[郷に来たらば郷に従え]
[3]


 私の困惑した気配を読み取ったのか隆充さんは苦笑していた。
「……まぁ、細かいことは横に置きまして……要するに桃太郎の家を翠様の住んでいらっしゃる場所とすると、鬼界は鬼ヶ島ということになります」
「つまり、鬼界は私が住んでいる世界にあるのではなく、別の場所……惑星にあるみたいな感じですか?」
 なかなかメルヘンな例えに私は思わずおかしなことを言ってしまった。いや、惑星って何考えてるんだろう私。どこまでぶっ飛んでしまってるんだ。帰って来い、私。
「はい、強いて言えばそのとおりでございます」
 ほっとしたように言う隆充さん。どうやら私の表現は間違ってはいなかったらしい。本当に間違いではないのか。しかし漫画とかの物語じゃあるまいし、異次元世界って……今一受け入れることができない。
 複雑な心境でとりあえず隆充さんを見ると、彼は続けて言った。
「鬼界と貴女様方の世界――『中界』と私どもは呼ぶのですが――の関係と似た界をあげると、『鏡界』、『精霊界』などがあげられます」
 冗談で言う風でもなく、言葉を選ぶようにゆっくりと話す隆充さん。とてもこちらに気を使ってくださっていることがわかる。
 しかし「精霊界」って……言われても……というのが私の本心だった。『鏡界』とか、あれですか、鏡の向こうの世界とか言うんだろうか。確かに鏡の向こうに実際世界があったとしたら、それは間違いなく私のいる世界とは違う、異次元なんだろう。しかし、真剣に話す隆充さんには申し訳ないが、私はそういった話は嫌いではないけど信じないタチだ。
 隆充さんになるべく失礼のないように一応私が考えていることを伝えた。
「………申し訳ないですが、私の理解が及ばないようで……あまり話が噛み砕けてないようです」
「そう思われても仕方がございません。心情、お察しいたします。しかし、そのような界は実在するのです。こればかりは言葉で説明しても理解できるものではないかと存じますので、翠様ご自身の目でお確め下さい」
「……」
『お確かめ』?
 その言葉に私は首をかしげた。これからどうやってそれを確かめるというのだ。そこで私は『鬼界』という『異次元世界』に行くことを思い出した。
 あ、そういやそうだった。え、本当に私は『異次元世界』にこれから行くというんですか。
 本当、これってどういう展開…?
 頭痛がしてきたが、それがなによりこれが現実だということを示しているみたいで、なんだか顔を覆いたくなってきた私だった。
「……翠様は本当になにも知らされておられなかったのですね」
 ふと隆充さんを見ると、彼は私をいたわるような視線を向けるとともに苦笑していた。その笑みはなんだか私が今まで父によってしてきた苦労を見抜かれたようで、少し恥ずかしくなった。困惑している様子が態度に表れまくっていたのだろう。やはり私は未熟だな。
「……すみません。もう少し父や母から伺うべきでした。丁寧な説明をされたのに、うまく理解できなかったようで、隆充さんに申し訳ないです」
 私は彼に頭を下げた。そうだ、隆充さんこれらの情報をすでにお父さん達に聞いているものと思っていたのだ。むしろそういうことになっていたはずだったんだろう。けれど、お父さんは人の慌てふためきの見たさがために言わなかった。お母さんは言えなかった……兄さんも。
 そう言われればここ最近、二人の様子がおかしかったことに私は気づいた。お父さんがいない時やたらと二人はなにかを言いたいような表情をしていた。けれどそんな時、突然帰ってきたお父さんが二人にいつもよりちょっかいをかけていた。
 ……そんなに私が動揺するのが見たかったのか私の父は。
 あの父の嬉しそうな顔を思い出すと、私は一人身震いがしそうになった。というか……
「も、申し訳ございません。私こそ無礼な言葉を……」
 そんな私に隆充さんは慌てて取り繕うように言った。見ると、心配そうな彼がオドオドと手持ち無沙汰に手を上げては下げていた。私が馬鹿にされたと思ったと勘違いしたのかもしれない。彼は再び頭を下げながら謝っていた。
 隆充さんは本当にこちらに気を使ってばかりだ。それにこんな年下の小娘に頭を下げることを厭わない。  そんな彼を見て本当に申し訳なくなった。そして彼について私は一つわかったことがあった。
「いえ……こちらこそたくさんご迷惑をおかけしているようで」
「……どのようなことでございますか?」
 そんなものは見当たらないと意外な表情を向けてくる隆充さんに私は言った。
「父と母が隆充さん方にご迷惑をおかけしていると思ったので。……彼らに厄介事ばかり押しつけられてませんか?」
 その言葉に隆充さんは目をしばたいた。
「鬼界のことについて、言いにくいことは隆充さんに言わせてるような気がします。そして父はわざと当日に隆充さんに言わせました。それに……隆充さんは父と親しいご様子でした。そうなれば、必然と父がご迷惑をおかけしていることでしょう」
 そう、私は彼からそんな印象を受け取った。
 父と仲がよいと言うことはそれなりに苦労も多いことだろう。もしくは父と対抗出来得る人格の持ち主つまりまったく気にしないでマイペースでいられる人か、だ。おそらく、隆充さんの性格上前者だろう。気配りの多い人なら気苦労も多い。そして父の場合ならなおさら苦労するだろう。
 それにお父さんのあの笑顔。あれは罠を仕掛けて誰かがそれに引っかかるのを楽しみにしているような時にする表情なのだ。
 これも父が仕掛けた悪戯に違いない。……これですべてだとは思えないけど。でも……それにしてもなにかが引っかかる。
 そう思っていると急に隆充さんが腹の底から笑い出した。
あれ?
笑ってらっしゃる。
「あの……私、間違っていたでしょうか?」
 なんだか自分がとんでもない勘違いを言ってしまったんじゃないかと思って慌てて言った。もしそうならかなり恥ずかしい。というか、初対面でこれだけ自分の親のことをあれこれ言うのは……失敗だったのかもしれない。
「……いえ、失礼致しました。」
 隆充さんは笑いやむと言った。
「ここだけの話、正直申しますとその通りでございますね」
 その言葉を言う隆充さんは至極正直で真面目な顔をしていた。そんな彼が面白くて、私は少し笑えた。
「しかし、私どもは迷惑だと思ったことは決して一度もございませんよ」
 先程より柔らかい笑顔で言う隆充さんは本当に迷惑と思ってなさそうだった。……多大な迷惑をこうむっている私にはそんなこと言えないな。たぶん、こういう真っ直ぐな人が父や母にふりわまされてしまうんだろう。特に、父に。
 でも、私の知らないところで隆充さんは父のいいところも見ていてそう言ってくれてるのかもしれない。もしそうなら、娘として少し嬉しいかもしれない。うん、あんな父だけど、結局私も隆充さんと似たり寄ったりなのかもしれない。
「……そうですか、ありがとうございます。隆充さんはお優しい方ですね」
「翠様……」
 私は思ったことを素直に笑顔で言った。
 しかし
 なぜだろう、隆充さん、すごくうれしそう。まるで主君に褒められでもした家来みたいだ。
「翠様にそんなお言葉を頂けるなど、私には、私にはもったいなく存じます!」
「いえ、それほどでも……」
 その言葉は彼にとって感動に値するものだったらしい。隆充さんは実に嬉しそうだった。……お礼なんて、言われたことがない、とか?
「っ……!なんと優しい方にお育ちになって……」
…あ、涙
 私はさっとハンカチをだし、隆充さんにさしだした。涙を流すほど感動したんだ。
「……隆充さん」
 というより、隆充さん、前に私に会ってるんだ。
 そう思っていると、本当に申し訳なさそうに彼は私を見た。
「ああ、こんな私に。取り乱しまして申し訳ございません。この恩は必ずお返ししますっ」
 うやうやしくハンカチを受け取り涙をふく隆充さん。
 いったい私は彼にとってどんな存在なんだ。
 あまりにも丁重にもてなされるので少したじろいでしまった。
「……」

『ようは開き直りだ』

 ああ、なぜだか兄さんの声が甦る。開き直りですか?これは無理です。なんだか妙に恐ろしく丁重にあつかわれているようで、居心地が悪い。父はそうかもしれないけど、私は彼らにとってそんな尊敬に値することはなにもしてない。
……もしやこれもお父さんの差し金?
 もう思考回路がこちらの方面しか回らなくなりつつある頭を叱咤しながら、私は深呼吸した。隆充さんを見ると、ちょうど拭き終わった頃だったようだ。
「隆充さん」
 私はまっすぐ隆充さんの顔を見て言った。
「一つお願いがあるのですが、聞いて下さいますか?」
 私できるだけ丁重にゆっくりと言った。
「翠様の頼みごととあらばなんなりと」
 極上の笑顔で答える隆充さん。あ、なんだか大丈夫そうだ。
「できれば『翠さん』と呼んで頂けたらと思って……『様』は少し、私には慣れなくて」
 そう笑顔で言うと、私は彼の顔をうかがった。たのだけど……隆充さんは固まっていた。そして次の瞬間。

「……―――――――――――っっ!」

ムンク
ムンクだ
あのムンクが実写版になるとこうなるんだ
 私はとりあえず、絶句してまだ固まったままムンク化した隆充さんに恐る恐る声をかけようとした。






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