Promise

〜一章・5〜




* 5 *


「日和っ!」
「…………えーと、ど、どうしたの?」
 いつの間にか詰め寄るようにイノリとイナリに肩を掴まれ、囲まれていた。
 加えてものすごい形相。
 そんな感じで迫ってくるものだから少しびっくりした。どこから来たんだろう、瞬間移動みたいにそこに二人がいた。
 現在私は保健室にいた。あれから千弦ちゃんに連れていかれて、今手当てが終わったばかり。なんとか動揺していた千弦ちゃんと私が落ち着いてイスに座って、先生にお茶を頂いていた所に二人が入ってきたのだ。
 危うくコップを落とすところだった。
 そんなところに、千弦ちゃんがやってきて私から二人を引きはがした。
「あんたら怖いわ。どっから湧いてくるのよ」
 焦るわと、半眼で二人を見る千弦ちゃんに冷静になったのか、イノリとイナリは離れた。すごい、千弦ちゃんだけに鶴の一声。あれ、用法違ったかな。
 などと思っていると先生が台所から戻ってきた。二人の登場に先生は少しも驚いている様子はなかった。むしろ両手にお茶を持って二人に渡してきた。流石たまちゃん先生。いつも冷静だ。私はお茶を飲みながらそれにしてもと、さっきまで騒ぎを思い出した。
 突然割れ出したガラス。あれから騒ぎになった。
 その原因は不明のまま。割れたガラスは10枚くらいだったろうか、よく大けがせずにすんだと千弦ちゃんと二人でぞっとした。
 騒ぎは放課後だったけど、結構生徒が集まって一時は騒然となった。そんな中先生が来るなと呼びかけ、そこは封鎖された。割れた窓ガラスは今頃処理と修理などの対応に先生が追われてるんだろうと思う。
 ふいに私は廊下に散らばったガラスを思い出した。なぜか、仄かに胸が痛くなった。
 壊れたものを見ると、哀しくなる。そんなことってないかな。私はその時、自分が壊したわけじゃないけど、自分の傷よりも割れたガラスが気になった。
「日和がケガしたって……」
 心配そうに覗き込むイナリに、私は意識を現実に戻した。
「すごい騒ぎになってたしさ」
 イノリもちらりと私を見る。
「えー、もう噂飛んでんの。早すぎ。そしてあんたらも来るの早すぎ」
 呆れたような表情でイナリ達を見る千弦ちゃん。私も驚いた。もう噂が飛んでるんだ。確かに割れる音とか結構していたのかもしれない。
 でもそれにしてもと私はイナリとイノリを見た。いつも思うけど、イノリもイナリも私になにかがあるとすぐにかけつく。今回もそう。ちょっと考え込んで二人を見ると、なんだかそんなことどうでもよくなった。
 口を開けてなにかを言おうとして黙る二人。私はふっと頬を緩めた。なんだか金魚みたいだよ。
「ちょっと、ほっぺたかすっただけだよー」
 心配そうにするイナリとイノリにへらへらと笑うと、私はほっぺたを指さした。そこにはバンドエードが貼られている。ちょっと漫画に出てくるやんちゃな小学生の男の子みたいなんて思う。
 するとべしっっと千弦ちゃんにはたかれた。頭をさすって見上げると千弦ちゃんがぽつりとつぶやいた。
「あんたがぼーっと突っ立ってるからよ。……何回も名前呼んだのに」
 真顔で心配そうな色を浮かべる千弦ちゃんの目。
 泣きだしそうな、色。
 ――あ……
「――あ、う、ご、ごめんね、あの時なんかぼーっとして、た」
 そんな千弦ちゃんに焦って、同時に心の奥が冷えた。あの時全然千弦ちゃんの声なんて聞こえてなかった。
 確かに実際私はあの時かなりおかしい状態だった、と今更ながら思う。変な断片的な記憶が見えたし、意識が飛んでたし。しかも結構大きな音がたっていたらしいのに、私は数回しか聞いた覚えがない。実際割れたのはもっとたくさんなのに。急に割れたのに、驚きもせずぼーっと立ったままだった私は確かに心配されるのも無理はない。あの時の千弦ちゃんを思い出す。するとずきりと胸が痛んだ。
 どうして私は放心してしまって身動きできなかったんだろう。反省しながら謝った。それを黙ってイノリとイナリが見る。沈黙が、痛い。
 でもいつも元気な千弦ちゃんの悲しそうな目が一番痛かった。
 するとふーと息を吐きながら千弦ちゃんは肩に手を乗せてきた。馬鹿と呟く声が聞こえた。見ると彼女の柔らかい笑いがあった。
「ったくどんくさいんだから。ま、かすり傷でよかったよ」
 少し乱暴に頭を撫でられる。その手を私は見た。もう震えてない、その手。
 私は、そのまま好きなだけ彼女に撫でられることにした。
「そうよ、それに高階さんもケガなかったしよかったわね」
 保健室の先生のたまちゃん先生が微笑みながら言った。その声に私達は彼女を見た。
 たまちゃん先生はすらりと伸びた足を交差させ、カップに指をからませてこちらを見ていた。三十代には見えない美人でちょっと見惚れた。
「最初なにか連続して割れる音がして何事かと思ったけど、しばらくして高階さんと安栖さんが保健室に来た時はもっと驚いたわよ。二人とも真っ青だったし安栖さんは顔に切り傷作ってるし」
 ふっと息をつくとじっとたまちゃん先生に見られた。
「ご、ご心配おかけしました」
 なんだか申し訳なくて、居た堪れなくなってきて私は頭を下げた。
「いいえー。……安栖さんも顔色よくなってよかったわ」
 にこりと笑うたまちゃん先生。それにうんうんとうなづく千弦ちゃん。
「ほんと、日和震えてて心配だったんだから」
「高階さんも入って来た時は声が裏返っていて、今にも泣きだしそうだったから心配したわ」
 柔らかくほほ笑むたまちゃん先生にうっと少し顔を赤くする千弦ちゃん。動揺してる、珍しい。
「っ! それはゆわないでよ玉乃井ちゃん!」
「ふふふ」
 たまちゃん先生が口もとに手を添えると笑いながら千弦ちゃんの頭を撫でる。それを恥ずかしそうに払いのける千弦ちゃんの手。
 今は元気な千弦ちゃん。
 私はきゅっと自分の手を握り締めた。

『先生っ先生ぇっひ、日和がっ日和がぁっ!』

 脳裏につい5分前の千弦ちゃんの声がこだました。
 彼女の手は、この保健室に入ってくる時震えていたことを思い出す。ごめんね、という言葉は彼女があまり好きじゃないから言わない。代わりに小さくありがとうと呟いた。今は、それが精一杯だった。それを直接言ったら、また泣きそうな目をさせてしまうと思った。
 時々、本当に、私は自分の愚鈍さを恨めしくなる。いつの間にかぼうっとしてしまう自分に、イラつく。
「あ、もうこんな時間っ」
 また思考の海の中に漂ってしまってはっとすると、千弦ちゃんが保健室の掛け時計を見ていた。もう四時を過ぎていた。
「ごめん、日和。やっぱ収穫今度にするわ!」
 慌ててカバンを掴むと彼女は両手を合わせて言った。今日は中等部と高等部との集まりがあるって前に聞いた。だから中等部の副キャプテンの彼女は絶対行かなければならない。
「おっけー、部活頑張って―」
 首を横に振ると、私は笑顔で言った。今はもう、私の顔色も大丈夫のはず。けれどまだ少し千弦ちゃんは心配そうだった。
「てかノリ、ナリ! 日和のこと頼んだよ!」
 くるっとイナリとイノリを見ると千弦ちゃんは言った。
 そこには今までずっと黙っている二人がいた。そう言えば二人ともとても静かだった。なんでだろう、ちらりとイノリとイナリに目を向けた。
 それに気づいた二人は、一瞬ふっと笑った。
「言われなくても」
「わかってるよ」
「……けど送り狼は許さないからね?」
 そう言いながらぱきりと手を鳴らす千弦ちゃん。え、ち、ちづちゃん笑顔が怖いよ。
 そんな彼女にひらひらと二人が手を振ると、一度千弦ちゃんは私の方に向いて名残惜しそうにぽんぽんと私の頭を叩くと保健室を出ていった。
 しばらく沈黙がおとずれる。
「……で、先生」
 にこりとイノリがたまちゃん先生に微笑む。あ、なんかイナリは私のカバンを持ち始めた。なんだろう。
「そうね、安栖さん」
「はい?」
 たまちゃん先生もうんとうなづいてイノリとイナリを見ていたから、なんだか一人だけわけがわからず焦った。その上なんだろう、先生が優しくほほ笑んできてる。さっきまでの微笑みとは違って、なんだか目つきが真剣で……嫌な予感がする。
 無意識に体を後ろに動かすと、たまちゃん先生はメガネを外して私を見た。
「今日は部活お休みしよっか」
「えぇ!?」
 目が飛び出るほど叫んでしまった。
 だって部活。頑張ってイノリとイナリに交渉したのに。
 泣きそうになる。





 

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