1の話:木のカイ〜 なんだかちっちぇ妖精さん? 〜


 [1]
 春風がさわさわと頬を気持ちよくなでる。
 新学期から早1ヶ月過ぎ、桜がだいぶ散ってきている。だけど、まだ見納めには早い気がする。今年は遅めに咲いたからあと3日はもつだろう。
 それに、この散り始めるころが丁度いい、と家路を歩きながらゆっくりと歩いていく少女、錦は思った。
 形あるものは散っていく、消えていく時こそ美しいのだとどこかで書いてあった気がするけど、そうかもしれない。
 錦は立ち止まって道に植わっている桜を見上げた。
 すると、突然風が吹き、桜の花びらがあたりを舞った。その様子は風が花びらと一緒に戯れているようだ。それらの中を歩いていく彼女はまるで、花吹雪の中を歩いているような、幻想的とも言える風景の中にいた。

風が少し強い……

 風によって少し乱れた髪を手ぐしで梳いていると、彼女は指の間に花びらを見つけた。どうやら頭の上にのっていたようだ。
 しばらく、その花びらを眺めて少し思案してから、道に落とすと、彼女は右方向にある公園へと歩を進めだした。そこは運動公園ほど大きくもないが、あるものの存在で来る人が絶えない、このあたりでは有名な公園であった。そのわけは……
 錦はその公園に足を踏み入れた。
 偶然か、いつもは散歩に来るおじさんか子どもを連れた母親達が誰もいなかった。今日はたまたま用事で学校を早引きしていた錦は、少し疑問に思いながらも、まぁそんな日もあるだろうと目的の場所へと歩き出した。

ご飯時だからかな……
なるほど、この時間が穴場か

 しばらくもしないうちに、錦は立ち止まった。
 そこには見事な桜の大樹があった。
 一部散ってはいるものの、まるで両手を広げたように咲き乱れていた。ひらひらと散っていく花びらは、まるで雪のようとも小雨のようとも言える。しかし、一番合う表現は羽かもしれない。その華やかで、舞うかのように散る桜は、儚いと言うよりも、悲しげと言うよりも、散らせることを喜びとしているかのようだった。
 人々はみな、この桜を見るためにこの公園に来るのだ。
 そんな桜の木をこの近所では親しみを込めて、『桜羽姫(おうひめ)』と呼んでいた。『羽のような桜の姫』の乱れ咲き、舞う姿を讃えて。

今年も桜羽姫はすごい……

 彼女はその大樹を見上げながら目を細めた。
 他の桜に比べ、毎年桜羽姫だけはかなり花が残っていた。そのためいつも人でにぎわっていた。しかし、今は人、一人も見当たらない。

こんな見事な枝ぶりだと……

 錦は桜羽姫に歩み寄り、再び見上げて思った。

桜羽姫は…きっと、マッチョ

 風が桜羽姫の枝を揺らした。

「さて……そろそろ帰ろう」

 錦は首を元の位置に戻すと、踵を返した。
 公園の中はまだ誰も入ってくる気配がなく、前にある通りでさえ人があまり見られなかった。なんだか公園を独り占めしたような気分を味わいながら、錦は歩いていった。
 公園の出口にさしかかった時、不意に錦は立ち止まった。何か、気配というか、声らしきものが聞こえた気がしたのだ。

「……」

 ふり返って目をすべり台から砂場、ジャングルジム、シーソー、ブランコ、そして最後にベンチのほうに視線を向けた。彼女の目には誰の姿も映らなかった。
 すると、一匹のトラ猫がのそのそと歩いていくのが見えた。その気だるそうに歩いていく様子を目に留めた錦は、猫の気配だと納得し、再び足を進めた。

『たんころりん』

 思わず錦の足はぴたっと止まった。
 やはり、気のせいではなかったと思いながら、公園の方へ体を向けあたりの気配と音に集中した。

『たんころりん たんころりん』

 また、小さなこえが聞こえた。
 今度ははっきりと、それがどこからきているのかわかった。
 錦は足音を忍ばせて公園の中を歩き出した。誰もいない公園は小鳥がさえずり、鳩が闊歩している。そんな中を彼女はそっと歩いていった。

『たんころりん』

 こえに近づいたところをみると、錦の進んでいる方向は間違ってはいないようだ。そのまま足を進めていくと、目の前に桜羽姫が見えた。どうやらこえはその後ろから来ているようだ。
 桜羽姫にそっと手を当て、錦はその後ろを覗き込んだ。

『たんころ……





……ころ?』

 桜羽姫の根元には手のひらに乗るほどの、ぬいぐるみのような小さな生き物が彼女を見上げていた。そのつぶらな瞳の生き物は薄い橙色の体に緑系の生地の服をまとい、茶色のひもがまきついていた。
 しばらく、錦とその生き物はお互いを見詰め合っていた。
 それが妖怪、『タンコロリン』との出会いであった。



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