ある夏の物語


 最近の夏はひときわ暑い。体が蝋人形になったみたいに太陽の熱でどろ(・・)けそうになる。扇いでいたうちわを力なく放り出して、たたみの上を伸びた。
 あっしは冷房というものが基本的に嫌いだ。あの人工的な冷たさがいけ好かない。それになにより、空気が臭う。そのため、クーラーなんてつけていない。で、代わりにあっしはでろでろのドロドロ。ちくしょー。
「地下の秘蔵書物室にでもいくかぁ……」
 あっしはふらりと立ち上がると、綺子(あやこ)がくれたCCレモンのペットボトルをぷらつかせ、居間の外へ向かった。少しかび臭いけど、だいぶ涼しいはず。地下だけに。
 ここ、綺子の家、正岡家ははっきり言って面白いつか、奇妙なとこだ。あっしら妖怪達のことを調べて家学にしている。まぁ、彼女らは初め好きでやってたんじゃないようだがさぁ。なんつーか妖怪にいじくられやすいタチの一族だったってかとか? 確かに言えるかもね。だから、身を守るためにとか? だっけな、家学にしちまったのは。
 廊下に出て、あっしは奥の書斎に入った。そこは綺子の旦那の部屋だ。彼は今、委員会に行っているため留守。ちなみに妖怪や幻獣、精霊などといったやつらの代表と人間が、現在の彼らの共生状況について話しあうへんてこな会議だ。しかも世界規模って言やぁ……あっしの理解を超えるね。確か、ウォセックとか言う組織だったかねー。
「ん?」
 あっしは立ち止まった。書斎の壁際に埋め込まれる形のクローゼットが目の前にあった。で、ほんの少しだが開いていたのだ。その微妙に開かれた扉の間に指を突っ込んでみた。十分、指が入った。
 変だねぇ……。普通このクローゼットは閉めてるはずなんだけどね。あっしは指を戻すとちらりと周りを見た。
 正岡の地下書物室には正岡の人間と、一部の者しか入れないようにしてある。なかなか正岡の家に忍び込む人間はいねーと思うけど、一応ってことなんだろうね。まぁ、何か企んでる妖怪どもの防犯のためでもあるらしーがさ。ちなみにあっしは前に許可をもらったんでね、大丈夫。んで、必ず扉を閉める決まりがある。なのに、開いている。
 一応、気だるげにうちわを扇ぎながら地下の気配に気を向けると、人気は感じられなかった。むしろ、あっしらの仲間の気配ばかりしてる。この人間の家は妖気や霊気の方が感じられるわ。ま、もともとあっしらのほうが先にこの土地に住み着いてたんだからあたりめーだが。
 そこらにたむろっている妖気をかぎ分けてみると、二つの妖気の流れを地下から感じた。身覚えのある妖気だからたぶん、あいつらか。あいつならクローゼットの扉、やりかねないし。
 あっしは髪を後ろに流すと、クローゼットの扉を開けた。その奥の壁には取っ手がついている。その取っ手を軽く左にずらしながら押すと難なく開いた。向こう側には階段が地下へと続いている。
 地下室といえば、暗いしかび臭い、じめじめしたイメージがある。けど、正岡の地下室は多少、ほんとに少しだけかび臭いものの、まったく清潔で明かりもついているし、あの化け狸の妖火が灯っているから十分に明るい。それに物好きな妖怪もいるもんで、この地下室をよく掃除しに来るやつらもいる。まぁ……あっしらは暇っちゃあ暇なやつらが多いからなぁ。
 階段を下りていきながら、あっしは下から声が聞こえてくるのに気づいた。小さな子どもの笑い声と、少し低めの猫の鳴き声のようなものだ。
「あ〜あ〜、やっぱりなぁ」
 自分の勘に再度確信しながら階段を降りきると、くしゃりと頭をかいてすぐ右手にあるドアを開いた。
「ナナト、倉子(くらこ)、クローゼット開けっ放しだったよ」
 あっしはそう言うと、正岡の図書館にいた二つの小さな影が動いた。
「ひぇ〜? うっそー?」
 ぽか〜んとした顔でこちらを向いているナナト。この6歳くらいの人間の子どものような妖怪は、座敷童だ。ちなみに服装は着物ではなく、今の時代のものだ。ショートカットで、ジーンズの短パンにチェックのシャツをはおり、その中にはノースリーブを着ている。少年にも少女にも見えるナナトは歌舞伎役者に向いてるんじゃねーか? しかしかわいい顔してとぼけても、こいつは50歳を超えたおっさんだ。しかも、悪戯好き。こいつ、わざとクローゼットの扉開けたな。
「に゛ー?」
 その隣を見ると、もっさりした(わら)もしくはモップのような生き物、倉ワラシがいた。通称倉子はナナトの親戚みたいなもので、背丈も同じくらいだからよく遊び相手になっている。こっちはナナトと違ってお人よしの気のいいやつだ。
「でも、(さとり)がちゃんと閉めてくれたからおっけーだよね?」
「に゛」
 にっこり笑うナナトと同調するようにうなづく倉子。ナナト、計算高いヤツだ。
「ま、綺子にばれなきゃいーんだけどさぁ」
 そう言うと、あっしは肩をすくめて溜め息をついた。正岡が妖怪を家学として以来の巻物やら書物やら、ここには山ほど置いてある。その他にも元妖怪の所持物も保管してあったりする。しかし、まがいなりにもここは秘蔵書物室だ。ただの代物があるわけじゃーねー。……まぁ妖怪の書物ってだけでも十分ただものじゃねーけど。中には天狗の(みの)や打ち出の小槌、照魔鏡(しょうまきょう)など人の目に触れちゃあ大変な物までもある。なんとか言う妖刀までもあるもんだから、正岡ってのはマジに妙な人間どもだ。
 あっしは部屋にずらりと並んだ本棚を見た。何段も規則正しく、人一人が十分に通れるくらいの間隔で並んだ本棚を見ると、よく正岡もこれだけ多くの資料を集めたもんだと感服する。敷地の地下を全部書物室に当てているらしい、だからここは結構な広さだ。たまに横の壁際にケースなども置いてあるが、塵一つない。どの妖怪だか知らねーけど、よくやるよそいつは。あっしらはそんな正岡の書物室に入ってすぐの広く空いた場所にいる。そこには長方形の長机があり、それとセットで長いすが置いてある。だけど、ナナトと倉子は今、その横の地べたに座っている。
「ところでおまえ達なにしてんだ?」
 ふいにナナト達が広げているものに目を落とした。本かと思ったそれはどうやらノートのようで、なにやら挿絵がついている。
「へへ〜。なんだと思うー? 見て見て〜」
「に゛〜に゛」
 妙に楽しそうに笑いながら手招きするナナト達の所まで歩き、しゃがみこむとあっしはそれを覗き込んだ。なんだか子どもの字が書いてある。その上には絵が描いている。
「え〜と……7月14日、晴……って綺子の日記、絵日記かよ!」
 まさしく彼女の絵日記そのものだった。ノートの表紙を見ると、綺子の子どもの時の字で学年と名前が書いてあった。小学生の時の絵日記だ。少々古ぼけて紙が黄ばんでいるが、なんとかそれ以外はきれいな状態で残っているようだった。
「これはまた古いもんが出てきたなぁ……っと」
 後ろから軽い重圧がかかったと思うと、ナナトと倉子があっしを後ろから抱き着いた……と言うより、上にのってきた。しかも地下とは言えど、密着されるとべたべたするしやめてほしーんだがね。
「に゛〜に゛に゛に゛」
「そうそう! なんでかわかんないけど、ここにおいてあったんだよぉ」
 そう言いながらやつらはなおものっかってきて、腰を下ろしてさえいた。痛くはねーけどうっとおしーんだけどねー。それにあっしはイスじゃねーんだが?
「なんであるのかねぇ? 掃除好きの妖怪どもが必ず整理するはずなのにっ……と」
 一気に立ち上がると油断したのか、やつらはバランスを崩して尻餅をついた。すると一瞬むすっとナナトが睨んできた。自業自得だね。倉子はというと、何ともなさげにすぐに立ち上がり、あっしへ答えを返してきた。
「に゛に゛」
「ああ、つい最近綺子が出入りしてたって? それで見たあとほったらかしにしてたってか。相変わらずめんどくさがりだねー、綺子は」
 あっしは長いすに腰掛けて足を組むと、ぱらぱらノートをめくりながら言った。色とりどりの鉛筆で書かれた絵は幼いながらも結構うまい。次々とページを進めていくうちにあっしはふと、それをやめた。いい事をお思いついたんだ。ちょうど開いているページに手をかざすと、あっしは妖力をそれに流し込んだ。
「に゛……?」
 首の後ろから寄りかかって見ていた倉子が、ちろりとあっしの手とノートに視線を落とし、こっちに顔を向けた。ナナトも不思議そうな興味深げな顔を向けて宙に浮きながら腕をつかんできた。
「まぁ見てな」
 そんな彼らを見るとにやりと笑い、あっしは手を本からはずして目を細めた。
 途端、ノートが妖気に包まれて淡く光った。
『8月21日 晴れ。友達に会いました。友達は汗をいっぱいかいて、木陰の下や木の上、空中に浮かびながら休んでいました』
 本から綺子の声――小さい頃の声だろう――が聞こえてきた。振り返ると倉子とナナトは目をきらめかせながら本を見ている。
「すげぇすげぇ! 昔のあやちゃんの声だぁ」
「に゛! なつかし!」
 ナナトのはしゃぐ声の後に倉子のダミ猫声が聞こえた。言葉をしゃべるほど驚いたらしい。よほど興奮してるか話したいほどだったんだねー。
「ねね! どうやったの? 覚って化けることと悟り――心を読むことだけが脳じゃなかったっけ?」
「に゛!」
 目をキラつかせながらまじめに言うこいつらをちょっと殴りたい衝動に駆られた。しかし、幸運を呼び寄せるこいつらはその力を逆に利用して、悪運を呼び寄せられる。だからへたに機嫌を損ねて悪運をつけられたら困るし、反撃できねーし厄介だ。あっしはちょいと我慢して、笑顔で何とかごまかすことにした。
「その悟りの力を応用したのさ。このノートの記憶を読み取り、妖力で綺子の声を再現させたってとこさね」
「へ〜へ〜へ〜っ」
「さらに応用して、この日記に書いてある風景も再現できるけど、見てみてーかい?」
 普段ならめんどくさがってやれねーことだが、今日のあっしはなんとなくそんな気分だったからちょっと言ってみた。
 さっきは悟りの力をちょっと細工して、日記に残った『綺子の声』だけをやつらに送ったが、今回は少し応用させねーといけねー。覚の力ってのは思念を、心の声を視て、読み取って、聴くもの。本来なら無生物に残った思念を読むのはちょい、めんどい。しかもさっきのは、実際に起こったことじゃなく、日記が記憶した綺子の声を文章と組み合わせたものだからなおさら。今回はさらにそれを綺子が日記を書きながらうかべた記憶を記憶した日記の記憶を映像化する。そしてそれを自分以外の他個体にも情報として送りつける。めんどくせーことこの上ないんだがね、本当は。
「そうこなくちゃ!」
「みたいみたいの!」
 ナナトと倉子が同時にそう言って跳ね回った。ふむ? 意外と乗ってくれるのかい。滅多に話さない倉子の言葉を久々に聞いたのもあって、気をよくしたあっしは暇だし、やることもねーんで彼らの要望に答えることにした。それに借りを作ってくのもいーしよ。座敷童(幸運を持ってくる子ども)には。
「んじゃ、日記に残った思念をおまえらにも送るから、準備しなよ」
 あっしはそう言うと、左手に日記を持ちナナトと倉子に右手を差し伸べた。体が触れ合ったほうが映像を送りやすいんでね。
 すると(無駄に)正座をして居ずまいを正した彼らが手をにぎり、あっしはそれを見届けてすぅっと目を細めて気を集中させた。
 次の瞬間、幼い綺子の声をナレーションにして、日記の内容が目の前にうっすらと現れだした。



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