[5] もう5月も終わりに近づいてきて桜も全部散ってしまった。 たんころうとも3週間ぐらい一緒にすごして、いつもたんころうが家にいるのが当たり前になっている。でも、最近妙にたんころうの動きがそわそわしているというか、なんだか、元気がなくなっている気がする。それに柿の木に行く頻度が多くなっている。 柿の木になにか、あったのだろうか さりげなく、柿木の具合が悪いのかと聞いてみることにして、私は部活の友達に別れを告げるとすぐに家に向かった。 「ただいま」 奥からトテトテと音が聞こえてきた。これはたんころうの足音だ。 予期していたとおり、たんころうが奥からニカッと笑いながらやってきた。この頃にしては珍しく、家にいた。 『ころ!』 私は靴を脱いで、玄関に上がるとたんころうの頭をなでた。 「たんころう、柿の木、調子はどう?」 私が聞くとたんころうは一瞬、私の顔をじーっと見た。何か探るようなその目は不思議そうにしていた。 「最近、帰りが遅いから…」 たんころうは間置いてから、ニカッと笑った。大丈夫だという意味なんだろうか。でも、今の間は……なにかあったのだろうか。 意を決して、もう一度本当になにかあったのか聞こうと口を開くと、たんころうはくるりと後ろを向いてお菓子がしまっている戸棚に向かった。 * * * 「で、最近様子がおかしいと?」 「そう」 ほんのりと口に甘く広がる水羊羹をつまみながら、目の前にいる邦雄に私はそう答えた。 今私は邦雄の家にいる。今日は部活もなく、たんころうも戻っていないから、邦雄の家で久しぶりにお茶をすることにした。突然の申し出だったのにもかかわらず、邦雄は快く……むしろものすごい笑顔で歓迎してくれた。 邦雄の両親は家にはいない。おじさんは仕事、おばさんは町内会ででかけている。智紀くんはもうすぐ帰ってくる頃だ。 「あ〜もしやそろそろなんじゃないか?」 そう言うと邦雄は頭をかきながら思い当たる節があるようだった。たんころうの最近の異変について、邦雄は知ってるかもしれないと思い、相談しているのだ。邦雄は一応、妖怪学者の息子だし、普通の人よりは妖怪に詳しいから。 「ほら、あいつらって実が成るシーズンすっげえ仕事あるからさ」 私は首をかしげた。何故実が成る季節になると仕事が増えるのだろうか。 そんな私を見て、邦雄は少しすまなさそうな顔をした。 「ごめん、たんころうの説明からしないといけないよなぁ」 すると玄関のドアが開く音が聞こえ、奥のほうからかばんを持った智紀くんが現れた。 「ただいま、兄ちゃん、錦ちゃん」 「おう」 「おかえりなさい」 「…焚之助は? どっか行ったの?」 「ダチんとこに行ったらしいな」 そう言うと「ふぅーん…」と智紀くんは相槌をついて自分の部屋へと向かい、邦雄は再び私の方に向き直った。 「で、話を戻すな。たんころうは妖怪ってのはわかってるよな? タンコロリンだって言ったもんな? 前に」 「…うん」 「そんで中でもたんころうはどちらかっつーと、妖精に近い部類に入る。ま、実際のとこ妖怪と妖精の区別なんて微妙な感じだけどな。強いて言うと、妖精は宿るものが小さくて、力が弱い。妖怪はあらゆるものが変異した者で、力は様々。…まぁ植物なんかに宿る妖精に人の気や妖(あやかし)の気が混ざって具現化したようなもんかな」 邦雄は「…だから実はあいつ結構存在が希薄かもな」とぶつぶつつぶやきだした。なんだか話がいまいち脱線している気がする。妖精と妖怪の違いを言いたいのだろうか。 わけがわからなくなった。目を細めながら邦雄を見ると、はっと気づいたように気まずそうに笑った。 「えーと…つまるところはだな。妖力を秋から冬に備えて蓄えねぇといけないんだ。あいつら、どちらかというと妖怪の中でも妖力が少なくてさ。だから、そろそろ妖力を残すために柿の木に戻らねーといけないんだ」 「……」 …柿の木に戻る 「妖力は妖怪にとって生命力と言っても過言じゃないしな……だから頻繁に柿木に行ってんじゃねーか?」 そう言うと邦雄は少し飲みかけのお茶を飲んだ。 だから柿の木の様子を聞いた時、たんころうはわけがわからない表情を浮かべてたのかもしれない。柿の木の問題ではなかったんだ。たんころうの問題だった。妖力が少なくなってきているから補給していたのか。だから…いつも遅くて、帰ってこない日もあったんだ。 幾分か頭の中のわだかまりは消えたものの心の方は少し、重かった。 「ま、気を落とすな。また会おうと思えば会えるし…………な?」 「…………」 私を安心させようと邦雄が向けてくる笑顔に少しだけ、うなづくとお礼を言って家に帰ることにした。 もし、私にできることがあれば邦雄も、たんころうもなにか言ってくれたと思う。けれど、そういったものがないのなら、私がたんころうにできることは気分だけでも楽しく、過ごせるようにすることだけ。 すでに夕暮れになって橙色に色づいた空を見上げた。今晩はたんころうの好きなものを作ろう。 「智紀、俺ちょっと自信なくなってきたかも」 そんな錦の後姿を玄関から見送っていた邦雄は、ちょうど自室から出てきた弟にぽつりと言った。 「んー…ガンバ、ほどほどに」 「傷心の兄に冷たいな、おい」 適当にあしらわれた邦雄は「タンコロリンめ〜」とうなった。可愛い生き物好きな錦をそんな妖怪に取られてしまっている事実にただ、しょげていた。 * * * 「…………」 忘れてた、今日はしょう油とみりんが特売日だった 冷蔵庫の扉を開けながら、私はそのことを思い出した。少々残ってはいるものの、もうすぐしょう油とみりんが切れるとこだったのだ。だからこの機会に絶対買わないといけないと思っていたのに、今の今まで忘れていた。たんころうのことが気になっていたからかもしれない。 壁にかけてある時計を見ると、6時だった。今行ったらギリギリ残っているかもしれない。 すると、ちょうどたんころうがパタパタと帰ってきた。 『ころ!』 そう言うと、たんころうは私に抱きついてきた。私がしゃがんで頭をなでてやると、気持ちよさそうに目を細めた。そして、たんころうの頭から手をはずすと私は立ち上がった。 これから買い物に行くことを悟ったたんころうは、一緒に行くと言いたげな瞳でこちらを見上げた。 「たんころうは留守番しといて」 そう言うとたんころうは目を見開いて、納得の行かない顔をした。そんなたんころうにすまないと思いながらも、譲らなかった。邦雄の言葉が気になったからだ。たんころうは妖怪で、妖力によって維持しているなら妖力が弱まっている今、なるべく動かないほうがいい。 『ころー』 「すぐ戻ってくるから」 たんころうの頭を再びなでて、財布をちょっとした時にでかける時のかばんに入れ、急いで玄関に向かった。たんころうは尾を引かれるような目で見送っている。…少し罪悪感がするかも。 一応たんころうがいるけど、一般人からすれば私の家は誰もいないように見える。だから、用心のため鍵を閉めて自転車にまたがった。なるべく速くことを済ませばいい。 薄暗くなった道を急いで自転車をこぎながら、私はたんころうのことを考えた。 たんころうは実のなる季節に備えていると、確か邦雄は言った。そうなると後どのくらい一緒に過ごせるのだろうか。確実に一緒に過ごせる時間が縮まっているのはわかる。今では一週間に1・2回しか会えなくて、しかも何時間もいられるわけではない。 こうしている時間も無駄な時間に思えて、なんだか心の中がもやもやしていた。学校帰りにすぐ買えばよかった。 そうこうしているうちに特売をしているスーパーについた。運よく、特売品は少数ながらもまだ残っていた。私は醤油とみりんをかごの中に入れると足早に他に買ったほうがよさそうなものを見回った。 特にめぼしいものはなく、急いでレジに向かった。本来なら、もうちょっと待てば惣菜が値下げするけど、今はそんな時間はない。 一番空いているレジには買い物客が2人並んでいた。さほど時間がかからなかったけど、ひどく遅いように感じてしまう。時間というものは天邪鬼(あまのじゃく)みたいで、速くしてほしい時は遅く、ゆっくりしたい時は速く過ぎてしまうものらしい。 早く帰らないと…… 「ありがとうございましたー」 すでに外は真っ暗だ。カゴに袋を置き、ライトをつけると私はすぐさま勢いよくペダルをこいだ。 たんころう、なにを作ってあげよう…… 懸命にこぎながら、私は冷蔵庫内に残っているものを思い浮かべた。たんころうはジャガイモなどのでんぷんが多く入ったものや、少量で糖分、栄養がたくさんあるものが好き。ちょうどジャガイモが結構余っているから、ポテトサラダがいいかもしれない。 栄養があるものを作ってあげたら少しでも一緒にいられるだろうか たんころうが食べたものは妖力になるのだろうか。でも、一緒に食事を食べる時と食べない時と様子はあまり変わらないから、大して意味はないのかもしれない。 ………… 気休めでもないよりはましなのかもしれないと思いながら、信号待ちをしていた信号が青になったのを確認して、ペダルに足をかけた。もうすぐ家に着く。あともう少し。 あれ? なぜだか、妙に悪寒がする。私は急になぜだかすぐさまこの場所から離れたくなった。でも、家に着くにはここの横断歩道を渡るのは必須。避けられない。自転車で横断歩道を渡ろうとすると悪寒がさらにきつくなったような気がした。いやな予感がする。早く渡ろう。 そう思いながら渡っていると、やっぱり悪寒はますますひどくなった。大通りのため、結構長い横断歩道でちょうど真ん中あたりで吐き気をもよおしてきた。いけないと思いながら一気に向こう側に渡ろうとして、急にとてつもなく私は苦しくなった。 どうして…… キキィィィィィッ 耳をつんざくような音が聞こえた。そちらの方を見ると猛スピードで軽トラックが走ってきている。 え………… 『ころぉっ!』 まばゆい光を影がさえぎって、たんころうの必死な声が耳に入った。 まわりにいた通行人から悲鳴が他人事のように聞こえた。 |