Promise

〜一章・4〜




* 4 *




* * *

 その日の帰りは、イノリとイナリが家まで送るということになった。顔色が少しでも悪いとすぐにこれだ。
 でも部活だけはしたかったから頑として譲らなかった。結果――
「日和―今日部活あるの?」
 終礼の後、カバンに教科書をさっさと詰め込むと千弦ちゃんが机の前にやってきた。
「うん、千弦ちゃんちょっとよってく?」
 私はにやけそうになる頬を引き締めて千弦ちゃんに言った。
 部活に行けることになった。やった。ふんばってみるものだ。
「えへへ、今収穫できるものってある?」
「へへっ、千弦ちゃん持っていくー?」
 ビッと親指を立てて爽やかに微笑む千弦ちゃん。私もビッと親指を立てて笑う。
 しばらくお互いを見ながら企み笑いを浮かべた。
 実は私は園芸部に所属している。あまり人気がないイメージだけど、何気に部員は居る。しかもグリーンハウスがあったり、学校の敷地の色んなところに花壇があったりするから、結構やることはたくさん。しかもたまに庭師の人のお手伝いや木の裁断もラッキーだったらする機会もあるから、部員にはその道を目指したいと言う子も来ている。かと思えば、野菜を栽培したり収穫の時期になったらそれを持って帰れるから入部したって子もいる。本当は野菜をお持ち帰りできるのは部員だけなんだけど、自分がもらったのは人にあげるのはおっけーという裏ワザもある。
 千弦ちゃんの場合もちょっとこっそり私が横流しということで。
「なになにー、安栖っち達顔おかしいよ? あ、そうか今日収穫?」
 クラスの子がカバンを持って寄ってきた。掃除の準備をしている他の子の邪魔になるから、教室を出ながら私はしゃべった。
「うん。よかったら一片(ひとひら)ちゃんももらってってー」
「え、学校に寄付しなきゃいけないんじゃなかったっけ?」
「向後(むこう)さんしーっ」
「私がもらったのはあげられるし、もう一人の顧問のタカタンに言ったらたまにくれるよ。あ、ちなみにタカタンは今日イチゴ摘むみたい」
「……うしっ、ちょっとタカタンにねだってこよ!」
 などとクラスメイトにこっそり情報を提供すると、嬉々として職員室の方へ向かう彼女に手を振った。
 実は結構学校の敷地のあちこちが活動拠点なため、園芸部には顧問がもう一人いる。部員もみんな一つの場所じゃなくて、希望等でする時と場所が日によって違うこともあるから収穫物も違うんだ。
 まぁやる気がある子や、行きたい子は一日に色んな場所に行くこともあるけど。実はそれが私だったりする。だって雑用を頼まれた時通るんだもん。せっかくならついでに手伝いたい。ほんと色々と園芸部はやることがありすぎて、楽しい。それで統率がとれているのかというと何とか出来てるから園芸部はすごいと思う。しかもちゃんと植物の情報も回ってくるし。
 まぁあんまりすると庭師さん達の仕事がなくなるから、木の裁断とか本格的な校門の近くの大きな花壇は庭師さんがもっぱらやるんだけど。でも掃除の手伝いはする。だから園芸部の子は庭師の人と会う機会が多い。
 すると不意に私は思い出して、千弦ちゃんに話した。
「そう言えば今日庭師さんに会ったよ」
「あーあの神出鬼没の園芸兄さん?」
 ちらりと憩いの広場方面を一瞥すると彼女は言った。
「そう」
 わかってくれた。その庭師さんだということを示すために私うなづいた。
 実は学校内には他にもたくさん庭師さんがいる。中でも今話をしている庭師さんは一番若い気がするけど。あとついでにとても美人さん。これだけ広い敷地だから流石に一人の人が手入れしているわけがない。実は中高と校舎が隣接していて、それで合わせて敷地を使っているから、結構私達の学校は広い。一応私立だし、この学校の理事長、お金持ちだよね。実は他にも学校を立ててるって噂だし。でも学費はそんなに高くないから謎だ。
「私、何回か見たことあるけどさ。 話したことないわぁ。憩いの広場は結構行ってるけどさ」
 歩きながら千弦ちゃんが言う。確かに他の子もそんなに頻繁に庭師のお兄さん(他の庭師さんには会うらしいけど)に会わないし、知ってる子も少ない。よく会うのは憩いの広場なんだけど、そこに行けば会えると思うんだけどなぁ。そこが担当っぽいし。まぁそもそも園芸部以外で庭師の人と直接交流のある人は少なさそうだけど。
「気配消すのうまいんじゃないかな」
「気配消す意味がわからんよ」
 ふと実は庭師さんは忍者とか、想像して口に出すとカバンを頭の後ろに持ちながら呆れ気味に千弦ちゃんは笑った。
 確かにそんなことする意味ないかもねー。まだ庭師さんが木の葉を頭にのせてどろんとする姿を思い浮かべながら笑った。
 けれど不意に、別の何かが急に頭の片隅に浮かんだ。どうしてだろう。唐突にそれは浮かび上がった。
 初めはぼやけて輪郭ないものだった。
 なんだろう。頭の片隅に目を凝らすように、何かを思い出すようにそのことに意識を向けると、水から浮かぶようにそれは現われた。
 それは鳥だった。
 真っ黒な、青光りするほどの輝きを持つ鳥。脳裏に浮かぶそれを私は、驚きと共に感じ、見ていた。
 でもそれは烏とかではなくて、もう少し小さい体つきをしていた。スズメより少し大きめの体。けれど私が少なくてもこの付近では見たことのない種類のものだった。
 一瞬、その綺麗な鳥に意識を奪われてぼうっとしていた。思考の中のはずなのに、それは鮮明で鮮やかな気配を持っていたから、まるでそれが実際目の前にいて見ているような錯覚が起った。
 不意に私はなにかを感じて鳥の目を見た。
 思考の中の産物のはずのそれは、黒の中で鋭くきらめく鮮やかな紅。その目が私を見ているような気がした。あまりに目の前で存在しているようなその鳥の目は、まるで心の中を見ようとしているかのよう。
「…………っ」
 胸の中がざわついた。
「日和―?」
「あ、う……ん。千弦ちゃんあの鳥綺麗?」
「え、どこ、鳥? つか疑問詞?」
 現実と頭の中の出来事がごっちゃになって、私は思わず口に出していた。きょろきょろとあたりを見る千弦ちゃん。けどもちろん私の頭の中で見たことだからいるわけがない。
 にぎりしめる手の内にじとりと汗がにじむ。頭の芯がまるで研ぎ澄まされたような感触。でも現実だけが妙に私と鳥の間にさ迷っているような感覚があった。
 すると、その頭の中にいた鳥も霧が明けるように消えていった。
「……いなくなった」
 ぽつりと呟いた。
 恐怖ではなく、気持ち悪さでもなく。
 何かが私の中で、疼くようなそんな気持ちが染みるように広がっていった。
 そう、まるであの童話の青い鳥を逃してしまったような、けれど再び見つけてなのに再び見失ったような、そんな気持ちが渦巻いた。

マタ、ミウシナウ?

 唐突に浮かんだ疑問。私は首を傾げた。何を見失うと言うんだろう。
 無意識に浮かんだ自分の問いかけ。
 薄く淡い焦燥感が胸を襲う。

マタ、ワタシハコノママゴマカサレタママナノ?

 だから何を?
 わけのわからない疑問。その一方でなにかが私にブレーキをかける。
 そんなふわふわと紙風船のようにあっちに行ったりこっちに行ったり、さ迷う私の思考。無意識の中に意識を向けるような手探り感。微かなイラつき。
 私は一体何が気になるのだろう?
「…………」
 さらりと風に揺れる髪の毛。
 額に汗がにじむ。
 いやに、頭を掻き毟りたくなるような衝動にかられた。
「あ、あれか――――」

パアァン!

 千弦ちゃんの言葉が終らないうちに私の右前にあったガラスが割れて、破片が降ってきた。けれど私はそのことはひどく、他人事のように思えた。

― マタ、キヅカナイママ? ―

 それよりも心の中の声が、深く私の中で響いては、かき乱す。

「うああああああああぁっ!?」
 彼女の叫ぶ声。
 マタ、ミウシナウ?
 心の中で誰かが囁く。

 同時に現実に起こっている出来事がひどく、ガラスの浮こう側のことのように現実感がなくなった。代わりに頭の中の出来事が、私の思考を攫った。

危ない

ノイズが駆け抜ける。
モノクロの画像。
誰かの叫び声。深い、水底。紫の目。
コレハ何?
モノクロの映像。

大丈夫だ、落ち着け

パアァン!

 ガラスの破片が一歩手前で落ちる。
 遠くで千弦ちゃんの声がする。私は動けなかった。もしくは動かなかったのかもしれない。わからない。

マタ、キヅカナイママ?

水の中から浮かぶような心の声。
ノイズが駆け抜ける。
歪むモノクロ。
12時を指した時計。血の滴る音。

パアァン!

 少しだけ大きくなったその他人事のような音にやっと、ゆっくりと私は前を見た。
 きらきらと、光るものが私に向かっていた。
 ガラスが顔に――――

日和、落ち着くんだ

体を温かな風が包む。
頭に響く誰かの声。

――――途端、音がなくなる。

 いつの間にかガラスが割れる音も止んだ。
 私の方に落ちてきたガラスは、下に落ちていた。

 そこで私の意識は溶けるように現実に戻された。
 私達がいた付近の廊下の窓ガラスがほとんど、割れていた。

「ね、ねぇ! ひ、日和っ、日和ぃっ?!」
「え、あ……うん」
 体をゆすってくる千弦ちゃんに気づいた。そう言う彼女の服にはガラスの破片が落ちていた。
「あ……千弦ちゃん服にガラス。千弦ちゃんこそ大丈夫?」
「わ、私は大丈夫だけ、どぉっ」
 青ざめた千弦ちゃんの表情。今日は千弦ちゃんがよく青ぜめる日だなと、のんきに思いながら急に走った小さな痛みに顔に手を当てた。
 何事かと生徒や先生がどこからか出てきて、少しずつ騒がしくなる。
 ざわりと風が吹く。

 指に伝わる滑った感触。鉄の錆びたような匂い。

 そこでやっと自分の状況を知った。完全に現実に戻る。
 背中に冷や汗が流れる。
 

 もう少しで、ガラスが目に入るところだった。







 

<<<Back <<TOP>> Next>>>