Promise

〜一章・1〜






 ――――悲しくて切ない夢を見た気がした。
 胸がひりひりと焼け付いて
 体が死んでしまったんじゃないかというほど冷たくなって、怖くて、悲しい夢を――――



*  1 *


「日和―っ!!」
 ばさぁっ
 冷たい空気が体に触れる感触、まぶたの裏に映るまぶしい光、そして耳に馴染んだ元気の良い声。
 私は身じろぎすると急に寒くなった体で目を覚まし、薄っすらと目蓋を開けた。すると目の前にはお姉ちゃんが爽やかな笑顔で目前にいた。その 横から光が差し込んでいる。……まぶしい。
 私はとりあえず、目を薄く開いたままムクリと体を起こした。
 なんか、夢見た気がする。
 ぼーっとしていると、ベットが軋んで頭の上にぽんぽんと撫でる感触が伝わった。
 その感触を心地よく感じながら慣れてきた目を開くと、お姉ちゃんがベッドに腰かけて私を見て笑っていた。
「おはよん」
「おはよー……」
 お姉ちゃんの温かくて通った声ににこぉと笑うと私は言った。
「相変わらず低血圧ねー。大丈夫?」
「うん……がっこー」
 そんな私に微笑むと頭をなでるお姉ちゃん。その柔らかで温かい心地よさが再び私に睡魔を呼び寄せた。
 ……ちょっと眠たくなってきた……。
「こら、眠るなよ?」
「うん、すぐ行くー……」
 間延びした返事をする私に少し呆れたように苦笑したお姉ちゃんはまたぽんぽん頭を叩くと部屋を出て行った。
 残された私はしばらくぼーっとする。ぼーっとする。ぼーっと……
「起きなきゃ……」
 危うく二度寝する寸前で私はムクリと起き上がってハンガーにかけてある制服に着替えることにした。
 制服は白のブラウスに細い灰色の紐のリボンと、下は紺色のズボンという組み合わせ。
 私が通っている学校の制服は生徒会の人か行事の時以外は特に着なくていい。服装は度を越さなければなんでもいいみたい。その上女の子の制服はズボンもある。
 私は普段着も着るけど今日はとりあえず制服でズボンにしている。理由は、もう選ぶ時間がないのと、動きやすいから。スカートは気分ではくときもあるけど、制服ならもっぱらズボンかもしれない。だってやっぱり動きやすいから。
 私は一通り着替え終わると、下へ降りた。
 一度、洗面所に行って顔を荒い、すっきり完全に目覚めるとお腹が空いたと自覚し始めた。お、お腹が鳴る。そそくさと私は食卓へ足を進めた。
「おはよー」
「おはよう」
 こちらに向いてお母さんが言った。食卓を見ると珍しい、ホットケーキだ。でも私の分しか皿がない。今日はみんなどうしたのかな。
「ちーにぃは?」
 きょろきょろとあたりを見ながら私は言った。食卓にはお姉ちゃんとお母さんしかいない。お父さんは仕事に行ったんだろうけど、なんか静かだ。
「知尋は部活」
 新聞の影からお姉ちゃんが答えた。あ、お姉ちゃん親父みたいだ。
 ってそっか、どうりで静かだ。確かちーにぃの高校、バスケ強いらしいし力入れてるんだろうな。けどちーにぃサボり魔だって聞いてけど。根性入れ直したのかなー。
 私はは納得しながら席についた。
 お姉ちゃんはこんな時間まで家にいてていいのかなぁ。さくっとホットケーキをピザみたいに切り分けた。あ、今日授業ないのか。
 あと一人……。
「みつにぃは?」
「充彰(みつあき)は院生の集まりで早くから出かけたわよ。っていうか、昨日言ってたでしょ」
 そうお母さんが言いながら、呆れたように新聞をたたんでこちらを向くお姉ちゃんと一緒に私を見た。うーんそういえば、言ってたような言ってなかったような。
「……寝ぼけてるのかも」
「日和はいつでもボケてるしね」
 コップを出しながら言うお母さんの言葉に、どうしようもない気持ちになりながら黙ってホットケーキを口に入れていると、くすくすと笑われた。うん、笑われた。
「真純(ますみ)、牛乳取って」
「はい」
 お母さんに牛乳を渡すお姉ちゃんの声を聞きながら、どうしてこう私は記憶力が乏しいんだろうなぁと思った。うん、おばあちゃんになる前に老化してどうするんだろ、私。でも次第にそんな考えもホットケーキのおいしさに薄れていった。幸せー。




「おはよう」
 玄関を出て、かけられた声に私は振り返った。
「ゆう、待ってたの?」
 目を見開いて驚いた。
 そこには従弟のゆう――結人(ゆうと)がいた。
 私は時計を見た。結構遅めだ。どのくらい待たせていたんだろう。
「そりゃもちろん」
 微笑むゆうは別に気分を悪くした様子はない。けどとても申し訳ない。いくら家が隣で同じ学校とは言えど、学年一個下だし。
「早くいけよー遅刻するぞー」
 そう遠く離れていないところから幼い男の子の声が聞こえた。隣の家の窓からもう一人の従弟、雅人が窓から顔を出していた。ほっぺたにご飯がついている。可愛い。小学1年だもんね。
「わかってるよー、まさ」
 少し和みながら遅刻という言葉に慌てる私は、彼に言い返した。
「行こう、日和」
 そんな私に笑いながらついてくるゆう。
 そこでふと私は思い出して、歩きながらゆうに振りかえった。
「そういえばイノリとイナリは?」
「……今日は家の用事で遅刻してくるってさ」
 少し間を置いて言うゆう。その顔は心なしか少しつっけどんとしていた。うん? 二人のこと、やっぱり苦手なのかな。
「そっか」
 そう言うと、私はありがとうと言って前を向いた。
「ところで体の調子、どう」
 横に並ぶとゆうはこちらに顔を覗き込んできた。
 心配そうな瞳にぶつかる。
「ちょっと眠い……かも」
「それ以外には?」
「うーん? ゆうは心配しすぎだよー」
 笑いながら私は言った。実は私は少し体が弱い。慢性的な貧血症だったりする。けれどそれ以外は滅多に病気にもならないからそんなに気にするほどじゃないと思うんだ。
 ゆうは家族の中でも特に私の体調を心配する。ほんと、過保護だよね。
 でも心配してくれる気持ちはとても嬉しい。
「本当に無理してないな?」
「うん」
 感謝の意も込めて私は笑った。
「ならいいよ」
 それに少し照れながらぷいっと横を向くゆう。ちょっと過保護になりすぎたことに気づいて、恥ずかしくなったのかもしれない。こんなところ、可愛いなぁなんて、思ってしまう。頭を撫でてあげたら顔を赤くしてやめろって言われた。そういう反応が可愛いんだもん。
 私はちょっと和みながら笑った。

 

 ゆうと階段の所で別れて、私は3階に上がった。私は三年生、ゆうは二年生。だから階が違う。「誕生日が後数カ月早かったら……」とかぶつぶつなにか呟くゆうに手を振って私は教室に向かった。
 時計を見ると朝礼3分前だった。うん、このくらいだと歩いていっても大丈夫かなー。
 ゆっくりマイペースに歩いていると突然、後ろから手が伸びてきて誰かが飛びついて来た。
「ちょっちょっ……」
 後ろに倒れそうになりながら私は慌ててバランスを取るために伸びてきた腕を掴んだ。
「ひーよーりーっ!!」
「ふごっ」
 耳元に元気な声が届くと同時に少し首が締まった。
 少しせき込んで振りかえると、褐色のショートヘアの女の子。
「ち、千弦ちゃんおはよー」
「うんうんおはよぅ! 今日も日和は和み系だわぁ。撫で撫でしてやるっ」
 そう言うと、ムツゴロウさんみたいに私の頭を撫でた。というか髪の毛ばさばさにされた。わぁ、頭が箒みたいになったよ。
「おーい高階(たかしな)ー、そのまま安栖(あんざい)押し倒すなよー」
「任せろ!」
 なにを任せるのかわからないけど、教室の窓から男子がはやし立てる声がした。同時に千弦ちゃんの腕が首を絞めてきた。うう、千弦ちゃんパワフルだ。流石野球部なだけあるよ。
 けどちょっとそろそろ限界かも。どういう具合か、ヘッドロックみたいな感じで息が出来なくなってきた。
「ぐっ……ち、千弦ちゃん苦しいよ」
「おー高階、絞め殺すなよ」
「そして剥製漬けにして家に飾るなよー」
「どんな危険人物ですか、私は」
「ち、ちづ、ちゃん、腕、苦しい」
 クラスの子達になおも言われ、そう返しながらどんどん腕がきつくなっていく千弦ちゃん。や、やばいよ。声、小さかったかな。あ、なんか景色が暗くなってきた。
「とりあえず、高階さん離したげて!」
「安栖ちゃん昇天しかけてるっ」
 そんな女子の言葉に千弦ちゃんがこちらを見て、ぎょっとした。
「な、なんで言わないのよあんた!」
「いやお前聞いてなかっただろ」
 呆れ笑いをするクラスメイト達を後ろに慌てて腕を離す千弦ちゃん。ふらりと揺れる私の体を支えた。軽く、貧血状態に近かった。いや、窒息状態かな。
「あはは、ごめんねー」
 青ざめておどおどする彼女に私は心配ないと笑顔を向けた。
「安栖さん、こんな猛獣に気を使っちゃ身が持たないんじゃない?」
「可哀想に毎朝このゴリラハグなんてお見舞いされて」
 何気に皆千弦ちゃんのこと言いたい放題だ。後ろの方で「猛獣ってなにさ!」と女子に言いながら、男子には蹴りをお見舞いする彼女の姿が見えた。朝から元気だなぁ。
「でも抱きつかれるの、私好きだよー」
 クラスの子達に言うと、一瞬間が空いた。
「いい子だね、安栖さん」
 なぜかクラスメイト達に温かい視線を送られた。なんだろう、とりあえず私達は教室に入った。
 丁度先生が来たところだった。危なかったぁ。息をついて私は自分の席に着いた。


 それがいつもの平穏な日常

 繰り返し何事もなく、幸せな日々


 でも――


「……?」
 ふいになにか気になって窓の外を見た。
 広がるのは、目を奪われるような青い空。
 雲ひとつない、澄んだ青。
 なにかを思い出せそうで、でも

 無意識にシャーペンをぎゅっと握った。

 なぜか、切なくなった。

 ――今日でそんな日々の終止符が打たれた。




 

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