* 8 * * * * 『ずっと変わらずそばにいるから』 声が聞こえる 懐かしい、懐かしい、声 どこで聞いたんだろう 誰の声なんだろう わからない わからない 『日和、こっちにおいで』 再び声がする 振り返る 今、その声に呼ばれた気がした けど見えない 声が誰のものか 見えない 『愛してる』 悲しい 寂しい 切ない 涙が溢れて 私は必死でその声の人の名前を呼んだ きっと私は呼んだんだ でも なんて呼んだかわからない その人がどんな人かも どうして私は泣いているのか どうしてこんな気持ちになるのか 分からなかった ただ その人の名前を呼んだ時 形容しがたい強い感情が胸に押し寄せた ねぇ 私はいったい これは私の、記憶? 『まだ、そのことを思い出さなくていい』 途端、別の声が頭に響いた そして体を心地よい温もりが包む ああ……まただ 私はどこかこの感覚にも この声にもどこかで馴染みを覚えていた そのことがひどく不思議だった けれどその先は考えることができなかった 徐々に私の思考は薄く溶かされるように曖昧になって ただ、誰かの温もりを感じるだけの深い眠りに落ちた。 ――だから私はこの夢の内容を忘れてしまった * * * 眠りの間から浮上して目を開けると、自分の部屋の天井が見えた。 窓から差し込む光。 カーテンから涼しい風が入ってくる。ふいに誰かがいるような気がして振り向くと、そこにはイナリが本を読んでいる姿があった。 イナリ? 「悪い夢見てたのか?」 私が体を上げて目をこすっていると、本の方を向いたままイナリが言った。ベッドを背に持たれている彼は、それが自然のことのようにいた。 「……わからない」 寝起きでぼーっとしたまま答えた。なんだか思考が働かない。まだ眠りへと落ちそうになる。けれど頑張って踏みとどまった。すると、ぱたりと渇いた音がした。イナリが本を閉じてこちらを向いていた。その顔に微笑みを浮かべて。 「……そうか。なら大丈夫になったんだな」 その少し安堵した表情に私は首を傾げた。なにが大丈夫になったんだろう? そう考えて、私は一つ思いついた。 「私、唸ってた?」 「うなされてた」 私の問いにイナリが答える。そうか、うなされてたんだ私。なんかそう言えば夢見た気がしなくもないけど……忘れちゃったなー。悪夢なら忘れて良かったのかな。 なんて考えていると丁度イノリが部屋に入って来ていた。 「あ、日和起きたんだね。おはよう」 にっこりと笑みを浮かべるイノリにもう頭が覚めた私は笑いかけた。 「うん、おはよ」 と、答えた所ではたと思いなおした。なんでイノリが私の部屋にいるんだろう。普通にイナリも部屋で本読んでいたけど、これっておかしい、よね? あ、お見舞い? そこで私は納得した。けどその原因はなんだっけと考えた。そして体の調子が悪かったと言うことを思い出した。そっか、そうだった。 そしてそのことを思い出すと共に次々と記憶が頭の中を流れていった。そう言えばイナリに抱えられたまま私、眠っちゃったんだっけ? と曖昧な記憶を思い出した。ん? 抱えられた? となにか重要なことを思い出そうとして、イナリを見た。 けどふいに私はあることに気づいた。 イナリの一点に私の視線が止まる。そして私はベッドから出るとイナリが座っている真正面へ行った。 「あ……イナリあの」 「ん?」 イナリがなんだ?と言う顔をした。イノリはいつの間にか、勉強イスに座って何かを書いていた。けど私に気づくと、なんだか少しむっとしたような気配がしたけど、なんでだろ。。ま、いいや。 「寝てる時、手、握ってくれたよね?」 私はイナリの腕についている跡を指差した。そこには少し赤く、丁度ベッドの端の板の部分に当たる所に微かに線が入っていた。そこには少し赤く、丁度ベッドの端の板の部分に当たる所に微かに線が入っていた。私のベッドは、ちょっとした飾りの柵がある。丁度その柵の形と似ていた。 「悪夢? を見た時に、握ってくれたんだよね。ありがとう」 笑顔で言うと、イナリが少し照れたように笑った。 「……どういたしまして」 なんだか今日のイナリの笑顔、ちょっとこそばゆいな。胸の中がそわそわするような、笑み。あんまり優しく笑うものだからちょっと私の方が照れてしまった。 「ムカつく。先に部屋入ってたら僕だって……あ、そうそう」 そんなイノリの呟きが聞こえたかと思うと、私は手を引っ張られてその拍子にイノリの方を向くことになった。そして微笑むイノリと目があった。私もつられて微笑むと、私になにかを握らせた。 「ん? イノリ?」 私が尋ねると微笑むイノリと目があった。私もつられて微笑むと、イノリが持っていたなにかを私に握らせて手を離した。 「念のためこれ持って」 そう言われて自分の手にあるものを見た。 「護符?」 渡されたのは人型の紙だった。なにか赤い文字がのたくってある。漢字みたいだけどなんだろう、ちょっと模様みたいのもある。 「夢見いいように。真純さんに聞いたら最近夢にうなされてたようだからね」 護符から顔を上げてイノリを見ると、少し心配そうな顔の彼が目に入った。そっかさっき勉強机で書いていたのはこれだったんだ。 「うん、そうなんだ。ちょっと最近夢見ちゃって……本当にありがとう」 心から嬉しくて笑うと、私は再びイノリのくれた護符を見た。私のために、さっき作ってくれたもの。 「イノリの護符だよねこれ。前に神事を覗かせてもらった時の、おじさんのと違ってるし」 「そうだよ、わざわざしたためてあげたんだからちゃんと枕の下に入れといてね?」 「うん、イノリのなら効きそうだよ。大事にするね」 イノリに向けて笑顔でそう言うと、彼も微笑んだ。 そして少しの間の後 「今度何かお礼してくれる?」 そっとさりげなく手を握ってくるイノリ。ちょっとその手とか、目つきが柔らかくて甘い感じがしてなんだろう、と少し気になったけど、私は笑ってうなづいた。 「いーよー」 「おい、イノリ。てめぇなにほざいてる」 とそこでイナリが私の手からイノリの手をふりほどきながら、本でイノリを叩こうとした。けれどそれをさらりとかわすイノリ。イナリ、本を粗末にしちゃだめだよ。しかもそれ、家の秘蔵本だよね。古いんだからちゃんと大事に扱わないと。少しはらはらしながら私は二人を見た。 「なんだ、イナリ。空気読めよ」 ふんと鼻で笑いながらイノリが言った。それをイナリがため息をつきながら見つめていた。そんな二人を見て、私はちょっと笑った。二人ともよくお互いにからんで、そんな時はたまに見せる心配そうな顔より元気に見えた。兄弟とじゃれると元気になるもんね。 「二人とも仲いいねー」 思わずのほほんと言うと、二人がばっと振り返った。 「「どこが」」 二重奏が呆れた表情で言った。うん、そんなとことかだよ。 「あ、ところで今何時?」 ふいに私は時間が気になった。結構日が昇ってるみたいだけど、私はどのくらい寝たんだろう。 「うん? 1時」 「そっかー」 腕時計を見るイナリの言葉にうなづいた。そうか、じゃあお昼御飯の時間だ。そう言えば昨日夜ごはん食べてなかったからちょっとお腹すいたかも。 …………。 ってい、イチジ? そこで私はくるりと二人の方を見た。 「……私、20時間くらい寝てた?」 「そうじゃない?」 寝過ぎた。 イノリの言葉に私は布団に顔を埋めた。どれだけ寝てるんだ私。そりゃお腹すくよ、私。ちょっと微熱があったくらいなのに、そんなにひどかったんだ。私はうな垂れた。 「爆睡したんだ……」 「昨日はあんなこともあったからね」 顔を上げた私の呟きにイノリが優しくおでこに手を当ててきながら言った。 そこではたと思いだした。 昨日。 突然ガラスが何枚も割れるという事件。 寝起きですっかり忘れてた。 「あ、あの窓ガラスどうなったの?」 あの割れたガラスの破片を思い出しながら、私は二人に聞いた。すると、事もなげにイナリとイノリが答えた。 「夜中の間に綺麗にしたのかな、今までと変わらない状態に修復されてたな」 「そういえば、野球部が窓ガラス割った時も一晩で直してたね」 彼らの言葉に私はへーと相槌を打った。 「うちの学校の七不思議の一つだね」 私の言葉に二人ともうなづいた。 理事長とか金持ちだからなのかな、すぐに対処もしてたし。もしかしたらあまり騒ぎにならないようにしたのかも。 私は自分で納得しながら思った。 学校と言えば私、やっぱり休んじゃったんだなぁ……。 私は思い出して申し訳なくなった。千弦ちゃん、心配かけちゃったかな。あんなことが起こった後だし。彼女の顔を思い出した所で私ははっとした。 「そうだ!」 私は通学かばんの元へ駆け寄ると、中を漁って目的の物を取り出した。 携帯電話、い、入れっぱなしだった。 今頃思い出したことに焦って、見てみるとちかちかと、着信を知らせるランプが点滅していた。多分、千弦ちゃんだっ。清ちゃんや一片ちゃん達も心配してるかもっ。 慌てるあまり、写真機能を開いてしまったり、スケジュールに飛んでしまったりしながらメールを確認すると、5件メールが来ていた。 うわぁ……ごめんなさいっ。 今まで溜まったことのない数のメールに最新記録だっとか、いつの間に来てたんだーっとかあたふたとしてしまった。とりあえず、順番にメールを開いていくと、まずは千弦ちゃんだった。 『件名:ばか 本文: 無事ナリとノリに送ってもらったみたいだね。知尋さんがいるみたいだから安心した。まさか家に誰もいないんじゃあの狼どもが……と、あんま長メールはよくないね。熱あるんだって? まったく。明日のノートは皆で取っとくから。じゃあ、ちゃんと寝るのよ?(#-x-)/』 ……千弦ちゃん怒ってるー。 最後の顔文字を凝視しながら冷や汗が出てきた。あは、あはは。千弦ちゃん、件名の「ばか」って。しかもひらがなだよ。ほんとに私が「ばか」みたいに思えてきちゃった。……迷惑かけたって意味では馬鹿だよね。ごめんなさい。 でも……。私は少し微笑んだ。顔文字打てるくらい元気になってよかった。ほっと少し安心して、ちらりと送信日時を見た。昨日の6時頃だった。 次のメールを開けてみると、清ちゃんからだった。千弦ちゃんのメールの1時間後くらい。やけに長いなぁと思ったら、他の皆のメールを一つにまとめたみたいだった。 『件名:連名お見舞い状! 本文: 清です。体の調子が悪いようなので、皆のメール、一つにまとめました。言っておくけど、無理して読まなくていいから。返事不可』 うわぁ……清ちゃんが、敬語でメール打ってる。怒ってる。顔色悪くないってあの時言っちゃったから、怒ってる。汗がだらだら流れてきた。でも読まないと、と思って下に画面をスクロールした。 『早く元気になって。 以上』 しばらく私はその画面を見つめた。清ちゃんからはそれだけで、あとは一片ちゃんや他の友達の言葉だった。皆、しっかりしないさいよーとか、軽い感じの言葉だった。皆、私の貧血に慣れたから。でも清ちゃんには、現場を見られただけに、どうしようもなく申し訳なくなった。 短絡的な言葉。けどそれだけに、重い。 と、特に嘘ついちゃったからね。 別に嘘ではないけど、似た意味でも千弦ちゃんにも迷惑かけちゃったことに私は少し、罪悪感がした。彼女には私が授業中に気分が悪くなったことを言ってない。もし知ってたら、部活に行かせなかったと思う。 嘘はよくないって、誤魔化しはよくないってわかってる。でも心配かけたくない。そんな気持ちが嘘をつかせる。だけどやっぱり私は自分が嫌なだけなのかもしれない。自分は弱くて、可哀想な子だって思われるのが、嫌なのかな。なにもできない、誰かにたくさん迷惑をかけないと生きていけない。そんな劣等感にも似た気持ち。 ……駄目だ。 私は黒くなり始めた心の澱みを振り払うように顔を振った。ちょっと、病気で弱くなってるのかな。 それから小さく心の中で「ありがとう」とメールをくれた皆に言って、千弦ちゃん達にメールを送った。 そう言えば、あとの3件はなんだろう。 そして送信者を見て私は驚いた。 |