―――― いつもと同じ、変わらない朝 和やかな空気。 それでも、なにか少し景色が違って見えたのは 今朝見た夢のことが気がかりだったからかもしれない それともこれから何かが起こることを本当は私は知っていたのか―――― * 2 * ガラッ 「おー五槻宮(いつきのみや)―ズ、おっせえぞ!」 そんな男子の声がして私は顔を上げた。 今は一時間目の休憩で、私は窓際の席で日向ぼっこをしていた。夢の内容は覚えていないけどなんだか今朝は夢見があまりよくなかったのか、少し落ち着かなかった。だからいつものように空を見ながらぼーっとしていた。空を見上げると、ほんの少しだけだけど、なんだか気持ちが和らぐ気がする。柔らかな空の青が、優しくて。そんな感じでうつらうつらと、気持ちよい睡魔に身をゆだねようとした時だった。 薄く開いた瞳でぼーっと教室のドアを見るとよく見慣れた顔の男の子二人がいた。 「うるさいな久我(くが)。こっちは早朝から祭事の手伝いをされて疲れてるんだ」 「おーイノリは格別今日は機嫌悪いねぇ」 冷やかす久我君に片方の男の子がそっけなく答えた。イノリだ。ほんとだ、なんかちょっと疲れた感じがする。 「ほんと、お前、元気だよな……ってか、ちょっとそこどけよ」 「わりぃわりぃ。つかもうちょっとお前の相方に愛想とか教えてやれよーイナリ」 そう言いながら久我君は横にどいてぽんぽんともう一人、イナリの肩を叩いた。 「いやぁごめん、無理」 「即答かよ」 爽やかに笑うイナリにびしりと久我君がつっこむ。あーいつもの風景だ。 そう思いながらふとイナリとイノリ、二人同時に目が合った。私はまだ眠気眼をこすってにこっと笑いながら手を振った。 すると、イナリが目の前までやってきた。 「おはよう、日和」 「うん、おはよー」 笑いかけると少し、ぷっと笑う声が聞こえた。見るとイナリが私の頬をつついていた。 「痕ついてるぞお前」 まだ笑いながら言うイナリに私ははっとして、頬を撫でた。わ、ほんとだ、なんかでこぼこしてる。 「ああっ、こ、これ次の授業までに消える……かな?」 「あと何分だっけ?」 「よ、4分?」 「んじゃ消えるんじゃねぇ?」 ぽんぽんと頭を撫でると笑いながらイナリは言った。うわぁ、撫でられた。なんかこういう時恥ずかしいなぁ。そっか、ゆうも同じこと思ったのかも。ちょっとゆう撫でるの控えようかな。でも可愛いしなぁ。 などと思っていると、ふいに人影がさしてきて顔を上げた。 ベシッ 「変な顔、にやけて気持ち悪いよ?」 ふっと笑いながらイノリがデコピンをしてきたと気づいたのは、数秒後だった。 「そ、そんな変な顔でしたかね?」 「うん、更に寝た痕つけてるし? てか、言葉使いも変だし?」 にっこり言われて、なんだか落ち込んだ。鏡を見てないけど想像してみてかなり変な自分だってわかった。 「ま、日和が変なのは今に始まったことじゃないけど」 さらりと言いながらイナリも席に着いた。な、何気にイナリの言葉も響くよ? と、なにかを言う暇もなくチャイムが鳴って先生が入ってきた。 思ったより早く経った時間は私の寝た痕を消してくれず、先生と目が合った途端、にやりと笑われた。 しの先生に笑われた。ちょっとカッコいい笑みに私はちょっとときめいた。カッコいい女の人っていいよねー。 でもはっと笑われた理由に気付いた頃、私はちょっと恥ずかしくなった。……なにはともあれ、今度寝る時はクッション持ってこよう。これで大丈夫だ。私はひそかに誓った。 とりあえず、寝る前に用意していた教科書とノートを私は広げた。一番好きな現国だ。えーと、あ、ここだ。誰か昔の人の小説だっけ。ちょっと鬱な話だけど、なにか心にくる話なんだよねー。 と、ほくほくしているとカッカッと擦るような軽い音が聞こえた。しの先生が黒板に早速白い文字をのたくっていた。それを私は慌ててノートに写した。危ない、授業に集中しないと。ぼーっとする癖を叱咤して私は黒板とノートを交互に見た。 しばらくしてしの先生が書き終わった。なんとか皆も写し終えた頃、今度は誰かが音読を当てられた。それを教科書の文を目で追いながら私は何気なく聞いていた。 すらすらと澱むことなく一定のリズムで読まれる文章。同じリズムで文章を目で追う。 クラスメイトの声と目で追う文章が同時に耳と目から入っていく。まるで言葉が教科書から音になって出てきたような錯覚を覚えてしまう。ファンタジーの読み過ぎかなー。 なんて思いながら私は次の文章を見た。 クラスメイトがひと間を置いて次の文章を読むために口を開く。 その文字を視界にとらえたのとクラスメイトが音読したのが同時だった。 『いずれその時が来る』 悪寒がした。 「――――っ!」 急に息苦しくなる。 その文字からどうしても目が離せなくなってしまった。まるで金縛りみたいに。 どうして動けなかったのか。 その文字が動いた気がしたからだ。 その文字が声になって、自分に語りかけているような。その言葉を紡いだ口から出た吐息が頬を撫でたような。そしてその吐息が、自分の中に通り過ぎたような――――そんな錯覚がした。 頭の中をかき乱されたような吐き気が襲う。 苦しくて、耐えるために目をつむる。 「――――うぐっっ!」 一際鋭く刺すような痛みが頭を抉る。 嫌だ。 私は必死で頭を振った。 触らないでっ。 痛みで朦朧とする中、私は自分をかき乱す何かから逃れようとした。 一瞬痛みが弱まったその時、何かが片隅で見えた気がした。 公園 夜空の月 姿見が置かれた部屋 子どもの笑い それは無音のモノクロ映像。 痺れたように思考が停止する。 『思い出すな。まだ早い』 なにかが、耳元で囁く。 『まだ、早いんだ』 なにかが、そっとどこかで聞いた声で。 『壊れるな、日和』 撫でるように私の目に――――――目隠しをした。 「はい、今日はここまでだね」 しの先生の凛とした声で私ははっと顔を上げた。 同時にチャイムが鳴る。お昼休みを告げる、チャイムだ。 教室がざわつく。まるで今までヴォリュームを消していて、急に元に戻したように音がどっと耳に押し寄せる。 全力疾走したように息苦しかった。心臓が飛び出しそうなほど動悸がする。 額に手を当てると、少し汗ばんでいた。でも感じるのは寒さ。 「安栖ちゃんどうしたの?」 前の席から誰かが心配そうにのぞきこんできた。 「顔色悪いよ?」 「……清(せい)ちゃん。ん、大丈夫だよ」 私は笑った。でも清ちゃんは少し納得していない表情をしていた。私が貧血症ってこと知ってるからなぁ。心配かけちゃったかな。 「本当に?」 念入りに聞いてくる清ちゃん。うーん、困ったな清ちゃん鋭いからなぁ。 「うん! あ、清ちゃん、食堂のパン大丈夫?」 「え? あ、わわわ! やっばっ! 行かなきゃ!」 そう言うと、慌てて清ちゃんは財布を掴んで走り去っていった。人気の高い、小豆メロンパンを狙ってるからなぁ。 私は席から立ち上がると一旦目をつむって深呼吸をした。あまり心配かけないようにしないと。 前一回教室で倒れちゃったことあったし。 私はゆっくり目を開けた。そこはモノクロではなく、色の付いた世界。 「……」 まだ少し車酔いした様な気持悪さが残る頭で、私はそっと教室を出た。誰にも気づかれないよう。 けれどイノリとイナリがその様子を鋭い目つきで見ていたことを、私は気づいていなかった。 * * * ――――なにかが少しずつ、音を立てて歪む。 『できればそれを君に気づかせたくなかった』 |