[3]
* * *
「うっふふ」
少年は顔を歪めると心底愛おしそうに手にしたものを見つめた。その下には彼と同じ顔をした男が目をつぶって横たわっていた。
「きっれーな形。流石お姉さんのは質がいいねっ」
「
白い着物を羽織った男――
「えぇ、もうちょっと感触を楽しませてよー」
そう言いながらも
「……」
「この上質な弾力がいいよね!」
「その前にその姿を何とかしろこの変態め」
怒りを滲ませた低い声に
すると目の前に大きな薄汚れた衣が
「コれなら文句ナイでしョ」
しかしニィィと笑みを浮かべたその少女の声は、似つかわしくないしゃがれた様な、それでいてトーンが高いようで、低くもなる歪な声であった。
「もウ仕事ジャないし、声は元ニ戻しタ。『仮初』も前の仕事に使ッタものだけド、わたしニあう」
くるんと体を回すと、にっこりと少女――
「うーん、確かにさっきの姿よりはマシなんだけどね。その女の子の性格考えると……」
いささか納得できないと眉間に皺を寄せながらぶつぶつと呟く灰色のスーツに身を包んだ女――
「じゃア原形ニ戻ろッカ」
「「そのままで結構」」
爽やかに笑顔で答える
「――あレ?」
目を瞬かせると、あははと
「ごメん。お姉さン、逃げちゃッタ」
体が重たくて、動かない。
だるい……。
倦怠感と妙な疲労感にかろうじて意識を保たせると、なんとか目を開けた。そこにはぼうっとした灰色の景色。焦点がなぜか定まってない。
わけがわからず、ずぼーっとしていると、どのくらい時間がたったのか、なにやら周りが騒がしい。段々明瞭になった視界は白い壁を映していた。
視線を横にやると、そこには男性がいた。そこで僕はいくらかマシになった頭で気づいた。ここは、どこだ?
「気づかれましたか巴雅さん!?」
「こ、こは?」
起き上がりながら言った。が、声がうまく出なかった。それに体も水泳を長時間した後のように重たくだるかった。一声出すだけでも意識しないと声にならな い。そんな自分に驚いた。
「ああ、あまり無理をなさらないで下さい。どうぞ横になったまま……」
驚いたように慌てて僕を制する男。確かに今の状態ではなぜかとてつもなく起き上がるのは辛い。
とりあえず横になると、男はイスを持ってくるとそれに座り、僕の視線に合わせた。
「まず私は
柔らかく笑うと彼――生津さんは言った。五十代くらいだろう、穏やかな彼の笑みはなぜか僕に安心感を持たせた。
「なんで……僕は……」
いくらか声を出すのが楽になったようだ。そんな僕に彼はゆっくりと説明を始めた。
「貴方は二日前、この――病院に運ばれました。倒れているところを偶然、私が通りかかりましてね。よかったです。本当に。運ばれた当時、貴方は死んでいる のではと思うほど生気がありませんでしたから」
「倒れていた……」
本当に心配したような生津さんのその言葉に、なんだか僕は胸に手を当てた。僕はそこから自分の心音が伝わるのを感じてほっとした。
そこで不意に僕は違和感がして首を傾げた。なにかを、なにかを忘れている気がした。
「……それではそろそろ先生が来られると思いますので私はこれで……」
突然ぼんやりと生津さんの声が耳に届いた。どうやら意識を飛ばしてしまったらしい。
立ちあがり、優しそうな笑みとともに去ろうとする生津さん。
でも僕は彼を引き止めた。
「あの、僕どこで発見されたんですか?」
気になって、僕は起き上がりながら聞いた。今度は体の倦怠感は幾分か和らいでいた。そんな僕に少々驚いた様子と心配そうな表情を見せると、彼は躊躇いが ちに口を開いた。
「え、ああ……確か……巴雅さんの自宅からそう離れていない……川沿いの、墓地の近く……だね」
思い出すように言った彼の言葉に僕は血の気が引くのを感じた。
部屋から出て行く前に生津さんがなにか言っていた気がするけど、もはや僕には耳に入っていなかった。
思い出したんだ。あの日、ちょっとぶらりと散歩しようと出かけたこと。あの墓地を通って知り合いの墓石を目にした瞬間、体に異変が起きたことを。
「あれ、は夢……じゃなかった、んだな」
震える体をなんとか押さえると僕はぐっしょり汗ばんだ手を開いた。
あの日、友達が亡くなって間もなかった僕は少し、精神的に参っていた。
死因は突然の心肺停止。呆気なかった。そんな病気を持っているヤツではなかったのに。
その友達は僕が始めて作った友でもあったから、傷は大きかった。それでも僕は少なからず心が癒されたんだと思う。僕の彼女も友達には何度か会って仲がよ かった。そして葬式にも出て代わりに泣いてくれた。
そんな風に時間が過ぎていって、少しずつ傷は癒されていった。それでも喪失感は拭え切れてなかった。小さい頃から父の仕事の関係で学校を転々としていた 僕にとって、友達――彼女は、数少ない交流が長く続いた特別な友だったんだ。
そして不意に外の風に当たりたくなったあの日、僕はあの墓地の前を通った。今住んでいる場所は、彼女と同じ学校に行っていた頃の家の近くだ。つまり、彼 女の家も近かったし、彼女が眠っている墓も割りと近い。
そんな感じでたまたま、彼女の家の墓場を通った。意識したつもりはなかった。ただ、なんとなくそちらの方面を気づいたら歩いていた。そんな自分の行動に 戸惑って、急いでその場から離れようとした。けど離れる前、ちらりと彼女の納められた墓石を見たんだ。なんだか寂しくなって。
でもそれがいけなかったのか。瞬間、僕は妙な圧迫と浮遊感に襲われた。
それから僕の意識はフィルターがかかったように曖昧になった。しかし意識がまったくなかったわけじゃない。
その時、なぜか僕は僕と一緒に遊園地に行っていた。それからなぜかカラオケで歌っていたり、食事をしたり。その時僕が感じたのは誰かのとても幸福感に溢れた喜 びだった。そしてなぜだか僕も妙にそれを嬉しく感じていた。
なにか、懐かしい感じがしていたこと覚えている。その誰かの感情が。
そして狐の嫁入りがあって……。
ドクン……
回想に浸っていた僕は、急に現実に引き戻されたような感覚に襲われた。
僕は気づいた。
様々な記憶が呼び覚まされる。
歪んだ顔、血、変形したもはや人とは言えないモノ、白に身を包んだ男、灰色の女。そして僕の顔をしていた
戦慄が走った。あの人達は、いやそもそも人間ではないと、本能的に僕は確信していた。彼らは目の前には、いない。けれどあの、強烈な印象は拭えない。
僕はひやりと冷えた体を奮い立たせるように、手をぐっと握った。
断片的に朦朧としか覚えてない、けど、あの時――墓地の後から僕は自分で体の制御が出来なかった。ぼやけた意識の中、まるで誰かに動かされているよう だった。そう、僕の体は誰かに乗っ取られていたんだ。
しかし
あの時、手を胸に突っ込まれたとき、あの底から来るような恐怖と嫌悪に襲われた後。体が軽くなって、それと同時に意識が明瞭になってきた。そして最後に、僕の体からなにかが出て 行った気がしたんだ。僕を支配していた、何かが。だけど、そう知覚し始めたころには再び強烈な睡魔に駆られて……気がついたら今の状況だった。
おそらく、あの
『
そう、そういった名前だった気がする。そしてそいつに――――『おめでとう』と言われた、気がした。
「助け、られたのか?」
無邪気な笑顔で言ってきた相手の顔を思い出しながら、僕は胸を押さえた。ちゃんと鼓動が手のひらに伝わっていた。
恐怖しか感じられなかった
ふっ……
突然電気が消えた。
実は夜だったらしい。一瞬目の前が真っ暗になり、目を
しばらく待っていると外から足音が聞こえてきた。おそらく看護婦さんだろう。しかし、足音は一人分しか聞こえない。他の音も特に聞こえなかった。そのこ とが妙に気になりながら音を聞いていると、僕の病室の前でぴたりとそれは止まった。
ドアを見ているとノックが聞こえてきた。控えめな、
「あ、はい。どうぞ」
そう僕が答えると、がらりとドアが開きそれと同時に電気が入った。急にまぶしくなった視界に目を閉じ、再び開けたとき―――
「巴雅……」
僕のベットの真横に人が立っていた。それは死んだはずの親友。
彼女は怯えるようにこちらを見ていた。
「お前……」
「ごめんなさい」
ぴくりと僕の声に反応すると消え入るような声で彼女は言った。俯いているため、表情は見えない。けどとても申し訳ない気持ちで押しつぶされそうになって いることは伝わった。しかし、どうして彼女がここにいるのか、どうして僕に謝るのかがわからなかった。
「ごめんね、巴雅」
再び、今度は強くはっきりとした口調が耳に入った。まだ彼女は顔を上げない。なぜか、頭が痛くなる。
「ごめんっ」
叫ぶように言った彼女に、頭を打たれた気がした。
気がついた。
彼女の墓石で一瞬見えたのは、驚いた顔ですっと僕の体に溶け込んだ彼女。乗っ取っていたのは――――彼女だった。
「あたし、巴雅に許されないことした。あたし、乗っ取るつもりなんてなかった! 巴雅に危害を加えるなんてそんなつもりはっ――」
「いいよ、もう済んだことだし。そんなに滅入るな」
震える彼女にふっと笑うと僕は言った。すると彼女はゆっくりと顔を上げた。
彼女はやっぱり死んでも彼女のままだった。見た目は人懐っこくて、明るく、積極的に見える。だけど彼女の性格は実はとても臆病で寂しがり屋だ。図太そう に見えて、人の言葉に過敏で、脆い。
でも彼女は脆さとともに強さも持っていた。
「わかってるって。わざとじゃなかったことくらい」
僕は彼女に笑った。
それは人を思いやるとか、些細なことでも気を配るとか、それもあったけど。彼女は自分がやろうと思ったことはなんでもやり通す『強さ』を持っていた。そ して非と思ったことは何があってもしない『強さ』も。
僕は彼女のそんな所が好きだった。
「お前って気にしすぎなんだよ」
だいぶ動きやすくなった体をベッドから下ろすと、僕は彼女と向き合った。
「それに……また会えてよかったしな」
少しはにかみながら言うと、彼女は目を見開いて驚いた。
他の人が聞いたら、勘違いされそうだなと思いながら――それでもそう言いたかった。彼女には本心で向き合いたかったから。
「……わかってない」
不意に彼女はぽつりと言った。その言葉に彼女の顔を見た。
「巴雅はわかってない!」
急に叫んだかと思うと彼女はキッと僕を睨んだ。驚いた。その瞳からは涙が流れていたから。彼女は僕が知る限り、人前で、僕の前でさえ泣いたことはなかっ た。
「巴雅は……あたしを知らないんだよ」
そう言う彼女はとても苦しそうだった。何かいけないことをしたのに、責められていない。そんな響きが感じられた。
「いったいなんなんだよ」
戸惑いながら僕は彼女に聞いた。何か、聞かないといけない気がした。そんな僕に顔をくしゃりと歪めた。
「あたし……巴雅の傍にずっといたかったんだ」
小さくつむぎだされた言葉に僕は目を
「恋人とか、独り占めにしたいとか、そんなんじゃなくて――――兄弟みたいな、そんな、永遠のつながり」
一間置くと彼女は口を開いた。
「そんなつながりを持ちたかったんだ。そんな意味で、巴雅と特別になりたかった」
続いてぽつぽつと彼女から出る言葉。その一つ一つの言葉が、とても重いように感じられて僕は、黙り込むしかなかった。
「でもさ、あたしって所詮他人でしょ? 異性だしなお更。そのうち、巴雅は離れていってしまう」
自虐的に言うと彼女はふっと笑った。
「あたしなんてどうでもよくなるんだ」
「なに言ってんだお前」
段々彼女の言っていることに苛立ちを覚えてきた。なぜそんなことを言うのだろう。そんな風に彼女のことを思っているわけじゃない。その苛立ちの気配を感 じたのか、彼女はさっと涙を拭うと勢い込んだ。
「だって友達って言ったって『他人』だよ! 『友達』って言ったって『家族』じゃない! それに友達なんていくらでも作れるでしょ!」
「なにが言いたいんだよ!」
「……友達なんて、みんな忘れちゃうんだよ。そのうちみんな、みんな忘れて記憶になくなってしまう。それが怖かった。怖くて怖くて……繋ぎとめるように転 校しても手紙も書いたし連絡も取った!」
まくし立てるように一気に彼女は叫んだ。
彼女の考えていることが、わからない。友達を忘れるなんてことは……。
そこで僕は何も言えなくなってしまった。小さい頃学校を転々とした自分。その時に作った友達のほとんどは今ではあまり連絡を取ってない。忘れたに近い。
「でもね、気づいてしまったんだ」
ぽつりと静かに彼女は言った。
「死んだら、どうなる?」
その瞳はじっと僕を見ていた。
「巴雅はあたしのこと、忘れてしまうよね?」
自嘲気味にふっと笑うと彼女は自分の片腕をぐっと握った。
「だって家族じゃないから」
寂しそうにつぶやく彼女に僕は、反論しようと口を開いた。が、その先は故意にさえぎるように言葉をつむがれた。
「――怖かった。他の誰かがあたしのことを忘れたとしても、巴雅にだけは……忘れられることが、死ぬことよりも――怖かった」
今にもまた泣きそうな表情。友達が苦しんでいるのに何も出来ない自分。無力さと焦燥感に駆られて、僕は苛立ちが募った。
「消えちゃうんだよ? 巴雅の中から消えてどうでもいい存在になってなかったものにされる。それでも忘れたことすら忘れてしまうんだ」
彼女の言葉は続く。
「それでも家族だったら、家族だったら家族だったと言う絶対的なつながりがあるから忘れるなんてあまりない。それでも時間が経つにつれ家族でさえも忘れら れてしまう。そんな家族ですらないあたしなんて容易く忘れられるに決まってる!」
最後は叫ぶようにつむがれた言葉。荒くなった息を整えるため、しばらく彼女は黙ると再び口を開いた。
「巴雅に忘れられ、どうでもいい存在になってしまう――――死ぬ前にそう気づいてしまった」
涙を堪えながら吐くように言う彼女。
「そう思ったら……取り憑いていた。……違う」
そして躊躇いがちにその言葉はつむがれた。
「あたしは――――巴雅を
「……」
それは予想出来ていた答えだった。だから僕は動揺しなかった。ただ彼女を黙って見つめた。
しかし――
「長い間ね、普通の人が取り憑かれたらよくないんだよ。だって終いには――――
「え……」
血の気が引く。
そんな僕にびくっと怯えると彼女は震える声で必死に否定した。
「違う! 違うよ! あたし巴雅を殺したいんじゃないっ。違うの! ただ、ただ
ガクンッ
彼女の目が驚愕に見開く。
そして言葉が終わらないうちにゆっくりと、スローモーションのように彼女は床に倒れた。
「ど、どうした!?」
「近寄るな!」
自分の震える手を唖然と見つめる彼女に駆け寄ろうとした。けど彼女は僕を睨みつけて制止した。
「あは、ははは……あははははははははっあははっあはっ」
急に壊れたように笑い出す彼女。ごろんと仰向けになると、彼女は腕で目を覆った。
「巴雅……」
彼女のその声がとてつもなく優しく、甘いものに変わる。
ぞくっと背筋が冷える。
「
くすくすとまた笑い始める口元が歪んでいる。その笑みは誰かと――誰かと似ていた気がした。
「この、ままじゃあたし――――
くすくすと笑いが止まらないように彼女は笑った。何がそんなにおかしいのかわからず、体の芯が凍てつくような感触を覚えた。
得体の知れない恐怖を彼女から感じる。
でも、それでも僕は彼女を置いていくわけにはいかなかった。大切な友達だから。
「と、とりあえず『逃げろ』ったって病院から勝手に抜け出したら……」
「
「は?」
「だから、
くすくすと笑う彼女、更に笑みを深くした気がする。いったいどういうことなんだ。
ますます落ち着かない気分になって、とりあえず彼女を起こそうと屈みこんだ。
「どういう――」
「ここ、
ぴたりと僕は止まった。
「なにを……」
「あはは……
「え……」
彼女の言葉に嫌な感じがして、後ずさった。冷たい汗が背中を、撫でる。
不意に笑いを止めた彼女。見ると口元の笑みが消えている。表情は腕で隠されているため、わからない。
彼女の口が、動く。
「ここは……
足元がぐらつく。耳鳴りとともに頭に激痛が走る。
「――っ!!」
「ねぇ逃げて」
頭を抱え、足をついた僕に甘い声が耳に通る。
僕は、ぎこちなく彼女を見た。
そして固まった。
「じゃないと」
くすくすと再び笑い出す彼女。
「本当に一緒に
歪んだ笑みが、純粋な笑みが僕を見ていた。
そっと僕の手を彼女の両手が包む。温かいはずなのに、指先から伝わるのは――寒気。
「ねぇ?」
彼女が僕を見上げてくる。その姿だけを見れば、可愛いと言われる笑み。でも瞳の奥が
僕の頭の奥で何かが鳴っていた。
『涙を流す彼女』
『歪んだ笑みを浮かべる彼女』
それは僕の、『大切な友達』。
僕は、僕は、僕は――――……
「
僕は――――……
彼女を見つめたまま動けなかった。
恐ろしくて悲しい、彼女の思いに、僕は
「かけましょカバンを母さんの」
―――――――――え?
突然聞き覚えのある歌声が聞こえた。男とも女とも老いも若さも含んだ、形容しがたい歪んだ、声。
「あとからユコゆこ、かネガなる」
足音が一つ、二つ、三つ……。
それらは僕たちの前で止まった。
強烈な気配。
「あなた方、は」
僕達はその者達を凝視した。
「
おどけたような口調で僕たちを楽しそうに見るローブを纏った少女。
「
灰色のスーツに身を包んだ女も同じくおどけた風に言う。
「……」
そして白装束の男は黙ったまま僕らを見下ろしていた。冷たい瞳で。