Promise

〜一章・7〜




* 7 *


 部屋に戻って普段着に着替えると、なんだか少しすっきりした。そう言えば少し汗をかいていたんだ。シャワーも浴びた方がいいかなと思ったけど、熱があることを思い出した。うー、明日までは入れないか。でもせめて濡れタオルで体拭こ。
 体のべたつきが気になっていると、窓から風が入ってきた。カーテンを揺らしながら入ってくる風は少し、涼しい。外を見ると、庭に生えている銀杏の木が風に揺れてさらさらと音を立ててた。
「もしかして、風を呼んでくれた?」
 銀杏に私はそっと呼びかける。さらさらと葉を揺らす木。
 なんだか温かい気分になって少し嬉しくなった。
 くるりと窓に背を向けて皆がいるだろうリビングに行こうとしたところで私は立ち止まった。部屋に置いてある姿見に自分の姿が映っている。頬にバンドエードがついた私。そっとそこに手を伸ばしてみた。
 なんで、あの時窓ガラスが割れたんだろう。
 手を離すと私は鏡に映る空を見た。青い空。いつもと変わらない。でも――私が探しているものと違っていた気がした。
 もう一度窓の方を向いて私は外を見た。
 同じ空が外には広がっていた。
 そしてしばらくぼーっとしてから、私は自分の部屋を出た。イノリとイナリ、ちぃにぃと何しゃべってるのかな。
 部屋を出ると冷たい床が足の裏から伝わる。ちょっと気持ちいい。
 今までソックスを履いてたから脱いだ今は涼しい。
 そう思うのは熱のせいなのかな。……そうでなければいいけど。私はそんなことを考えながらリビングに向かった。ひたひたと自分の足音が耳に響く。なんとなく自分の足を見てみると、ジーンズの短パンから少し青白い肌が見えた。熱があるとわかっているせいか、その白さが不健康に見えてしまう。
 それでも気分はむしろ学校にいるよりも元気だから、気のせいだよ。
 私はドアを開けると、リビングに入った。
「おまたせー」
「いや、お前呼んでない」
 ぬぐっ。
 部屋に入って早々、ちぃにぃがお茶を飲みながら言った。思わずうっと唸ってしまった。なにもちぃにぃに言ってるわけじゃないのに。
 そんな私の様子にくすくすと笑うイノリ。イナリは労わるような表情を浮かべていた。イノリ……笑わないでよー。でもちょっとイナリの笑顔には癒された。気を取り直して私は彼らが座るソファの近くまで行った。
「ち、ちぃにぃに会いに来たんじゃないよ」
「ん? なんつった?」
 からんとグラスに入った氷が音を立てる。……ちょっと怖い。
「な、なんでもー」
 どこに座ろうか考えながら、ちょっと間を空けてちぃにぃの座る長椅子に座った。うん、ここが一番バランスがいいもん。イノリとイナリの向かい側だし。
「お姉ちゃんとみつにぃは?」
 私はちらっとちぃにぃを見上げると言った。
「姉さんは友達んとこ。兄さんは秘密任務」
 え、お姉ちゃんはともかくみつにぃの秘密任務って。
 首をかしげて必死で考えていると、そばで馬鹿正直な奴めと呟きが聞こえた。
「ちぃにぃーみつにぃの秘密任務ってなにー?」
「さぁ? 兄さんのことよりお前」
 そう言うとちぃにぃに首根っこを捕まえられた。
「ちょっ、ちぃにぃ苦しっ」
「あー、馬鹿だお前。マジか、本物か」
 そう呟くと、ぱっとちぃにぃは手を離した。そして特大のため息。私がため息付きたいくらいだよ。こんな時にお姉ちゃんもみつにぃもいない。ちぃにぃは嫌いじゃないけど、時々乱暴なのが嫌だ。お母さんは買い物かなぁ。っていうか私馬鹿って言われた。
 首をさすっていると、ちくりと首筋が痛くなった。
 右の首筋だ。ちぃにぃが急に首を掴むからだよ。
「話は聞いたぞ、日和」
 首が赤くなってないかなぁと気にしていると、ふいにちぃにぃが言った。
「なにを?」
 突然の話に私は目を瞬いた。
「日和が熱出たってことだよ」
 イノリがお茶を飲みながら言った。
 そっか、言ったんだ。ちらりとちぃにぃを見ると心底どうでもいいという表情をしていた。あ、家にいるのちぃにぃでちょっとよかったかも。ちぃにぃは他の皆みたいに騒がないから。
「別に部屋にいたらよかったのにわざわざ降りなくてもなぁ」
 イナリが私を見て笑った。それに私は彼の方を見た。
「でも、イノリとイナリに何も言わないで部屋で寝るのも嫌だし。せっかく家に上がったのに……。こんな時で、ごめんね?」
 私は申し訳なくて二人に謝った。けれど二人はと言うとそんなことを気にしているようでもなくて、笑顔で言った。
「そっか、じゃあわざわざ会いに来てくれたんだな」
「それは嬉しい限りだね。調子悪いのに僕に会いに来るなんて」
「お前のためじゃねぇよ」
「イナリのためでもないと思うけど?」
「あちぃあちぃ」
 イノリとイナリの言い合いを遮って突然ちぃにぃがぱたぱたと手を仰ぎながら言った。
 それに部屋が静かになる。
 ちぃにぃを見るとほんとにうっとおしそうな表情を浮かべていた。ちぃにぃは感心するほど不快とか感じる時の表情が、すごい。顔で思ってることわかるんだもんなぁ。っていうか、そんなに暑いかな。ちぃにぃ暑がりだからなぁ。
 などと考えながらきょろきょろと私は団扇を探した。
「団扇いる?」
「いらねぇよ」
 いらないんだ。ちぃにぃの即答にちょっとしょぼくれた。
「おい」
「うのっ!」
 急にちぃにぃが額を平手打ちした。何事かと思って半分涙目でちぃにぃを見たけど、ふいに額に違和感があって触ってみた。布のような長方形の物が張り付いていた。額がひんやりする。
 ……冷えぴただ。
「お前薬飲んで水分取ったら寝ろ」
 そう言うとちぃにぃは立ち上がって、ちらりとイノリとイナリを一瞥しすると部屋を出ていった。
 ……こういう、ちょっとした優しさは好きだよ、ちぃにぃ。
 ひんやりした心地よい感触に少し気だるさが軽くなりながら、ちょっと嬉しくて額に手をつけて笑った。気持ちいいな、おでこ。
「知尋さんから頼まれちゃ、仕方ないよな?」
 そう言うイナリの声が聞こえたと思ったら横にイノリとイナリが座ってきた。3人掛けの長椅子だから丁度私が真ん中に挟まれた形だ。頼まれたって、なにをだろう? しかもいつの間に? そんなことを考えているとイノリが何かをさし出してきた。
「はい、薬」
 いつの間に持って来たんだろう。イノリの手元には水の入ったグラスと、いつも貧血時に飲んでいる薬があった。
「え、えーと」
「ん?」
「ありがとう」
 笑顔でこちらを見るイノリに私はそう言うと、薬を受け取ってグラスに入った水と共に飲みこんだ。それを二人が見届ける。……なんだろう。何かを待ってるのかな。
「えーと私、部屋に戻るね」
 そう言って立ち上がった。
 けど。
 途端かくんと膝が折れた。同時に誰かに支えられた。イナリだ。
 おかしい、体が急に、だるくて、暑くなった。目が回る。
「副作用だな。今回は強めらしいし」
 そんなイナリの声が聞こえたと思うと浮遊感が襲った。なんだろうと顔を上げると、イナリの顔が至近距離にあった。しばらく自分の状態がわからず固まった。
「イナリてめぇ、僕をさしおいて」
 横を見ると怒りを含んだ冷やかな目でイノリがイナリを見ていた。こ、怖い。それに嬉しそうな顔をしたイナリが私を見ながら、ちらりと顔をイノリの方を向けていった。
「今回は俺の勝ちだな」
 少し意地悪な顔だよ、イナリ。イノリも怖いよー。
 と、しばらく睨みあう二人をぼーっと眺めているとやっと自分の状況に気づいた。
 浮遊感の正体は実際私が浮いているから。
「か、抱えられ!?」
 声が裏返りそうになりながら小さな叫びを上げた。
 それに我に戻る二人。
「や、ちょ、イナリ下ろして恥ずかしいっ。自分で動けるっ」
「ほんとに?」
 イナリがそう言いながら下ろす動作をすると、頭がくらりと揺れた。
「っ」
「いいから、大人しくしてろ。……ほら、日和熱上がってる」
 そういうと、イナリは私の額に自分の額を寄せた。一瞬だったけど、イナリの顔がくっつきそうなほど近くにあって別の熱で顔が赤くなった。
「イナリ? それは僕への当てつけ?」
 後ろからイノリのイラついた声が聞こえた。
 それに固まる私を抱えながら私の部屋へと運ぶイナリが上機嫌で答えた。
「そうだな。こないだ俺がケガした時のな」
 舌打ちの音が聞こえた。
 もう私は、脱力するしかなかった。こんな子ども扱いやだ。お手手つなぎの次は姫様だっこって……。そこまで考えて私は放心した。
 なにも考えられない。瞼が重たくなる。
 薄れゆく意識の中、私は脳裏の片隅でまた、あの黒い鳥を思い出した。
 あの鳥、綺麗だったなぁ。も、一回本物に会いたい。
 あと

 記憶の断片
 問いかける誰かの声

 いったい、なんなん、だ……ろう……


 そして私は眠りへとまどろんでいった。

* * *

 でも本当は、私は今すぐにでも探し出したかったのかもしれない。
 あの時、脳裏に無意識に浮かんだ疑問の意味を。






 

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