Promise

〜一章・11〜




* 11 *


 あれから、1週間がたった。
 
 学校に行ってみると、きれいさっぱり窓は元通りになっていた。だからあの日あの時に学校にいなかった人は現場にいた人から話を聞いた程度でそんなに騒ぎにはならなかったし、次の話題で持ちきりだった。 「なぁ久我(くが)どうだよ内部進学のテスト」
「いやぁちょっと足りなかったんだわ」
「俺は大丈夫だったぜぃ」
「うわー羽間(はざま)っ裏切り者!」
 クラスの男の子達が奇声を上げていた。
 なにかというと、TOEICの試験。私達は今中学3年生だ。ほとんど高校にそのまま持ちあがり組なんだけど、たまに高校受験する子もいる。私は持ちあがり組だけど、ただいるだけで上に上がれるってわけじゃない。TOEICのテストで600点は取らないといけないんだ。
 毎年テストは学内でするんだけど、今年はつい2か月前、つまり4月にやったんだ。それで今後どう持ちあがりに向けて勉強するか決めるんだけど。今年からの点数が換算されるから、もし4月で600点取れてなかったら、次の夏のテストか最終で秋のテストで点数を取らなきゃいけない。英検だったら準2級。だから点数に達してない人は焦る。ちょっと中学生にしたらハードだよね。
 私はというと、実はちょっとその、焦ってる組だったりする。記憶力という意味で、私はなにかと苦手なんだ。頑張って授業を受けてるしそれなりには出来てると思うんだけど。かろうじて届かない、550点。……お姉ちゃんに怒られそうだよ。英語、お姉ちゃんに教えてもらってこれだから。
 しかも英検は面接もあるみたいだし。怖いなぁ、やっぱTOEICのほうがいいかな。
「向後(むこう)ちゃんはTOEICどう?」
 私はちょっと不安になって隣りにいる向後ちゃんに聞いた。すると泣きそうな笑いを浮かべてきた。
「うわーぅ、聞かないでー。安栖ちゃんは?」
「えへへへへへ……超えてない、よ」
 私は泣き笑いを浮かべながら言った。すると見る見るうちに向後ちゃんも貰い泣きしてがしっっと私の手を掴んだ。
「な、仲間!」
 そんな彼女に私もうなづきながらちょっと、安心した。私も仲間がいて、ほっとしてしまった。ちょっと悪い気もするけど。
「うん。私あと50点なんだけど、難しいよね」
 ため息をつくと私はうつむいた。それにばっと向後ちゃんはこちらを見ると、掴んだままの手をぶんぶん振った。
「えー!あとちょいだよそれ」
 ちょっと裏切り者―みたいな目つきをされた。でも私はうっとうなった。だってお姉ちゃんに教えてもらってこれだもん。これはちょっと、言うのが恥ずかしいと言うか、情けないと言うか。私は向後ちゃんに言うか迷ったけど、覚悟を決めるとは目を反らしながら小さく言った。
「それが、お姉ちゃんに結構家庭教師してもらっててこれなんだもん」
「……あ、安栖ちゃん」
 かなり恥ずかしい。向後ちゃんの心配そうな顔が私を見る。ちゃんと頑張ったんだよ。でもなかなかうまくいかない。暗記が苦手なんだもん。だから何回も努力したんだけど、点数には届かなかった。努力して、これだとこの先頑張ってどれだけ伸びるか、分からないから怖い。でも……。
 私は向後ちゃんを見た。ちょっと申し訳なさそうな彼女に、私は笑った。
「でも向後ちゃんがいてくれたから心細くなくてよかった」
「安栖ちゃん……」
「向後ちゃんが一緒なら、一緒に勉強出来てうまくできるかも」
 私は向後ちゃんの手をふると、うれしそうに彼女を見た。
「一緒に頑張ろね!」
 それにこくりとうなづくと、向後ちゃんも笑った。そして私達は小さく一緒に拳を作って合図を送ると、それを上につきだした。
「ふぁいとだー」
「おー」
 なんだか元気が出てきたところで、私は合格組の千弦ちゃんの所へ行く勇気が湧いて来た。
「あそこ癒しだな」
「あのペアだもんな」
 するとクラスの男子が話す声が聞こえた。癒しって誰だろう? そう思ってまわりを見るか見ないかの内に、私と向後ちゃんが誰かに肩を掴まれた。
「お前らもか! 頑張ろうぜちくしょーっ」
「おうともさーっ」
 そんなセリフと共に急に男子が向後ちゃんと私に親指を立ててきた。しかも私達の肩にまで手をかけてきた。
 ちょ、ちょっとびっくりした。心臓飛び出るかと思った。見ると向後ちゃんはとても驚いて固まっていた。とりあえず黙ってるのもなんだから私はなんとか一緒に親指を立てて笑った。
「そっかー。二人もなんだね。頑張ろー」
「おう!」
 それにさっき癒しがなんとか言っていた男子が肩を掴んできた男子達を私達から引きはがそうとしてきた。
「ムサイのが入ってくんな」
「違うからお前らは」
「うっせえ合格組め!」
 なんだかわからないうちに男子がわいわい騒いでいる。でも結局はまだ男子は私達から離れていない。どうしよう、向後ちゃん大丈夫かな。まだ固まったままの向後ちゃんを心配そうに見やる。

ふわり。

すると不意にと頭に温かな手のひらの感触がした。

「悪いけど俺は羽間に賛成。向後さん怖がってるし、二人を離してくれない?」
「ごめんねー、日和、向後さん。こいつら馬鹿だからさ?」

 見上げるとイナリとイノリが私のそばに笑いながらいた。

「うるさいこのスーパー組めっ」
「いや、別に僕は学力の話じゃなくて気遣いとかの意味で言ったんだけど?」
「ってぇ余計わりぃよっ」
 男子がイノリにどつくそばでなんとか私と向後ちゃんは後ろ手でイナリとイノリが人ごみから避難させてくれた。やっと息をついて男子達の騒ぐそばから離れると私はほっと息をついた。隣りを見ると、安堵した向後ちゃんの表情が目に入った。向後ちゃん、男子がちょっと苦手だから助かった。あとでイノリとイナリにお礼言わなくちゃ。
 そう思いながらもう一度一息をつくと、私は彼女に小さくさっき聞いた言葉の意味を尋ねた。
「向後ちゃん、「スーパー」ってなんのことかな?」
「え? えーっと五槻宮君達は学年30位以内だからじゃないかな?」
「なるー」
 私達の学年は全部で301人。つまりスーパー組は上位十分の一ということになる。と考えた所で落ち込んだ。スーパー組なんて私は縁のない言葉だ。この三年間で今日やっと聞いたくらいだもん。下から数えた方が……うん。ちょっと悲しくなってきた。
 それにしても……
 ちらりとイノリとイナリを私は見た。男子ににこりとした顔で毒舌を吐いていくイノリ。イナリは少し焦り組の男子のフォローに入ったみたい。
 いつも一緒でそばにいてくれる幼馴染の二人。
 頭がよくて、体も弱くなくて、みんなに人気のある神社の息子。
「……」
 私とは違う。
 貧血気味の病弱で、記憶力のない馬鹿で、なんにもできない自分とは。
 少しだけ、なんだか……羨ましかった。そして寂しかった。
 スーパーマンになれるなんて、いいなぁ。
「日和と向後さん襲ったの誰だあああああっ」
「げっ、高階」
 ふと教室のドアを見るとものすごい形相の千弦ちゃんが入って来た。あ、そう言えばちづちゃんトイレ行ってたんだぁ。わぁ、ち、ちづちゃんちょっと怖いよ。
「襲ってねぇよっ」
 そんな言葉と共に男子達が逃げ出した。
 それを他の男子とイノリ、イナリ、女の子達が笑いながら見ていた。
 日常の風景。
 たわいもない、幸せで平穏な一日。
 だけどそう感じると不意に、私の服を後ろから引っ張るようになにかが私の胸の中に影をさす。
 ワタシハドウシテシアワセデイル?
 湧き上がる心の奥の誰かの声。
 頭が痛い。
 ナゼワラッテイル?
 どうしてこんな質問するの。
 手が冷たい。
 イッタイドウシテ――――

 こわい

 私はふらつきそうになる体を教室の壁にもたれかけた。また貧血? どうしたんだろう、こないだ熱出たばっかだよ?また倒れるには早すぎるよ。それにみんなに迷惑がかかるのに。

 こわい

 横を見るといつの間に向後ちゃんはいなくなっていた。トイレかな? 私、もしかしたらぼーっとしててそう言っていたのを聞き逃してたのかも。だから、そばには誰もいなかった。なぜか、清ちゃんも千弦ちゃんも遠くに感じて急に見なれた教室が他人のように感じた。
 喧騒が冷たく耳に響く。
「――っ!」
 微かに指が震えだして、私は救いを求めるようにイノリとイナリを探した。

 二人は笑っていた。その楽しげでいつもの優しい二人にほっとした。ほっとして安心したんだ。
 なのに――――

 そう思ったとほぼ同時に頭の奥が冷めて、心の奥が空虚になった。 
 あまりに笑う表情が温かくて、まぶしくて目をそらしたくなった。

 イノリとイナリのことを考えると……心の奥が空虚になったのはなんでなんだろう?

 再び襲う、恐怖。なにかが私の服を後ろから引っ張っている。
 けれど誰も気づかない。
 それに楽しい彼らを邪魔したら駄目だ。
 その気持ちが勝って、倒れることも一緒に笑うこともできずにただ、一人で震えた。 
「――……っ」
 うつむいた顔をなんとか持ち上げて再び回りを見る。視界に入るイノリとイナリ。けれど彼らも気づかない。そして黙って彼らを見ているだけなのに、楽しそうな彼らを見ているだけなのに私は息苦しくなった。胸が吐き気をするほど気持ち悪くなって下にすぐに視線を戻した。
 途端、少し吐き気と息苦しさがなくなる。
 けれど再び顔を上げ、クラスメイト……特にイノリとイナリを見ると震えと息苦しさがぶりかえす。

 息が苦しくなるほど、胸が押しつぶされそうになるのは……どうして?
 
 目を開けることも辛くて、目をつむる。
 教室の騒音。
 それさえも私は唐突に襲う眠気にゆだねて、消そうとした。

 けれど。

 気が付くと不意に黒光りする綺麗な黒い鳥が現われた。あのガラスが割れた日に頭のすみで思い浮かべたあの鳥。その瞳がじっと私を射抜くように見ていた。
 黄色の瞳。
 私は後ずさった。怖かった、この鳥は明らかに私を見ていた。けれどこの綺麗な生き物から私は目を離せなかった。かと言って目を開けることができなかった。自分では目覚めることができなかったから。
 これは夢の中。
 現実で起こっていることじゃない。
   私の意志でなんとかできない。

 私を逃がすことを許さない瞳。

 黄色の瞳。
 揺らぐことなく、責める様な……
 色に染まってしまい一緒に溺れてしまうような重い悲しみ。
 絡みつき焼けつくような怒りが含まれた目。

 どこか懐かしいような、胸が焼けつくような、恐怖。
 それが私に少しずつ近づく。

 そして……

「日和、大丈夫?」

 その言葉に私は眠りの淵から浮かび上がった。
 目を開けて顔を上げるとイノリが近寄ってきて微笑んでいた。優しく甘く、とろける様な瞳。

「あいつら元気だよな」

 笑いながら頭をぽんぽんとで頭を撫でてくる。イナリの温かくて包み込むような瞳。

 私は……どうして

「う、ん」

 あの鳥の深い瞳とイノリとイナリの瞳が似ていると思ったんだろう?

 二人が見えないところで私は訳もわからずわき起こる感情に震える手を握り締めた。イノリとイナリは気づいていない。私が考えていることを。感じたことを。
 どうして今度は二人に見つめられると 逃げ出したくなるんだろう?

 イノリとイナリの後ろにはあの黒い綺麗な鳥がいた。
 黄色い目。
 この綺麗な鳥が私の意識を後ろから引っ張っていた。
 怖い。
 なのに。

 私は今すぐにでもその鳥の元へかけよって触れたくなったんだ。
 わけのわからない感情が私を引き寄せる。
 ふらりと足元が揺れる。

「次、音楽の時間だね」
 私は出した足を誤魔化すようににっこり笑った。本当はそんな余裕なんてなかったけど、そうでもしないとどこかに自分は流されて戻ってこれないような気がした。
「そうだな、あと……7分? そろそろ準備しなきゃね」
 時計を見ながら言うイノリ。
「うん、私ドラム叩くの好きだから楽しみー。んじゃ私、用意してこようっと」
 その仕草が妙に様になる彼にそう返すと私は机に教科書や授業で使うプリントを取りに行った。イスに座り込むと、机の中に手を入れる。
 窓ガラスが割れた事件から一週間。
 少し日常から離れた小さな事件だと思っていた。
 平穏に過ごした一週間。
 けれど、あの事件の影はあまりにも深く、私の中の奥底に眠っていた何かをざわつかせた。

 現実が夢に。
 夢が現実に。
 そんな恐怖を私は感じていた。

 窓ガラスが割れた時以来。
 夢や頭の中だけでなく、意識がちゃんとあり起きている間も黒い鳥が常に私の目の前に現れるようになったんだ。





 

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