに笑顔を向けた。
「あの、あまりご自分を責めないで下さい。隆充さんのせいじゃありません。私は隆充さんが迎えに来てくださって実は安心していたんです。隆充さんでなければ、私はこんなにも落ち着いてはいなかったでしょう。そしてそれは隆充さんの配慮のおかげだと私は思っています」
「翠様……」
 隆充さんはこちらに顔を上げた。
「それに私はあの父の娘です。多少のことでは動じません。ですから、大丈夫です。ご心配していただいてありがとうございます」
 私は頭を下げた。うん、もう覚悟はできた。
「温かいお言葉、痛み入ります……」
 顔を上げると、隆充さんは私に優しい笑顔を向けていた。その笑顔で私は再び癒された。本当に隆充さんが一緒にいてくださるなら大丈夫そうだ。しかし……本当に私は大層な敬語を使われる立場じゃないのに、妙にくすぐったいなぁ。
 とりあえず隆充さんのおかげで気力は戻ってきた。私は気を引き締めると、彼の話を聞く覚悟を決めた。
 そして彼の話は始まった。
「では僭越ながら説明させていただきます。翠様は異次元世界というものをご存知ですか?」
「…………」
「鬼界という場所はいわゆる貴女方にとっての異次元世界にあたります」
「…………」
 ……どういう話ですか?
 顔は笑顔のままだったけど、大丈夫だと言った矢先すでに内心お手上げしたくなった私だった。






                              




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