――――少しずつ日常が色を変えて崩れていくのを知らずにいた だって、そんな余裕、なかった * 3 * 「柏木さんってやっぱり落ち着くー……」 私は頬を寄せながらほう……と幸せのため息をついた。 「……僕さ、これにどう突っ込めばいい?」 「とりあえず、俺は木に抱きつくなと言えばいいと思うな」 そして私はイノリとイナリによって柏の木から引きはがされたのだった。 教室に出てから私は保健室に行こうか迷っていた。 歩いていたらそんな保健室に行くほど気分が悪くなくなったから。でもまだあの頭をかき乱すような気持ち悪い感触はずるずると引きずったまま。 そう悩みながら歩いていると、いつの間にかイノリとイナリが目の前にいた。どうも気分が悪いことに気づかれたらしい。あれぇ? そんなにバレバレだった? そしてとりあえず、二人に憩いの広場まで連れてこられた。 私達の学校は花壇や緑が多いことで実は有名だったりする。山や林が近くにあるとかじゃなくて、元々緑がたくさんある大きな公園を買い取って学校を立てたかららしい。本当は個人の公園で公けに開放していたけど、その所有者が亡くなってこの学校の創立者が譲り受けた。そしてその公園にあった芝生や木々は生徒の憩いに残されたと言う話。 私達が来た憩いの広場もその一つ。 噴水があって、そのまわりに石畳があり、そして更にその周りに芝生が生え、そのまた更に木々が立ち並んでいる。ここは結構生徒に人気のある安らぎスポットなのだ。 憩いの広場に来ると、私は芝生を通りすぎ、ふいに座らされた。頭上に影が差したのに気づいて見上げてみると、そこには柏の木。 緑のみずみずしい匂い。 きらきらと輝く木の葉。 私は思わず柏の木に抱きついていた。 そして現在に至る。 「不思議だよねーいつも柏木さんのとこ行くと気分がよくなる」 私はそう言いながら馴染みの木の根元に座った。下は芝生だから座り心地はいい。「柏木さん」と私が呼んでいるのは、ある特定の木じゃなくて、ここ憩いの広場にある柏の木全部のことを総じて言っている。なんだかいつもいい気持ちにさせてくれる木々に、親愛の念を込めてそう呼んでるんだ。 それにこれは誰にも言ってないけど、木々のざわめきとか草花が揺れる時、彼らが私に話しかけているように聞こえる。こんなこと言ったら変な子と思われるかもしれないけど、たぶん私植物とお話ができる。だから彼らを呼ぶ名が必要だからという意味でもこう呼んでいる。 「そりゃ柏は葉守の神が坐すと言われてるからな。生気を与えて下さってるんだろう」 そばにイナリが腰を下ろしながら言った。 するとイノリも私の横に座った。二人が私を挟んで座る形になる。 「柏の葉はその昔食べ物を包むものとして使われた。今じゃ神事に使われるくらいだけど、食べ物という大切な物を盛るものとして神聖視された。そんな由緒ある樹木であることに加え、森林浴と言う意味でも体にいいのかもね」 「なるほどー流石神事とかそういう関係に詳しい。家が神社だけに」 ふうとため息をついて足を交差させるイノリに私は嬉しそうに笑った。本当はあまりクラスの人にはこういったウンチク(と二人は呼んでる)を二人は話さない。けれど柏の木の由来を知らない私に教えてくれたから。 風がそよいでいく。葉がささやく。 しばらく私達は黙ったまま足を延ばした。 穏やかな空気が流れる。 「でもそっか」 私はそっと言った。二人がこちらを見る。 「柏木さんに感謝しなくちゃね」 私は少し硬い木の幹に額を寄せて、樹皮をそっと撫でた。でこぼこした肌触りが楽しい。 ぐいっ と思ったら腕を掴まれて、柏木さんから離された。見るとイナリがため息をついている。 「え、なに?」 もしかして蟻さんが登りそうだった? それとも虫が降ってきた? などと思いながら見たら……どうも違ったみたい。もう一回ため息つかれた。しかもイノリも同時に。加えて首を横に振ったり、額を押さえたり。私、なんかしたかな。 「あのな、いつも言うけど止めとけ。あんまり構うと葉守の神にちょっかい出されるぞ。それにはたから見たら変人だ」 「急に化けて出てきたらどうしてくれるのかな? 仮にも宮司の息子がむやみに神は追い返せないんだけど?」 イナリとイノリ二人ともに言われて私は少し考えた。確かに人に見られたら変に思われるかもしれない。葉守の神様は別に――追い返さなくてもいいのに。むしろ……私は手を打った。 「化けて出てくれたらお礼言えていいかも」 「「止めとけっ」」 二人の慌てた声が重なった。 ――その時。 「元気だな、相変わらず」 「あ、庭師さん!」 声がして上を向くと作業着を着ている緑の手入れのお兄さんがにっこり笑っていた。 「「っ!?」」 そんな庭師のお兄さんの登場にばっとイノリとイナリはお兄さんを見た。お兄さんいつも神出鬼没だからなぁ。急に出てきたからか、驚いてるみたい。二人の顔がひくついてる。 「やぁ日和ちゃん、気分はもう大事ないか?」 「はい、大丈夫ですよ」 しゃがみこみながら尋ねてくる庭師さんに元気だと言うことを示すために笑いかけた。それにうなづく庭師さん。 「それはよかった」 「うん、柏木さんのおかげ」 「それはそれは」 私の言葉に目を細める庭師さん。すっと私の頭に手を伸ばした。 「申し訳ありません」 突然イナリが間に入ってきた。庭師さんがそちらを見る。彼の手には葉っぱがあった。あ、庭師さん取ってくれたんだ。などと思っているうちに、イナリが庭師さんに頭を下げた。 「僕達まだ昼ごはんを取っていませんのでお暇させて頂きます」 「そうか?」 「それでは失礼致します。ほら、行くよ日和」 同じくイノリも頭を下げてから私を教室へと続く通路へ引っ張っていった。あー、折角庭師さんに会えたのに。何気にレアキャラなのに。 「……えー、あーではまたー!」 とりあえず庭師さんに手を振ると、相手もにこにこ笑いながら降り返してくれた。あー、庭師さんと木って本当に絵になるなぁ。と思っているとイナリが横に追いついてきた。 「ったく、鈍いのかなんなんだか。礼なら俺らが伝えてやる、宮司の息子なんだし」 額をかき上げながら言う彼。一瞬なんのことかわからず首をかしげていた。けどさっきの葉守の神様にお礼を言う話のことだと気づいた。そうか、イナリとイノリなら宮司として言葉を届けることが出来るんだった。でも…… 「ありがとー」 おじさんの神事の手伝いとかさせられて忙しいのに、私の言葉も伝えてくれるんだ。嬉しくなって微笑んだ。でもそれがどうしてかいけなかったらしい。ものすごく疲れた顔で二人に見られた。 「わかってない、こいつわかってない」 「仕方ないんだよっ日和は馬鹿だからっ」 あのー二人ともなんか可哀想な子を見るような目で見ないでよー。 二人にそのまま教室まで連れられた。 教室に着くと眉間にしわを寄せた千弦ちゃんが待っていた。そしてどこかに行く前にちゃんと昼ごはん食べなさい頭をはたかれたのだった。 そう言えばお腹すいた。 * * * ―――― 軋む音は小さいけれど、確かにあった でもそれに気づかなかった |