Promise

〜一章・6〜




* 6 *



「あのねー、ちょっと熱測ろうか」
 呆れた笑いを浮かべながら優しくたまちゃん先生は言った。私はその言葉に少し躊躇った。こう先生が言った時は必ずと言っていいほど、あれなんだ。というかたまちゃん先生熱測る前にほぼ、確信してる感じだ。
「はい、脇の下」
 そんな感じで渋い顔をしていると、爽やかな笑顔でたまちゃん先生が体温計をさし出してきた。
「え、う……はい」
 しぶしぶ私はそれを受け取ると測った。願わくば先生の勘が外れてますようにっ。
 心の中で必死に念じているといつの間にかすぐに体温計が鳴った。あ、もしかして大丈夫だったかな。期待に思わず歓びが表情に出てしまった。結構早かったもん、大丈夫だったんだ。
 けど、私の様子とは対照時にたまちゃん先生は冷静に手元のメガネを弄びながら言った。
「はい、何度だった?」
 その言葉に温度計をとりだしてぱっと電子数字を読む。
「…….六度二分」
 少し間を置いて私は言った。それにふっと優しくほほ笑むと頭に手を乗せてきながらイナリは私にたずねた。
「日和の平熱は何度だっけ?」
「三十六度」
 即答で答えた。
「三十五度だよね?」
 即座イノリに爽やかな笑顔で訂正された。うう、少し剣のある眼差しが痛いのですが。
「安栖さん体温低いからね。先生時々見逃しそうになるわ」
 ふーっと息をつきながらたまちゃん先生はメガネをかけた。
「ってことで帰ろうか?」
 イナリが私の肩に手を置く。それを軽く睨みつけると私は言った。
「うー、やだっ。部活行く!」
「却下」
「論外」
 にべもなく、笑顔でイノリとイナリ二人に言われて私はうっと言葉を失った。
 これは絶対行かせてくれない。頑張ったのに、二人を説得するの大変だったのにたまちゃん先生が言ったりするから。
「たまちゃん先生言わないでよー」
「ごめんねー、収穫楽しみにしてたのにね。先生が代わりに頂くわ」
 たまちゃん先生にふふふと笑われながら、私はイノリ、イナリに両手を掴まれて保健室を出ていくことになった。
「イノリ、イナリっ。離してよっ」
 そう言うと、二人はため息をついた。けど離してはくれなかった。
「ちょ、ちょっと微熱があるくらいだけだよ」
「今はね」
「明日は休みになりそうだな」
 そう言いながら私の荷物を持って歩いて行くイナリ、手を引っ張るイノリ。
 その言葉に私は口をつぐんだ。カバンを持っていかれては、私は帰るしかない。それに手も離してくれない。二人相手に力づくで振り払えるはずもない。
 まだ少し納得いかないもやもやとした気持ちを抱えながら私は無理に振り払おうとするのを止めた。
 今回は仕方がない。だってガラスも割れた時、私もおかしかったし。……千弦ちゃんが取り乱すほど、私、変だったから。
 もし、昼ごろに私の体の調子がおかしいって千弦ちゃんが知ってたら彼女も家に帰れって言ったと思う。そう考えたら、別にイノリとイナリの行動はおかしくない。私が、体調管理できてなかったのがいけないんだ。二人にも心配かけたんだ。
 そう考えると、私は落ち込んできた。私、我儘だ。それに部活でまた気分悪くなったりしたら余計他の人にも心配かける。だから、帰るのが一番。でも帰りたくないって、私はムキになる。
 ふーっとため息をつくと、私は空を見た。
 青い青い、澄んだ空。
 私はなんでムキになってるんだろう。
 答えは返ってこないけど、私はいつも問いを空にかける。そうすると、少し気分が軽くなる。空が優しい色だから、気持ちが和む。
 空……
 ふいに私は空を飛んでいくスズメを見て思い出した。
 さっきの黒い鳥は、どこで見たんだろう。
 記憶の中から浮かび上がった鳥は、あまりにも鮮明でまるで目の前にいたかのように思い出せた。今は千弦ちゃんといた時みたいに現実と記憶が区別できなくなるくらいではないけど、それは私の中でとても印象的に残っていた。
 小学校の時の遠足とかで見たかな。
 私は空を見ながら思った。
 烏以外で黒い鳥はあまり知らないけど、遠足か家族で山登りした時の記憶なんだろう。そう納得した所で私は窓ガラスが割れる前のことを思い出した。
 そういえば私は千弦ちゃんにあの黒い鳥が綺麗か聞いてしまってたんだ。私の記憶の中の産物なのに。
 そう思うと途端、間抜けな気分になった。そりゃ千弦ちゃんも心配するよね。いない鳥について聞いたんだか――――
「――――日和!」
「ふあいっ!」
 突然イノリに呼ばれて、私は変な返事をしてしまった。
 びっくりした。また私は自分の世界に行っちゃってたんだ。
 そしてふと目の前を見て私は更に体をびくっと揺らした。
 イノリとイナリの顔が至近距離でこちらを覗き込んでいた。なのに気づかなかった。びっくりだ、自分に。二重にびっくり。
「あ、う、え、そ、その、ただいま帰りました」
 動揺して変なセリフを言う私に、二人は真剣な表情を崩すと苦笑していた。
「……おかえり」
「日和ワールドから」
 気のせいかな、今二人、ほっと息をついたように聞こえた。また心配かけちゃったなぁ。
 そう思っているとイノリがそっと頭に手を乗せてきた。そしてしばらく撫でてきた。えっとその、ごめんなさい。今日は頭撫で撫での日なのかなー。いつもなにかと撫でてくるけど、今日は長い。
 もうすぐ高校生なのに恥ずかしいなぁとどうしていいかわからずにいると、ふいに私はイナリがこっちを見ていることに気づいた。なんだろう、なんだか物欲しそうな顔だけどお腹すいたのかな。そこでイナリが私のカバンと自分のカバン二つも持っていることに気付いた。
「うあ! イナリごめんね!」
「え?」
 突然だったからか、私が手を振りほどくと簡単にイナリの手が離れた。本当はここで今までずっと手、繋ぎぱなしだったのかって言いたい所だった。けどそれよりも片手にカバン、重たいのに二つずっと持たせっぱなしだったことが気に咎めて慌てて自分のカバンを持とうとした。
 けど。
「あー、いいって。お前調子悪いんだし」
 そう言ってイナリは私の手が届かない位置に手を上げて渡してくれなかった。
「え、ちょ、でも」
「いいから」
 柔らかく笑うと、そっとイナリが私の頭を撫でてきた。えーとあの、私、撫で撫でよりカバンが欲しい。っていうかそんな優しい表情を浮かべられても困る。
 って笑顔に誤魔化されてはだめだ。なんとか手を伸ばそうとしたところで、私はふいに手を引っ張られた。
 ん?イナリは手を離したはず。
 振り返ってみて手の先を見ると、なに?と爽やかな笑顔でイノリが首をかしげていた。
「い、イノリもずっとて、手を?」
「うん、だって日和すぐに迷子の子猫ちゃんになるから」
 ね?と笑顔で言われても困るよイノリ。
「ま、迷子って、いくらなんでも」
 あえて子猫ちゃんは無視して、イノリの変な言い回しにどもりながら言うと後ろでイナリがぷぷっと笑った。
「そうか? でもこないだ日和、知らない人についていってたよな、俺達と間違えて。びっくりしたよあの時」
 うああああああ。あれはちょっと、その不覚だったっていうか。
 居た堪れない気持ちになって必死であの時の記憶を消そうとしていると、ふっとイナリとイノリが笑った。
「だから手をつなごう?」
「今日は特に調子も悪いんだし?」
 私は小さい子どもじゃないんだけど。しかも二人もいらない。
 別の意味で、熱が上がりそうになった。
 そしてそうこうしているうちにいつの間にか家の前まで来ていた。
 わぁ、私どのくらい自分の世界に入っていたんだろう。もう家だよ。
 というか結局手をつないだ状況だよ。あー。こうなったらもうどうでもいいや。
 目前の一軒家を見上げながら私は息を吐いて立ち止まった。
 私の家はちょっと他の人の家よりは大きい。というのも六人兄弟で、現在皆一緒に暮らしているんだから無理もないけど。それに庭付きで、そのスペースがあったり、車も二台あるから、うん。広いよね。あ、ちなみに別に二台あるのはリッチだからというより、家族全員で七人だから。ミニバンでギリギリ皆乗れるけど、みつにぃなんか色々出かけるし、不便だから。お金の心配はそんなにない。みつにぃは働いてるし。りゅーちゃんはなんかどこからかお金持って帰ってくるし。
「入らないねぇの?」
 イナリの言葉にぎくりと体を揺らした。
 うん、ちょっとそろそろ入った中に入った方がいいよね。
 意味不明な笑いを二人に向けて浮かべると、そっと玄関のドアを開けた。
「た、ただいまぁ……」
 小さく呟いた。
 中に入って一息ついた。あ、帰ってなかったよかった。そう思いながら靴を脱ごうとした時、頭に何か重いものが乗っかった。
「おー、おかえりヒヨノスケ」
「……ちぃにぃ、重い」
 危うく前につぶれてしまいそうになりながら私は振り返った。
 そこにはアイスクリームの棒らしきものをくわえながら私に涼しい顔で乗っかってくる兄がいた。ちぃにぃ、私肘置きじゃない。重い。って言うかヒヨノスケじゃない。
 そんな私の思っていることを知っているはずなのに、そのままの状態でちぃにぃは付いてきたイノリとイナリを見た。
「と、その魚のフン×2も来たか」
「ひどいですね、知尋さん」
「あ、知尋さん帰ってらしたんですか」
「まぁな」
 イノリとイナリがそれぞれちぃにぃに入った。って二人もどうにかしてよ、ちぃにぃに挨拶しないでさ。うぬっぐぐっと変な唸り声を上げて私は自力でなんとかちぃにぃの肘から抜け出した。帰って早々、ちぃにぃがいるとこういうことされるから嫌なんだ。
 ほっと一息ついて、玄関を上がった……と思ったら、今度はヘッドロックをかけられた。
「ぐふっ」
「俺から逃げるなんぞ二十年早いわ、ヒヨノスケ」
「ちぃにぃっ。首っ首締まるっ」
「あー大丈夫大丈夫。それで落ちる柔な奴に育てた覚えはないから」
 そして頭をぐりぐりとするちぃにぃ。ちぃにぃ、私育てられた覚えないよ。そしてヒヨノスケじゃないよ。ちょっと涙が出てきた。あーもう、暑いけどこのままでいいよーもう。このぐりぐりも頭マッサージみたいで気持ちよくなってきたし。
 なんだか変な感じで落ち着いてきて大人しくされるがままでいた。と思ったら、急に解放されてぽいっと放り出された。
「ま、いいや。てかさっさと部屋に行って来い」
 ……ちぃにぃ、ひどいよ、ちぃにぃがちぃにぃが引きとめたのに。
「日和、まぁドンマイ」
 黙って様子を見ていたイノリとイナリが苦笑していた。二人とも、そんな諦めたような表情しないでよ。
「……うん、大人しくちぃにぃのおもちゃになる宿命なんだね、私」
「そんな当たりめぇのことどうでもいいからさっさと行け」
 ちぃにぃ、ちぃにぃの首一回締めちゃだめ?
 と思ったもののそんなことができるはずもなく、とりあえず大人しく従って私はとぼとぼ自分の部屋に行くことにした。ちぃにぃは、ちぃにぃすぎて涙が出そうだよ。






 

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