ジャノメデオムカイ



[4] 


「「四十九願(よいなら)様も」」
「さっさと用を済ませこの馬鹿ども」
 期待をこめた瞳で彼を見る化野(あだしの)尸 童(よりまし)を睨み付けると彼は言い放った。
「やぁね、馬鹿は尸童(よりまし)一 人で十分だってーの」
「……化野(あだしの)何気ニヒどい」
 そんな四十九願(よいなら)の睨みに怯む様子も 見せず、化野(あだしの)はひらひらと手を振り、 ムスッと顔を顰める少女の姿の尸童(よりまし)
「と、言うことで四十九願(よいなら)。よ・ろ・ し・く」
「一々気に障るような言い方をするな」
「んー……あタシが失敗しタラやっぱ四十九願(よいなら)カ、 次ハ」
「私の出る幕でもないしね、今回は」

「いや……っ」

 僕の手を離すと彼女は悲鳴を上げて彼らから遠ざかった。懇願するように言う僕の友は先程の恐ろしい笑みを消し、震えていた。
「巴雅と一緒にいたい!」
「あーりゃまー……相当な執着だこと」
 呆れた様子で彼女を見る化野(あだしの)。 僕もこんなに我を張る彼女に驚きを隠せなかった。生前、彼女はこんな人ではなかったからだ。
「お前……」
「どうしていさせてくれないんですかっ。あたしが何か悪いことをしたって言うんですか!」
「アー……君ヤッパリおもしロイ」
 ケラケラと笑う尸童(よりまし)。 歪んだ声と少女の姿が似合わない。そして何より――――怖かった。ぞくりと背筋に悪寒が走る。 相手が助けてくれたとして も、何もしなかったとしても、僕は本能的な恐怖を誤魔化せなかった。
 それは彼女も一緒だったのだろう。一瞬、瞳に怯えが見えた。けど耐えると彼女は震える声を奮い立たせながら尸童(よ りまし)に向 かい合った。
「っあたし、今まで悪いことなんてしたことない! 我侭も言ったこともない! ねぇいいでしょ? 一個くらい我侭言ったっていいでしょ?」
 すると不意に彼女が僕を見た。
「ねぇ……巴雅も、そう思うよね?」
 その時彼女の瞳にはどこか、尸童(よりまし)に 似た歪みが見え隠れしていた気がした。

「思うよねっ?」

 寒気が僕を襲った。
「――っ」

「下らん」

 突然冷たい声が僕たちの間を貫いた。
「なっ」
 驚きと怯えと共に彼女が後ろを振り返ると、そこには白装束の男――四十九願(よ いなら)が冷たい目で彼女を見下ろしていた。ひぐっと彼女ののどが鳴る音 が聞こえた。
「なにが一個ぐらい我侭だ。実に下らん。貴様の御託を聞くのはもう飽きた」
「な、どうして? どうしてあたしを責めるのよ! あたしは何も悪いことなんてしてない! 誰があたしを責める資格があるってのよ!」

「ナイねー」

「え」
 僕は耳を疑った。見るとそこにはにっこりと尸童(よりまし)が 無邪気に笑みを浮かべていた。
「そうねぇ、ないわね」
 傍にいた化野(あだしの)も合意の言葉を述べ る。
 それはまるで友達を遊びに連れて行く許可を聞いたような軽い調子だった。
「もちろん合意があれば連れてくのもアリよ?」
 軽く彼女に微笑んだ化野(あだしの)に、僕は心 の奥が冷え込むような感じがした。 
「だが」
 話を遮る四十九願(よいなら)の声。すっと目を 細めると彼は言った。

「お前の場合運がなかっただけだ」

「え……う、ん?」
 その言葉に呆然とする彼女。はっと気を取り直すと彼女は彼に食いかかった。
「そ、そんな理不尽なこと!……」
「理不尽だがそれがどうした」
「な」
「下らん。お前の生まれた環境も理不尽がなせる業だろうが。戦の中で生まれた子どもがいるというのに何故お前はこんな平穏の中で生まれた」
 一歩足を踏み出し彼女に近づく四十九願(よいなら)。 その目は下等な者を見るような冷めた嘲りを含んでいた。それに後ずさる彼女、見るからに体が震えている。
「そ、そんなの知るわけ」

「不合理にして不平、不平等にして無常。それが世の有様だ」

 ぴしゃりと彼は冷たく言い放った。
 そんな四十九願(よいなら)の言葉に彼女は口を ぱくぱくと動かすと、怒ったように彼を睨みつけた。
「な、何を偉そうに! だいたい何様よあんたら!」

「SM様だ」

 真顔で彼は言った。
 いつでも愉快そうに笑う尸童(よりまし)。 口を開けたまま固まる化野(あだしの)。何が起 こったかわからない僕。目を瞬かせる彼女。
 しばし、皆の間に沈黙が訪れた。
「……は?」
 そんな空気を最初に破ったのは、僕の間抜けな声だった。
 彼女と僕は互いに目を合わせる。

― え、何言ったこの人? ―
― え、え……なんか、変な単語が ―

「聞こえなかったか?」
 思わず目で会話してしまうほど、動揺してしまった僕らに顔を(ひそ)め ると四十九願(よいなら)は僕らを睨みつけた。そ の吹雪が吹き荒れそうなほど冷たく鋭い瞳 と、底から来るような低い声に僕らは戦慄が走った。怖い、様々な意味で怖い。
 四十九願(よいなら)に僕らはひくっと顔を歪め る。
「もう一度言――」
「あー、このおっさん無視して」
四十九願(よいなら)サブぅい」
 彼の言葉を遮って、慌てて化野(あだしの)四 十九願(よいなら)と僕らの間に割って入った。その後ろか彼を尸 童(よりまし)がケラケラ笑いながら軽く突き飛ばしているのが見え た。
 彼らの行動にわけがわからず、彼女と共に化野(あだしの)達 を唖然として見た。いったいなんなんだろう。
 そんな僕らに気づくと、気が引けるような笑みを浮かべる化野(あだしの)。 なんだか彼女言い難そうだ。
「つまり、あー……」
 尸童(よりまし)が後ろで四 十九願(よいなら)つっつき放題している。ぽりぽりと頭をかくと、意を 決したように薄ら笑みを化野(あだしの)は浮かべ た。

「サラリーマンって言いたかったのよ」

 しばし、僕ら間に再び沈黙が訪れた。

― ……S、M(サラリーマン)? ―

 唖然と口を開けたまま、僕たちは化野(あだしの)を 見た。
「ああ……マジ四十九願(よいなら)のギャグは突 然且つユニークすぎて困るわ」
 額に手を寄せると誤魔化すように笑みを浮かべながら、化野(あだしの)は 溜め息をついた。
 その後ろで楽しそうにまだ四十九願(よいなら)を 突き倒す尸童(よりまし)。 彼に対する突きは終いには突進となり変わっていた。ケラケラ笑う尸童(よ りまし)
四十九願(よいなら)サブぅい」
「……って死神のサラリーマン?」
 妙な冷や汗をかきながら、恐る恐る聞くと化野(あだしの)に 聞くと、四十九願(よいなら)と視線が合ってし まった。
「はっ」
 不愉快そうに目を細めると、ふいっと目を逸らす彼。
 そしていい加減ウザくなったのか、おちょくる尸童(よりまし)を 逆に蹴り倒した。なにが楽しいのかそれでも尸童(よりまし)は ケラケラ笑っている。

― 鼻で笑った ―
― いや、テレ隠し? ―

 再び顔を合わせる彼女と僕。なんだろう、なんなんだろうこの状況。
「いや、ごめんね。ったく四十九願(よいなら)は!」
 慌てて言う化野(あだしの)は、「止めなさん か!」などと言いながら四十九願(よいなら)尸 童(よりまし)を引き離した。
「とりあえず私ら神様(・・)じゃないのよ」
 一息つくと彼女は僕達に言った。
「敢えて言うなら葬儀屋」
 化け野の言葉に急ににゅっと出てきた尸童(よりまし)。 びくりと体を揺らした僕らににこり、と笑みを浮かべた。
「強いテ言うナらリサイクルセンター」
「おお、いい例えね。ナイス尸童(よりまし)

― えぇ?! リサ……ってええ?! ―

 尸童(よりまし)と親指を 立てる化野(あだしの)に僕は心の中で突っ込ん だ。思いもよらない回答に思わず恐れも忘れて本気で突っ込みそうになるほど動揺した。
「満足か?」
 四十九願(よいなら)の静かな言葉に、正気を戻 すと僕は彼女に振り返った。
 彼女は黙ったままうつむいていた。
「……ただ」
 ぽつりと呟きが零れ落ちた。


「……ただ忘れないでほしかった」


 自分の手をぎゅっと握ると彼女はあはは……と力なく笑った。

「それだけだったんだ」

 僕はただ、彼女を見つめることだけしかできなかった。
「自分のものとか、そんなんじゃ、なくて」
 彼女は上を向く。溢れそうになる涙をぐっと拭うと精一杯笑う。

「ずっと、忘れないでほしかった。ずっと……友達でいてほしかったのよ」

 彼女の言葉に僕は何か言おうとした。でもそれは言葉にはならず、口を開いたまま何も言えなかった。そんな僕をふっと彼女は笑った。
「こんなんだったら、ちゃんと素直に言えばよかったな。素直に生きたらよかった。メールや手紙なんかじゃなくて、気軽に遊びに行けばよかったんだよね」
「さっさと逝け。うっとおしい」
 四十九願(よいなら)の手が彼女の顔に伸びる。
 それでも彼女は僕に言葉を続けた。最後まで言葉を尽くすように。
「ごめんなさい。最後に会えて、嬉しかった。友達になってくれてありがとう。だから……」

 四十九願(よいなら)の手が彼女の顔を覆って ――――……














もう解放する。あたしのことでもう苦しまないで










――――彼女は、消えた。
 

 彼女の最後の言葉は、空気に溶けていった。
 虚空を見上げても、もう彼女はいない。
 彼女は四十九願(よいなら)の手の中に、玉に なっていた。
 
 僕は何をしていたんだろう。僕は何もしていない。僕は何もしなかったんだ。礼なんて、僕は言われるような奴じゃない。
 頬に生温かいものが流れる。葬式が終わっても流さなかった涙が今、決壊したように溢れていた。
 どうして彼女は死ななければならなかったんだろう。
 四十九願(よいなら)が言うように、それはとて も理不尽だった。でもこの世界はその理不尽で成り立っている。
 それでも僕達はその中を、生きていかなければならない。
「……手間取らせる」
 不機嫌そうな呟きが耳に届いた。
 振り向くとそこにはため息をついて舌打ちをする四十九願(よいなら)の 姿があった。
 思えば、彼らに僕は助けられたんだ。そして……おそらく彼女も。
「あの……」
 僕は礼を言おうと立ち上がって涙を拭い、少し緊張しつつも笑顔で彼に声をかけた。
が――……

「ひっ」

 彼の顔を見た瞬間情けない声を上げてしまった。
 冷たい目に射られ、僕は怯えざるをえなかった。
「いや、ごめんね坊ちゃん。この人今ものっそ気が立ってるのよね。仕事の後はささくれるの、この隠れナイーブは」
 ひらひらと手を振りながら笑うと、化野(あだしの)は 思い出したように、にやりと笑いながら言った。
「あ、ちなみにさっき変なギャグを頑張っちゃったせいで恥ずかしくもあるんだよね」
「あト、君の心配モしちゃッテくれて不機嫌になッテるんダヨね」
 彼女に続きおどけて尸童(よりまし)も 言ったセリフに僕は耳を疑った。だから思わず声を出してしまったんだ。
「え!?」
 しかし、それがいけなかった。後ろから冷たい怒気が伝わる。恐ろしすぎて四十九願(よいなら)を 振り向けない。

「……お前らも逝くか」

 彼らに向かって言われた低い声に僕は顔を歪めた。聞いただけなのに僕のほうが死にそうだ。
「あ、私にそれ言うんだ?」
「ソレ、わたシなら出来るだろウけどネ。化野(あだしの)に ハ無理でしョ。ヨいっちゃン」
 けらけら笑う尸童(よりまし)。 全く怖い者知らずだ。その上「もっとも黙ってヤラれる気はミジンコもナイけド」などとにっこり笑う尸童(よ りまし)。そ んな彼らのやり取りに、僕はなんだか変な笑いがこみ上げきた。
 人って不思議だ。さっきまで泣いていたのに、もう笑える。人は立ち直れるように出来ているんだ。いや、生きていくために立ち直ろうとするんだろう。
「助けていただいて、ありがとうございます」
 僕は頭を下げると三人に言った。
「僕と彼女を……」

「礼を言われる覚えはない」

 ぴしゃりと冷たく言い放つ四十九願(よいなら)。 ひくりと顔を歪めながら僕は恐怖で泣きそうになった。
 正直言おう、実はかなり無理して彼らと会話をしていた。本当は怖い、この上なく怖い。別に四十九願(よ いなら)だけでなく、親しみやすい化野(あだしの)で さえも本能的に恐ろし い。尸童(よりまし)の場 合、実体験が基づくけど、四十九願(よいなら)の 場合現在進行形で新鮮な恐怖を味わっていた。
 ……礼など言わないほうがよかったのではないかと思ってしまった僕だった。
 頭を下げたまま、上を向けないでいると他の二人がそんな僕と彼を見比べながら、笑いを堪えている気配がした。
「行くぞ」
「なーにセリフ決めちゃってるのかしら」
「カッコつけェイ〜」
「お前らもいい加減にしろ」
 にこりと微笑む四十九願(よいなら)に二人は一 瞬固まった。ついでに僕も固まった。彼の笑顔が怖い。爽やかな笑顔が怖い。もう、失神しそうだ。
 とりあえず彼らはおっけーサインを四十九願(よいなら)に 送っていた。
「……」
 徐々に彼が遠ざかっていく。彼らも彼らの日常に戻る。
 そう思うと少しばかり名残惜しい気もした。……いや、ある意味ほっとしたかもしれない。



「あ、忘れてた」



「うわっ」
 急にそばから化野(あだしの)の声がして仰天し た。彼女は一メートルも離れていないところに涼しい顔をして立っていた。
「これ、持ってきなさいな」
 何かを手に押し付けられて見るとそこには赤い唐傘があった。所謂、時代劇に出てくる代物だ。
「え? 傘? って古っ」
 まじまじとめったに見れない傘を見ると僕は彼女を見――



「君君、この傘さシタマえー!」



「ひぉうっ?!」
 いつの間にか下からにょっきりと尸童(よりまし)が 楽しそうに歌を歌いながら現れた。おかげで奇声を上げてしまった。
「で、で、も」
 び、びびった。ばくばくする心臓をなだめながら言うと、化野(あだしの)は 微笑んだ。
「私ならあいつのに入るから。それにじゃないと……」
 意味深な笑みを浮かべると、ぽんっと彼女は僕の肩に手を置いた。


「あちらへ戻れなくなるよ? 坊ちゃん」


「――え」
 その言葉に僕ははっと気がついた。
 忘れてた、ここは黄泉の国の手前。
 ここにいるということは死を意味する。
「もっとも、貴方が此方に来たいというなら別だけど(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)
 気軽に言う化野(あだしの)。それにしばらく沈 黙すると僕は首を横に振った。
「……いえ」
 今度ははっきりと声を出して言った。
「僕は生きます。このままで終わりたくないですから」
「そう……。なら後ろの道をまっすぐ進むといいわ」
 後ろに指を指しながら化野(あだしの)は微笑ん だ。そこはいつの間に病室はなく、代わりに続く限り永延と一面に青い紫陽花(あじさい)の お花畑。その中には細い道が ずっと向こう側まで続いていた。その先は見えない。
「傘は決して手放さないで、さしていなさい。振り向いてもいいけど、決して足を止めないで。絶対に」
 一面の紫陽花に少々驚きながらも、ちらりと赤い唐傘を見た。

「蛇の目デお迎えウレシイナー!」

 いつの間にか尸童(よりまし)は 十歩ほど先の場所で赤い唐傘を差しながら跳ねていた。そして上空を眺めてにこりと笑っていた。
 そんな尸童(よりまし)の 様子を見ていた僕と化野(あだしの)
「さ、傘を差しなさいな。もう行かないと戻れなくなるわよ?」
「あ、はい!」
 彼女の言葉に慌てて傘をさした。案外傘は重くなかった。僕一人が入るには十分すぎるほど大きい。でもこのくらいあれば雨が振ったとしても決して濡れな いだろう。
「じゃあまたいつか(・・・・・)、ね」
 こちらに手をふりながら尸童(よりまし)の 元へ行くと彼女は傘を取り、尸童(よりまし)と 一緒の傘に入った。

 また(・・)

 僕はその言葉の意味を彼女に尋ねようとした。
 けれど疑問を聞ける前に彼女は空を見上げていた。僕も釣られて空を見上げる。けど別に特に変わったことはない。
 再び化野(あだしの)を見ると彼女はすうっと目 を細めていた。
 そして尸童(よりまし)も 楽しそうに空を見上げた。



 瞬間




 ざああああああああああああああ……





 視界を遮るほど大粒の雨が滝のように降ってきた。
「ピッチピッチ チャップチャップ」
 嬉しそうな尸童(よりまし)の 声が響く。彼らの姿は雨のせいで影しか見えない。遠ざかっていく彼らを見ながら、僕は一度目を瞑ると彼らに背を向けた。



 僕は、生きていく。


 そう、僕が望んだから。


「ランランラン」

 尸童(よりまし)の声が徐 々に雨音で掻き消えていった。






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