1の話:木のカイ〜 なんだかちっちぇ妖精さん? 〜


 [4]

「ただいま」
「おかえりー」
 玄関に入ると、智紀くんが玄関まで迎えにきた。
「たんころうとお茶するんでしょ? 俺もまぜて」
 そう言うと、智紀くんはお菓子が入ったビニールを見せながらにっこり笑った。
「うん」
 私は顔をゆるめた。智紀くんも来てくれるんだ。かわいいな、智紀くんも。まだ、中学生になりたての無邪気な幼なじみに、邦雄とは全然違うなとつくづく思う。
 私の家は彼の家のすぐ隣にあって、幼稚園の時から正岡のおばさん、おじさんにお世話になっている。今は両親は海外勤務しているため、家にいるのは私と叔父さん、二人だけ。その叔父さんも、今月は出張で家にいない。だから、もしものために正岡家には私の家のスペアキーがある。普段からよく、正岡家にはご飯を分けて頂いたり、食事に誘ってくださったりと本当にお世話になりっぱなしだ。おばさん方には実の娘のようにかわいがって頂いて、感謝しきれないほど。
 そんな風に過ごしてきて、自然と正岡家の人は自由に私の家に出入りしている。もちろん、その家族の一員である智紀くんもだ。そして自然と智紀くんとは姉弟のような仲になっていて、こうして今日みたいによく彼は私の家に遊びに来る。
「たんころう、まだ来てないみたいだね」
 彼は辺りを見ながら言った。
 おそらく、たんころうはまだ仕事をしているんだと思う。その仕事って言うのはたんころうが守っている柿の木の成長具合とか、虫が芽を食べていないか、他のタンコロリン達との近況報告……というものらしい。
 妖怪も大変なんだと思う。柿の木の話をしている時のたんころうは子どもを見る親みたいな目をしていて……なんだか胸の奥が温かくなる。

「あ、たんころうおかえり」

 智紀くんの声が響いた。頭を上げると、たんころうがトテトテ、こちらに歩いてきていた。
「おかえり、たんころう」
 私がそう言うと、たんころうはつぶらな瞳をこちらに向けた。そして、いつもみたいにニカッと笑った。最近わかったんだけど、とてもうれしい時や楽しい時、たんころうはニヒルな笑いを浮かべる。それがなんとなく、妙に似合っていて思わず、微笑んでしまっていた。頭をなでると、たんころうは気持ちよさそうに目を細める。それが少し、ネコを連想させる。
「たんころう、久々〜」
 ふと、後ろから声がした。
「かわいいな? まったくお前はよー」
「兄ちゃん、たんころうを絞める気持ちはわかるけど止めなよ?」
 智紀くんは私の後ろを見ながら言った。

……やっぱり、邦雄だった
……って今智紀くん『絞める』って言った?

 そう思いながら振り返ろうとしたら、急に体が動かない。同時に、にっこりと笑った智紀くんが近づいてきて……。
 ふいに後ろにいる邦雄に蹴りを食らわした。なんだか邦雄のくぐもったうめきが聞こえる。本気でやったんだ、智紀くん。
「錦ちゃんに抱きつくなってっ! このクソ兄貴! はずかしい!」
 その一言で私は納得した。

……また、抱きついてきたんだ
なんか、あまりにも気配がなかったからわからなかった……

 熟練された邦雄の動きに複雑な思いを抱きながら私は溜め息をつき、たんころうを抱き上げると、智紀くんがすまなさそうな顔でこちらを見ていた。
「うちの兄ちゃん、いつもごめんね」
 恥ずかしそうなをする智紀くんが少しかわいそうで、私は首を横にふった。
「智紀くんがいるから……安心」
 微笑みながら言うと、智紀くんはテレたように無邪気に笑った。そんな彼がとてもかわいく見える。
「……なんでオレを差し置いておまえらが仲良くなるんだよ」
 後ろで腹を押さえながら言う邦雄の声が聞こえた。だって、邦雄、うっとおしい。
『ころ』
 見るとたんころうが服を引っ張ってこちらに向いていた。
 そう言えば、ひなたぼっこしながらお茶会をする予定だったのだ。たんころうの頭を謝罪の意をこめてなでて、台所に向かった。智紀くんもそれを察して、お菓子を持ちながらついてきた。
「錦ちゃん、なにかお菓子出す?」
「リッツにマシュマロのせて、焼く」
「じゃあ、俺、レーズンパイ持ってきたからお皿に先出しとく」
 彼はそう言って手馴れた動作で戸棚からちょうどいい大きさのお皿を取り出した。
 私はというと、たんころうを下に降ろして棚からリッツを出し、作業に取り掛かった。ピーナツバターをマシュマロの上につけると、よりおいしくなる。そう思いながらリッツの箱を開けて、出した皿の上に並べた。
「ああ!あれ作るのか。おいしーよな」
 すると、邦雄が横からピーナツバターを出した。あまりピーナツバターはパンにつけないから、確か上のほうの棚にしまってある。だからイスを使わないと私の背ではとどかない。
「ありがとう……」
「どうも」
 うれしそうに笑いながら邦雄は言った。なんだか、いつでも邦雄は私に笑いかけてくる。
「しゃーないな……兄ちゃんは」
 そんな兄を智紀くんは溜め息をつきながら見ていた。
 確かに邦雄は昔からしつこくて、べたべたしてクサいセリフを言いまくって正直、困るけど、こういうふうに気を利かせてくれる。性格は悪くはない。でも…
 そのまま作業を続ける私のそばで、邦雄はただなにもせず立っていた。しかも、こちらをじーっと見つめながら。

――…邪魔

 内心顔を引きつらせながらピーナツバターをリッツに一枚一枚ぬり終わると、たんころうが台所の台に飛び乗ってきた。
 こちらを見ながら興味津々に瞳を輝かせている。初めて見るものに、わくわくしているのかもしれい。
「マシュマロ、のせる?」
 たんころうはニカッと笑い、せっせとマシュマロをピーナツバターのぬったリッツの上にのせていった。どうも、一緒に料理の手伝いが出来てうれしいみたい。
 そんなたんころうに自然と顔がゆるんだ。
「智紀、ここは癒しの空間だ。めっちゃ錦がかわいいっ」
「うん、わかったから兄ちゃんもなんか座布団の用意をしたりしろよ」
 大きめのお盆を用意しながら、智紀はせっせとコップをその上にのせてヤカンに火をつけた。



 空を見上げると、すでに星が出始めていた。
 お茶会はもう10分も前に終っていてさっき片付けが終ったところだ。たんころうはひなたぼっこが気持ちよかったのか、今はソファで眠っている。智紀くんも邦雄もすでに家に帰っている。もうすぐ夕飯時だからだ。今日も食事に誘われたけど、さすがに毎日お世話になるわけにはいけないから、今日は遠慮させていただいた。そろそろ、夕飯の支度をしなければいけない。
 私はじっと、オレンジから紺色へと変わる夜空を見上げた。
 この時間を邦雄達は確か、『オウマガドキ』とか言ったと思う。魔が、妖怪がこの時間に現れやすいからそう呼ばれているらしい。そのとおりで、少し、妖怪達が増えてるみたいだ。
 一般人は見えないらしいけど、私には妖怪が見える。だから、例え夜、一人でいても必ず「誰か」が家にいる。霊感も強いらしいから、霊も感じることができてそんなに淋しくはない。

……そろそろ外灯をつけないといけない

 私は縁側から玄関に向かい、外灯のスイッチを押した。すると、ほのかな光がともるのが見えた。
 それを確認してから、今度はリビングと台所に電気をつけに元いた場所へ戻った。
 そこの電気もつけて、私はほっと息をついた。
 確かご飯はまだ残っているはずだからと私は冷蔵庫の中を見た。まず、肉か魚かを決めるためフリーザー室をのぞくと…。

豚肉があまっている……酢豚にしよう

 必要な野菜を出していると、視界に何かがうつった。リビングにコップが置いてあったのだ。たんころうの分、運び忘れたんだ。
 野菜と肉を置いて私はコップを取りに行った。ミックスジュースが少し残っているのを見ながらふと私は昔のことを思い出した。
 幼稚園の年中の頃、いつも迎えに来てくれるおじいちゃんを待っていたら、一緒にお父さんとお母さんが迎えに来てくれたことがあった。久々に両親に会ったからとてもうれしくて、当時の私には言葉が何も出なかった。たいてい、こうして家族がそろった時、いつも両親はミックスジュースをご馳走してくれていたものだ。だから、ミックスジュースを見るたびいつも、幸せな気分になってたんだ。
 その日もお気に入りのデパートのジュースのコーナーに行った。しかし残念なことにその日、そのコーナーは閉まっていて、私は落ち込んでしまった。そこのミックスジュースを飲むことが私にとって、一種の儀式になっていてそのミックスジュースを飲まなかったら、なぜか次は一緒に来れないような気がしていた。
 もちろん、そんなはずはない。けれど、あまり物をねだったりしない私だったけど、どうしてもそのミックスジュースだけはゆずれなかった。私にとってそれはとても大切なことだった。だから、別のお店のミックスジュースを買おうと言われても、納得できなかった。
 私は幼い時から口数が少なくて、感情が表に出ることが少なかったけれど、その時ばかりはたぶん、すごく傷ついたような顔をしていたと思う。そして、つい本音がすべって出てきてしまったのだ。

『いやだ…… ほかのじゅーすはだめ

おとうさんとおかあさんともう、

あえなくなる……

あえなくなるの

いやぁ……』

 そんな私を見て、お父さんとお母さんは…………

―― 幸せそうに笑っていた ――

 当時の私はそんな二人に驚き、涙も止まってしまってきょとんしていた。おじいちゃんとおばあちゃんもすごく笑顔で、両親にしっかりと抱きしめられた。  みんながおかしくなってしまったのかと、その時は思っていたけど、そんな私に微笑みながらかわるがわる頭をなでてくれた。
 そしてその後、結局家に帰ることになった。でもやっぱりお店のミックスジュースが飲めないと不安になっていた。
 そんな時、お母さんが台所でなにやら作業をし始めた。不思議に思いながらも、父のひざの上に乗って待っていた。すると、ほどなくしてお母さんが台所から私達がいるリビングにやってきた、お盆を持って。そしてその上にのっていたグラスを私に渡したのだ。
 そこには白濁色の液体が入っていた。

『錦、特製のミックスジュースを作ったからもう、心配しなくても大丈夫。

お母さんのおまじない入りのミックスジュースなら、大丈夫でしょ?』

 母は私の視線までしゃがんで目を細めると頭をなでてくれた。
 その時飲んだミックスジュースは、今まで飲んだどんなものよりおいしかった。

『うん、おいしい』

 笑顔で私は答えた。

そう、本当にあの時はうれしかった

 リビングのテーブルの上に置かれたコップを持ち上げると、不意に冷たい空気が頬をなでた。
 顔を上げると、少し、縁側の扉が開いているようだった。コップを再びテーブルに置いて縁側に行き、扉を閉めた。外を見るともう真っ暗だ。カーテンを閉めてから私は振り返った。
 リビングと台所に明かりがついていて、しーんと静まり返っている。
 こんなに明るいのに、どうしてだろう、光が妙に暗くて冷たいもののように感じてしまう。私はカーテンをつかんだまま、その理由を考えた。

……ああ

 私は納得した。
 光の明るさが問題じゃないのだ。それは、人のぬくもり、『家族』のぬくもりが欠けていることによって感じるもの。

今、私は一人なんだ……

 今更ながら思い知らされてしまった。

 そう
 だれもいない
 一人だけ
 まるで、捨てられたみたいな
 静けさ

『……ころ?』

 後ろをふり返ると、たんころうが私の服を引っ張りながら心配そうに見上げていた。
 なんで一人だなんて思ったんだろう。たんころうもいるのに。再びたんころうが服を引っ張った。
 不思議そうな顔のたんころうがそこにいた。そうだ、無視してしまったんだ。私が慌ててなんでもないと言うように、首を横に振ると、たんころうは安心したかのようにニカッと無邪気に笑った。  とたん、すっと胸の奥にあったつかえが消えた感じがした。どうしてだろう、なんだかほっとしてる。
『ころ!』
 たんころうは台所に行って私を呼んでいた。おなかが空いたのかもしれない。食材を見ながらこちらをうかがっている様子からすると、また手伝いをしたいのかな。  そんな愛らしいたんころうを見て、テーブルのグラスを取ると私は台所に戻っていった。




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