八十八物語



第一章 そしてヤツはやってきた


「よねええええええええええええええええええええええええ!!!」
「ぶふぉぐげほっ!?」
 それがアレとの出会いだった。
 絶妙なタイミングで発せられた不可解な奇声。
思わず、変な具合に牛乳を飲んでしまった。あれだ、吹きこぼすまいととっさに口に手を当てたはいい。かろうじて口から牛乳が出なかった自分の根性には拍手をあげたい。うん、自分を褒めてやりたい。
しかし、やっぱり突然の奇襲の影響は凄まじかった。
 のどが痛い、涙が出てくる。いやそれよりも問題なのは鼻だ。鼻。奥がツーンって痛い。え、なに。もしやまさか冗談じゃないぞ。「鼻から牛乳〜」なんてことになったら泣くぞ。漫画じゃあるまいしっ。
「〜っつーかそもそも誰だよっ!」
 胸を何回か叩きながら辺りを見渡し、声の主にこの責任を取ってもらおうとした。
 しかし。
 そこには誰もいなかった。うん、なにもなかった。誰もいないのに自分はしゃべっていたんだ。
しかも意味不明な幻聴だったし。「よねぇぇぇぇぇぇ!」って、なにこれ。もっとマシな幻聴はなかったのかよ。というかそもそも幻聴にマシもへったくれもあるのか知らないけど。
 などとだんだん自分が恥ずかしくなってきた。うわ、馬鹿みてー。
「……なんだぁ聞き間違いかぁ」
「いや間違いではないぞ」
 ……なんだか変な声が聞こえた気がした。しかもすぐそばで。
 もう一度部屋を見回した。
 やっぱり誰もいない。
「……」
 ……変な汗が出てきた。
「あっはっは今日は幻聴日和だなっ」
「危ない奴だなお前」
 冷静なツッコミ。
 呆れたような声。
「…………」
 いや、なにこれ、自分が悪いの? というかなにこの底から湧き上がるようなフラストレーション。あれだ、胃がムカつくと古人はよくのたもうたわ。
 ヒクつく口と怒りをなんとか静めながらゆっくりと、後ろを振り返った。
やっぱりなにも――
――いや、あった。
 でもそれは本来動物の持つ声帯どころか生物でもないはずで……つまり、白い物体があった。正確に言うと米粒ほどというかなんというか……米そのもの。いやしかしながらこれはないだろう、いやいやいくらなんでもこれはなんていうか……
「ぬ? なにをじっと見ている? テレるじゃないか」
「つかなんで米の癖に手足がある上つぶらな瞳まであるという気色悪い生命体が目の前にいいいいいっ!?」
 反射的に後ろに身を引いた自分。
 そう、テーブルの上に不気味なものがいた。あれだ、本当に白い米粒にニョッキリ手足が生えているのだ。ニョッキニョキって感じ。しかもなんともマッスリーですばらしい肉付きという。ボディビルダーかくそ。その上つぶらな瞳付き。うわなにこれ、うわぁ。
 なるべく見るまいとしていたアレを再び視界に入れてしまい、思わず目を押さえた。うわ、目が腐るっというか夢に出てきそうっ。
「な、なんてグロテスク」
 そう呟くと、どうやらアレは痛く気に召されなかったらしい。怒気をはらませながらこちらに向かってくる気配がした。
 うわ近寄んなってっ。
「失敬な! これでも選抜に選抜を重ねた中を選ばれ抜かれた美人になんて発言!」
「というかなんでしゃべってんの? 米だよね? 米ですよね? 米なら米らしく米びつに収まってろコンチクショウ」
 つか美人? いやいやそもそも人ですらねーし。
 などと乾いた笑いを浮かべながらあくまでアレを視界に入れないでぶつぶつ呟いていると、突然目の前にアレはやってきた。
「私を知らんとはけしからん!」
 ニョッキリなんともはやな美足。
「それでも日本国民か!」
 キラキラでピュアな瞳。
「来んな地球外生命体がああああああああああ!」
バビュン
「のぶはっぽろぽおおおおおぉぉぉぉ――――――!?」
 生理的嫌悪を感じて思わずそばにあった新聞で華麗に叩く。
 小さくなっていく声。
 これで長閑な日常が帰ってくる。そう、すばらしい休日が帰ってきたのだ。うん、ビバ安息の日曜日。
 安堵で爽やかな笑顔を浮かべた。
 しかし。
「――ぉぉぉぉぉおおおおおおおおわぁにすんじゃわれぇえええええええええええええええ!!」
 壁に跳ねて床にぶつかり窓に飛び天上に跳ね返され再び壁にぶつかってスクリュー回転しながらこちらへ猛スピードでアレはこちらに帰ってきた。奇声を上げながら。
そう、つぶらな瞳がこちらをクワッと見ている。しかもスーパーマンみたいなポーズまでして接近してくる。
 え、なにこれ、なにこの有り得ない展開。
「覚悟おお――」
バンっ
 爽快なほど鋭い音が響く。
 そうアレが来る前に再び叩きつぶしたのだ、新聞で。爽快に『ゴ』の生命体をやるおかんのごとく。
部屋に静寂が訪れる。
「ふぅっ。よかったよかった!」
「よくないわ馬鹿者!」
 あ、うわ、目の前にホラーがいる。新聞の下に今まさに。日本のホラーでもこれほど気色の悪いホラーはないだろう。というか貞子かてめぇは、いやなんかもうリアルのコレの方がきめぇし怖っ。うわっうわぁアレが下から這い上がってくるっ例のゴの付く生き物の方がまだマシだいや、マシどころかまだ可愛い。いやまったくもってアレが消えてくれるならゴの字と共生したっていい。いやマジさせてくださいよほんと。というかやばいってこれ。つーかもうやば、涙出てきた。
 色々とショックが激しすぎて脳内がパニックを起こしていた。マジで泣けてきた自分。
 ほんと、人間ってショックが大きすぎると泣くか笑うかなんだなぁ、あはは。今しみじみと実体験してわかったよ、ははは笑えねぇ。と笑いまでこみ上げてくる始末。
 そうしているとふいにそばでアレの声が耳に入った。
 横を見る。
 自分を訝しげに見ながら勝手にしゃべり続けるアレ。まだ存在を誇張しているアレ。
「……」
「まったく私を誰と心得る! 精白米の中でも選び抜かれたかくも名高い『あきたこま――」
「知るかよこの米妖怪が」
 一瞬固まってこちらを見るアレ。
 しかし。
ビッ
 親指を上げるとにっこり笑った。
「ちなみに有名なジャポニカ種。ジャバニカ種とは違うから! ここ、試験に出るよ!」
「聞いてねぇよ変態」
「くっ、そうかっ。精白米を知らんのか! 仕方ない、精白米というのはだな脱穀して」
「だから聞いてねぇよ」
「まぁまぁ聞きたまえ! で、稲穂から籾を外しふるいにかけた後ちゃんと決められた期間乾燥し、籾摺……あ、籾殻をむいて玄米にすることね――をしてから風選、更に玄米をふるいにかけて」
「だから聞いてねぇよボケ」
「まぁまぁ……標準以下の大きさの玄米(くず米)を除いて更に更に玄米の状態で貯蔵されて精白(せいはく)つまり玄米の糠層と胚芽を削り取り、最後には精白後のこれでもかというほどさらに選別を行ったエリート中のエリー……」
「だから聞いてねぇつってんだよエーリアン」
「ちょ! エーリアンじゃなくてエリート! そこ聞き間違えるでない! くそっ、わざわざ『あきたこまち』の私が米代表として話しているというのにこの態度! あれか!? お前は『コシヒカリ』派か!? それとも『きらら397』!? はたまた『ササニシキ』かっ!? それともコアで『森のくまさん』? はっ、それか『どまんなか』とか!? ああ! こうなったら名前言うから手を上げろ! いいな!? 『アキツホ』、『イクヒカリ』、『祝』、『おぼろづき』、『キヌヒカリ』、『はえぬき』、『日本晴』……え、まだ手上げないの? 『初雫』、『吟風』、『バスマティ』、『ササシグレ』、『ほしのゆめ』、『蓬莱米』、『山田錦』……っておいおいそろそろ当たるだろぉ? マニアだなお前! 『ゆきひかり』、『ふっくりんこ』、『ふさおとめ』、『ひとめぼれ』、『どんぴしゃり』、『ななつぼし』……どれも違うのかお主はあああああああああああ!!! もしや今時国際的な『カルローズ』か!?」
「つかいい加減黙れよグロテスク」
「ぐっ!? もはや形容詞!? と言うか二回目じゃん!?」
 その言葉でやっとアレのしゃべりが止まった。まったくよくしゃべる。米のくせに米の……米だよね?
 とそこで自分の認識に変な疑問が出てきたところで苦悶の表情で唸っていたアレが突然睨んできた。うわ、こっち見ないでくれ。
「日米和親条約結んだだろうが!」
「ええー、そっちですか」
 ウワーシラナカッタナーニチベイワシンジョウヤクッテソウイウイウイミダッタンダー。なーんてそんなわけあるかこのエーリアンめ。
 明らかに見下したような視線を送ってやると、なんだか傷ついたような表情をされた。うわ、涙耐えてるよ。
「なにをっ! コメは重要なんだぞ! 超ビップなんだぞ! ※印なんてあるほど特別なんだぞ!」
「あ、もういいよ。そろそろネタ尽きたでしょ?」
 哀れむような笑顔を向けてやると、急に真っ赤になりだした。あ、赤飯だ。
「私を愚弄する気かああああああああ!」
「あ、ごめんなさい。帰り方知らないのか。なら手解きをしてあげよう」
 今までになく優しい笑顔でアレに近づいた。そして懐から箸をパキッと景気よい音を出しながら割った。ちなみにもしものために割り箸常備な自分。いや人生ってなにがあるかわかんねーからなははは。
「何を――――」
 後ずさりながら滝汗になるアレに極上の笑顔を見せると、ひょいと箸でつまみ上げ流しに持ってきた。
「さらば永遠に。貴方とは奇しくも出会ってはならない運命だったようだ」
「ぎゃああああああああああああああへるぷみぃぃぃぃいいいいい!!」
ジャバシャアアアアアアアアアア
 豪快に蛇口から流された水とともに下水道に流されたアレ。
 こうして米妖怪から開放された。貴方のトリビアは形見として覚えておくよ。

 そして再び平穏が戻った。



 ……かに見えた。




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